地下迷宮
薄明かりが差し込む執務室で、ミオは机の前に座り込み、解析レポートを読み込んでいた。昨夜、被検体番号0379-α――シオンと共に回収した機密情報の内容がついに解析を終えたのだ。静かな室内に、モニターの光だけが冷たく揺れている。
「地下迷宮……か」
彼女の声は小さいが、意味の重さを秘めていた。報告書によると、潜入先の廃工場の地下には広大な迷宮が広がっており、その内部には凶暴な魔獣が潜んでいるという。敵はこの魔獣たちを利用し、機密保持と防衛の強化を図っていたのだろう。
すぐに召集がかかり、ミオは機関の会議室へと足を運んだ。そこで待っていたのは、冷徹な表情を浮かべる上層部の幹部たちだった。
「被検体0379-αの回収した資料から、地下迷宮の存在とその中に生息する魔獣の情報が判明した」
一人の幹部が語気を強める。
「今回の任務は迷宮の全容解明と、魔獣の速やかな殲滅。被検体の能力を最大限に活用し、迅速に任務を遂行することを期待している」
ミオは厳かな雰囲気の中、黙って頷いた。ここでの役割は監視であり、状況を冷静に把握し指示を的確に出すこと。シオンが暴走しないよう、ミオの存在は欠かせなかった。
翌日、ミオとシオンは再び廃工場の地下へと足を踏み入れた。薄暗い階段を降りると、ひんやりとした空気が肌を刺す。迷宮の入口は石壁に囲まれ、所々に古びた魔法陣が刻まれている。シオンは淡々と魔術を詠唱し、周囲の魔力を探りながら慎重に進む。
「魔獣に注意しながら、私の指示に従ってください」
ミオの声は冷静でありながらも的確だった。彼女は持ち前の分析力で地図を頭に描き、最短ルートをナビゲートする。シオンも信頼のまなざしを向け、二人は互いに補完しあいながら奥へと進んでいった。
迷宮は入り組み、時折壁から伸びる蔓が微かに揺れる。足音が吸い込まれるような静寂の中で、魔獣の気配が次第に濃くなっていく。突如、空気が震え、シオンの目が鋭く光った。
「魔術トラップ……!?」
ミオはとっさに魔法陣の存在を認識したが、解除には時間がかかる。慌てて身を引こうとした瞬間、眩い光と共に激しい衝撃が二人を襲った。
「ミオ!」
「シオン様!」
その衝撃で二人は引き離され、迷宮の異なる通路へと投げ出された。
地下迷宮の暗闇に飲み込まれた後、ミオは狭い通路の片隅に倒れこんだ。薄暗く湿った空気が喉を刺激し、冷たく重たい床が体温を奪う。周囲は迷宮の壁に囲まれ、薄い魔法陣の光が微かに揺らめくだけだった。
「シオン様……!」――必死に呼ぶが、答えはない。
彼女は動揺を押し殺し、冷静に周囲を見回す。魔術トラップによって強制的に引き離されたのだと理解したものの、この迷宮の複雑さは想像以上だった。解析で得た地図と照らし合わせても、迷路のように入り組んだ通路は容易に方角を見失わせる。
ミオはふと、懐から小型の魔力検知器を取り出した。薄青く光るその器具は、周囲の魔力の流れを感知し方向を示す。これがなければ、自力での脱出は絶望的だった。
足音もなく、ひんやりとした空気の中に低いうなり声が忍び寄る。振り返ると、巨大な魔獣が複数、目を赤く光らせて獲物を狙っていた。
長く逞しい四肢が支える体はミオの数倍はあるだろう。その恐ろしい姿は記憶のどこを探しても未知なる存在だった。
「これが魔獣……!」
ミオは魔術に長けていない。最低限の結界と防御魔術、そして多少の体術で切り抜けるしかない。しかし初めて目の当たりにする魔獣の数は多く、一匹、また一匹とその牙が迫る。
必死に退きながら呪文を唱え、筋肉の反応で敵をかわすが、体力はすぐに限界に近づいた。切羽詰まった状況に、彼女の瞳は一瞬だけ恐怖に揺れた。息が詰まる。心拍が破裂するほどに高まり、瞬きすらも死に繋がる緊張感がミオを襲っていた。
その時、不意に足元の石畳に鮮やかな魔法陣が浮かび上がる。輝く光に包まれた空間が歪み、視界が一瞬消えたかと思うと、辺りの空気が一変した。
「これは……!」
その声とともに、彼女の視界に現れたのは、銀白の髪を揺らしながら悠然と駆け寄るシオンの姿だった。
シオンの目は自信に満ち、微笑みすら浮かべている。全身から発せられる魔力は凛として強く、周囲の空気が張り詰める。
「ミオ、遅くなってごめん。もう大丈夫」
彼女は静かに言い放ち、手をかざすと周囲に舞い上がる光の刃が形成される。刹那、魔獣たちはまるで嵐に巻き込まれたかのように吹き飛ばされ、絶え間なく飛び交う魔術の一撃が確実に敵を消し去った。
ミオは目の前の光景に言葉を失った。改めて見る彼女のその圧倒的な魔力と戦闘技術に、ただただ見惚れていた。
魔獣が一掃され、静けさが戻るとシオンはミオに近づき、心配そうに顔を覗き込む。
「空間転移なんて初めて見ました。なんでもありですね、シオン様」
そう口にしながらミオは自分でも気付かない内に微笑んでいた。不安から解放された安堵からか、彼女の能力を目の当たりにしたからかはわからない。
「ミオが笑った!」
その言葉でハッと我に返るミオ。彼女は微かに顔を紅潮させながらも「笑ってません」と応じた。
再会の喜びと安堵を胸に、二人は迷宮の奥へと歩みを進める。
やがて、巨大な扉が現れる。古代の魔文が刻まれ、そこが迷宮の最深部であることを告げていた。
「扉……?これは一体……シオン様、一旦引き返しましょう。」
ミオはそう言い、少し残念そうな表情を浮かべながらも頷くシオン。二人は足早に迷宮を後にした。