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魔族の生活

在ったはずのそれは音もなく消え去っており、石造りの壁にすっかり溶け込んでしまっている。ミオは手を伸ばしたまま、ただ静かにその消失を見つめていた。

「……帰れ、ない」

言葉にしたその声は、小さく震えていた。

そんな彼女を心配そうに見つめるシオン。


二人の立つ場所は、昼の光も届かない永遠の夜に包まれた異界――魔界そのものだった。


冷たい風が頬を撫で、空は深紅から紫がかった黒色へと、静かに闇を広げている。地平線すら見えない夜空には、見知らぬ星々が鋭く輝き、時折流星が音もなく消えた。


足元の石畳は年月を経て磨かれ、縁に沿って苔がうっすらと緑を添えている。空気はひんやりと冷たく、湿り気を含みながらも澄み切っているのが分かった。


見渡せば、視界の先には街の全貌が広がっていた。


魔界の街は、人間の都市に似ていながらも異質な趣が満ちている。建物は重厚な石造りが多く、木造の家屋もあるが、いずれも細かな装飾が施されており、尖った屋根や螺旋状の柱、扉の取っ手までもがどこか異世界的だ。


道は碁盤目のように整然と区画されているが、ところどころに不規則な曲がり角や小さな広場が点在し、無秩序ながらも自然な雰囲気を醸し出していた。


石畳の隙間からは野花が根を張り、街灯の役割を果たすのは青白く淡く輝く魔法結晶だ。地面から浮かび上がる光は静かに揺れ、闇夜を柔らかく照らし出している。


街の中心部に向かうにつれて、賑わいが増していく。


通りには人影が絶えず、魔族たちが行き交っていた。彼らは肌の色や体つき、角の形、翼の有無などが多種多様で、一目で人間とは違うとわかる存在だった。

肌の色は灰青色、緑褐色、漆黒、時に鮮やかな紅や紫色も混じっている。角は小さな突起のようなものから、曲がりくねった大きな角まで様々だ。


服装も独特で、重厚な鎧を纏う戦士や、鮮やかな色彩の衣装を身に着けた商人、簡素な布を巻いただけの労働者など、各々の役割が垣間見えた。


魔族の子供たちは無邪気に石畳の広場を駆け回り、遠くからは笑い声が響いている。


店先では商人の魔族が威勢よく声を張り上げ、通行人に品物を勧めていた。奇妙な形状の果実や見たこともない香辛料が並び、革細工や武器、魔術用品らしい小物も見られる。

暖炉からは穏やかな煙がたなびき、街角の鍛冶屋であろう店からは火花が散る音と金属を叩く響きがこだましていた。


まるで人間の世界の中世の町並みに似ているが、どこか静謐(せいひつ)で妖しい空気が常に漂っていた。


だが、言葉が通じない。


周囲から聞こえる声はすべて、聞いたことのない言語でやり取りされており、ミオにはまるで意味が理解できなかった。

耳に触れる音は、柔らかく流れるような旋律のようでもあり、時に鋭く鋭角に響く不思議な音節が入り混じっている。


シオンはその様子を静かに観察し、淡い魔力の光を手のひらに集めると、低く呪文を詠唱した。

空気中に光の粒子が舞い散り、彼女の目が淡く輝く。


すると、まるで魔法が実体化したかのように、周囲の魔族の言葉がミオとシオンの耳にいつも聞いていた言語へと変換されて届き始めた。


「人間……?どうしてここに」


「気をつけろ、何者か分からぬ」


声は滑らかで違和感がなく、魔術の力で翻訳されているとは思えないほど自然だった。


ミオはほっと胸を撫で下ろしながらも、言葉は理解できても、その意味が持つ確かな警戒に心を冷たく締め付けられた。

帰還手段も判明していない今、ミオの胸は焦りでいっぱいになった。


「帰る方法が分からない……どうすれば」


しかしシオンは、どこか余裕のある笑みを崩さずに言った。


「ミオ、大丈夫だよ。きっとなんとかなるよ」

「きっとでは困ります……!そうだ、シオン様の空間転移で帰れませんか!?」

「あー。あれはね、説明が難しいんだけど今はまだミオの近くにしか飛べない!」

と笑うシオン。


「なんですかその用途が限られた魔術は……!!」

ミオはその無邪気な明るさに呆れながらも、不思議とその場の空気に安堵を覚えた。

焦燥に駆られた彼女の心をほんの少しだけ溶かし、重く冷たい世界に温かな光を灯してくれるようだった。


二人は街の奥へと歩みを進めた。


市場では魔族たちが声を上げ、互いに品物を交換している。彼らは通貨を使わず、物々交換や労働の対価で生活を成り立たせているのだろう。

ミオがそんな魔族の生活に見入っていると、シオンの姿がないことに気づいた。


慌てて辺りを見渡すと、意外にもすぐに彼女の姿を捉えることができたのだがその空間がミオの理解には程遠い状況だった。


「シオン様……一体何をされているのですか?」

「ミオ!この肉ピリ辛なんだけど凄く美味しいよ。一口食べる?」

「食べ……ません!!」


ミオはついに呆れることすら忘れ、彼女の空気に飲まれていた。

話を聞くとどうやら魔術で家具を清掃することを対価に店頭に並ぶ料理を食べていたらしい。

ミオは人間には毒かもしれないと喉元まで出かけたが、食べた後に言ってもと飲み込んだ。


そんな様子を首を傾げながら見守るシオンは謎の肉を頬張りながら言う。

「やっぱり食べたくなった?」

「食べ……ます……」


ついにミオは空しい抵抗を諦めて肉を口に運んだ。今だけは全てを忘れ、この心地いい空気に飲み込まれよう。色んな感情が渦巻いていたが、ミオの口から出た言葉は一言だけであった。


「美味しい……」

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