夜月、変身ファプ!
あの後私はトラックに轢かれたとは思えぬほどの回復力を見せ、意識を戻してから1週間ほどで退院することが出来た。
私が退院する間際、担当していた医者が駆け寄ってきてこんなことを話していた。
「君が運ばれていた時、カルテには"頭を強くぶつけた模様"と書かれてあったんだ。実際君の身体の損傷は激しかったはずなんだ。こんなこと言うのは迷ったけど、君は死んだも同然の状態で運ばれたということになる。そんな君が目を覚ましたと聞いて駆けつけたら、軽傷も軽傷…。はは、私も疲れているのかもしれない。君は生きるべき存在ということだろう。その命、大切にするんだよ。」
私は「はい!」と元気よく答えて、母が運転する車で自宅へ帰ることが出来た。
「夜月、明日から一応学校行けるけどどうする?」玄関口で母が尋ねる。
「行ってもいいかな。もう病院生活退屈してたし!あっこの"ミスギル"の活動報告聞きたいし。」
「そ。じゃあ今日は早めに寝なさい。私から学校には連絡しておくから。体育とかはしばらく見学にしてもらいなさい。」
「えぇ〜。体育だけしか得意科目ないのに…」
私がそういうと、母に肩を軽く小突かれた。
「あのねぇ、あんたはトラックに轢かれたのよ。まだ運動できる状態じゃないんだからそこは理解して。」母の顔は強ばっているように見える。
母に怒られることは滅多にないので私は小さく頷いて、居心地の悪さにそのまま自室に向かって階段を駆け上がった。
自室にサッと入り、直ぐに鍵をかける。
「はぁ〜〜〜。あんなに怒ることないじゃん。」私はため息をつきがら、久しぶりの自室のベットに仰向きで倒れ込んだ。ベット周辺には零史の顔写真がプリントされたほぼ原寸大のクッションや、零史のボイスが収録された特製の目覚まし時計が置いてある。
あまり寝室には向いてないかもしれないが、カーテンは零史の担当カラーである赤色。そのカーテンが揺れている。私は帰宅してから戸を開けていない。おそらく母が戸締りを忘れて私を迎えに来たのだろう。戸締りを忘れるなんて、普段の母らしくないなぁ。
「夜月のママさんは夜月の退院を心から待ち望んでいたファプ。だから怒るのも無理ないファプ。夜月を心配して言っているからファプ!」
「ぎにゃあああああ!!!!!」
私は今まで出したことの無い声で叫び飛び起きる。
「ちょっと!夜月どうしたの。」母が階段下からこちらを伺う様子で声をかけてきた。
「だ、大丈夫。大きめの虫が出ただけだから!」
「虫じゃないファプ。ファプはファプファプ!」
「知っとるわ!って、そうじゃなくて、なんであなたが私の部屋にいるの…?!」
「ファプは夜月と一緒にいるって決めたファプ♪」
なんだこのふわもこ…。己の可愛さでなんでもまかり通ると思っているのか?
「思ってるファプ♪」
「え?私今、喋ったつもりないんだけど。」
「ファプは夜月の考えてること、な〜んでもお見通しファプ!」
待って、詰んだ。今どうにかしてこのふわもこを家から追い出す方法考えようとしてたのに、これも全部このふわもこにはバレるってこと?
「そうファプ。あとふわもこじゃなくてファプっていう素敵なお名前があるファプ!」
「あ、それはごめんなさい…。」
ファプは夢の中で出会った私の空想上の生き物だと思っていた。しかし今の私は完全に意識を取り戻している。つまり、このファプという謎の生き物は現実に存在しているということを証明していた。
「えっと、なんでファプは私と一緒にいるって決めたの?」
「それは夜月の願いを叶えるためにはファプが夜月と一緒の居ないと叶えられないからファプ。」
願い…?ファプと私は何かを契約したということ?そんな記憶は正直ないのだが。でもファプとなにか喋ったこということはぼんやりとだが覚えている。
『本日もこの時間がやってまいりました〜!ミスティック・ギルティのお悩み相談室〜!』
ふいにラジオから聞き慣れた声が流れ出した。
「えっ、もうこんな時間?!メモメモメモ…」
私はすぐさまデスクに向かい、赤色の塗装がされたボールペンを取り出した。
「レイジの声ファプ!」ファプが興奮気味に一際大きい声を出す。
「ん?なんでファプは零史の声だって分かるの?そういうのも分かる感じなの?」
「ううん、ファプはレイジのお友達だから声を知ってるファプ!」
…ともだち?今、友達って言ったの?この妖精は。
「言ったファプ!ファプとレイジはと〜っても仲良しファプ♪」
「ちょちょちょちょ、それ本気で言ってんの?零史もあなたみたいなふわもこと、こうして喋ってるってわけ?!」私はファプを掴むとジュースをシェイクするように振り回す。ファプから「やめてファプ…」と小さな声が聞こえて我に帰る。なんかこのやりとり、デジャブなような。
「ごめんごめん。それで、零史もあなたとこうして話してるってことなの?」
私がファプに問いかけるとファプはうんうんと2度縦に揺れていた。
「じゃあ零史の過去とかもファプは知ってるわけ?」
朝日零史のガチ恋ヲタクである私がなぜそのような質問するかというと、零史は彗星のごとく芸能界に現れた青年だったからだ。下積み時代も、前世と呼ばれる現在のアイドルグループ-ミスティック・ギルティ-に加入する前の情報も一切出回っていないかなり珍しいアイドルなのである。
「知ってるファプ!もちろん前世もあるファプ!」ファプは自分のことのように明るく答えてくれた。
「やっぱり前世あるんだぁ!」
零史はデビュー時から歌もダンスも上手く、バラエティ番組での立ち回りや俳優業としての演技も申し分なかった。当初からなんでもこなせるオールラウンダー的存在のアイドルだったので、何かしら前世というか前歴はあると、私含め多くのファンは予想していた。
「レイジはよくファプに歌ってくれたファプ。とっても優しくて、大好きファプ!」
ファプが嬉しそうの話す様子はまるでヲタクそのものである。
「いいなぁ。私もいつか零史とお話してみたいなあ…」私は持っていたボールペンをくるくる指で回しながらぽつりと呟く。
「会えるファプよ?というか、夜月にはレイジに会って貰わないと困るファプ!」
「へぇ。そうなんだぁ。…え?今なんて…」
ファプは宙をころころ転がるように浮かびながら再度「会って貰わないと困るファプ!」と私に告げる。
ふとファプと初めて会った時の瞬間が脳裏にちらりと映った。そうだ、たしかに私は何かをこの子と約束したんだ。
「ねえファプ。私と約束したことって…」
そう言いかけた時、ラジオの中が突然騒がしくなる。先程まで聞こえていた零史の声が全く聞こえないことに私は気づき、騒々しいラジオの音量を更に上げた。
ザザ…ザ…
「何者かが放送局内に侵入したと緊急連絡が入りました。リスナーの皆さまには大変申し訳ございませんが1度放送を中断…なんだお前!おいスタッフは零史くんを…!」
ブツッ…
それからラジオから一切音が流れなくなった。
え、なにこれ。さっきまでの明るい声をした零史はどうしたの?零史は無事なの?なんで声が聞こえなくなったの?
私はいきなりのことに頭が追いつかず、その場でへたり込むしかなかった。
「夜月、夜月!しっかりするファプ!レイジを助けに行くファプ!」
助けに行く?どうやって?ただの女子高生の私が零史を助けられるわけ…
その時、私の心臓が熱くなるのを確かに感じた。燃えるように熱い。零史を初めてテレビで見た時のあの衝撃。高鳴り。そしてトキメキ…
俯いていた私が自分の胸のあたりに視線を落とすと、ギラギラと光を放っている。
「夜月のハートがキラキラ光ってるファプ!すごいファプ〜!」
…弱くてもいい。例え私が非力で無力でも彼の元にいかなきゃいけない。私しか彼を救えないのかもしれない。この輝くハートを見るとそのように思えてきた。
「そうファプ!夜月、今のレイジを助けられるのは君しかいないファプ!」
「…そうだね。行こう!」
私は自身を鼓舞するように両頬を思い切り叩く。するとキラキラする三日月の形をした欠片が二つ、突然花火のようにバチバチと光りながら現れ、私の掌の上でプカプカ浮いている。
「えっえっ、なにこれ!」私が狼狽えているとファプに「そのふたつの月を重ね合わせてみるファプ!」と言われたので素直に応じる。
重ね合わせると2つの小さな三日月はひとつになり、眩い光とともにコンパクトのような形に変化した。
「すごい…綺麗…。本物のお月様みたいに輝いてる。」
何気なく私はコンパクトを開くと、目の前が金色の暖かい光で埋め尽くされる。優しいベールがふわふわと私の全身を包みこみ、なんだか自分の身体が軽くなったように感じる。
次の瞬間、目を開けるとそこには明らかに魔法少女のような服を着た自分が姿見に映っていた。優しいイエローカラーを基調とした服はまるで月明かりのよう。丈の短いスカートの中はフリルで埋め尽くされていて乙女心をくすぐるデザイン。足元は太もも近くまであるロングブーツで、その形は近未来感のある大きめの造りをしていた。
「やったファプ!いきなり変身できるなんて、夜月は才能あるファプ♪」
「変身…確かにマントもついてる…」私は背後についてあるマントを確認していた。
「似合ってるファプ!とっても可愛いファプ〜!」
ファプが純真無垢な瞳で私を褒めるもんだから、内心満更でもない。実際姿見に映る私は普段とは別人かのように眩くほどに煌めいていて、身体中が月明かりのように発光している。痛々しいがめつい輝きではなく、優しく暖かく光っていた。それと同時にある人物の面影と重なっているようにも捉えられる。
「なんだか、ライブ中の零史みたい…。」
私は自分から溢れ出た言葉に我に返り、私は姿見に背を向けた。
「ファプ、零史がいるであろう放送局に向かいたいんだけどこの格好で向かうの?」
「そうファプ!そのマントで飛べるからそのまま向かうファプ!」
確かにマントらしきものがついているが、この布切れで私の全体重を任せるのには幾分勇気がいるのだけれども…。
「大丈夫ファプ!もたもたしてるとレイジがしんじゃうファプ…!」
死。ファプから明確に零史に起こるべき事象を聞かされると急に現実に戻される感覚を思い出される。
「そうだね。ファプのこと信じるよ。」
私は心の中のどこかで張っていたものがプツリと途切れ、勢いのまま2階の自室の窓からヒュッと飛び降りる。飛び降りる時、反射的に私は目を閉じたが落下する感覚がなかった。ゆっくり目を開くと私はふわふわと浮かんでいる。
「す、すごい。浮いてる!浮いてるよ、ファプ!」
「本当にすごいファプ!最初からこんなに安定感があるなんて夜月は天才ファプ!」
ファプに褒められた私は照れくさくて「運動神経いいのだけが取り柄だから〜」なんて言いながら、頭の後ろを軽くかいた。
「ファププ…」ファプは白かった体を青色に光らせながら何か力んでいる。そしてすぐにハッとした表情でとある方向に体を向けた。
「ファプ!レイジは西の方向に居るファプ!行こうファプ!」
ファプはそう言うとマッハ1の速度で西の方向へ、私のことを置いて飛んで行く。
「ちょっとファプ!待ってよ!」
ものの数秒でごま粒になるファプを追いかけるように、見様見真似で飛ぶ仕草をすると、私もファプ同様とんでもない速さで風を切るように飛んでいた。このマントのおかげなのだろうか。
私はそのまま無我夢中でファプのあとを追いかけるようにして街の中を颯爽と飛んでいる。色々ツッコミどころは多いが、今の私には守らなければ、助けなければいけない存在がいる…
零史の命を救う。私の命と引き換えてでも必ず!
だから待っていて、零史。