「お前を愛することはない」と言われたかったご令嬢の話
「お前を愛することはない!」
そう言われた方がマシだったかもしれない。
無意識とはいえ罪の意識があるとか、ただただ自分を正当化したいだけだとか、こんなこと言っちゃう俺かっこいいとか。そんな人が言うのだとしても、お知らせがあった方が早々に状況が分かって良かったのではないかと思ったのだ。
結婚式を挙げた翌日の朝を一人で迎えた私、ヘンリエッタ二十歳。初夜スルーされました。キャンセルしてもらった方がよかった。だってその後眠れたかもしれない。
朝早くから準備してやっと辿り着いた結婚披露宴。夫を置いて中座した私は初夜の準備をさせられた。薄暗い中案内された部屋で独り。ただただ大人しく待っていた。隅々まで洗われて、いい香りのオイルを塗り込まれ、薄暗い道を朱色のランプで案内されて通された、ちょっとこじんまりとした部屋。
この家に来たのは今日が初めて。仕事が忙しいという婚約者の都合に合わせて直接の交流はほぼなく、手紙のやり取りも少し、結婚式で初めてお互いの顔を間近で見たというRTAのような結婚。
なんとか辻褄を合わせて今日まで来たのに、夫になった人と顔を合わせる前に夜が明けてしまった。カーテンを開けたら徹夜明けの朝陽が目に沁みた。眠ってもいいかな。いや、流石に挨拶に行くべき?
この屋敷には結婚式に合わせて領地から王都に出てきていた先代侯爵夫妻が滞在している。はず。まだご挨拶もしていないのを思い出して、私は侍女を呼ぼうと思った。この家の披露宴では花嫁はベールを被ったまま大人しくしている習わしなんだそう。
ベッドサイドのテーブルを見ても、部屋に造り付けの簡易的な書斎机を見ても、侍女を呼ぶための呼び鈴がない。困った。自分で着替えようにも、周囲には着替えらしき物も見当たらない。
シャワーを浴びて頭をスッキリさせたいけど、シャンプーとかタオルとか化粧水とかはどこ? そもそもこの部屋にはシャワーがない。いや、あるか。うーん。どっちだっけ。
眠気でボーッとした頭でも、今着ている夜着のまま出歩くのは良くないということは分かる。何というかそれ用というかあれ用というか、特別な人にだけ見せる分にはいいような服を着させられている。代わりになる物が何かないかと部屋を見渡す。
やけに質素な部屋だ。侯爵の初夜が行われるには不釣り合いというか、もしそれ用の部屋があるのだとしても、もう少し侯爵家感のある部屋なんじゃないだろうか。昨夜案内された時は気付かなかった。流石に緊張していたのかな。それに薄暗かったし。
いや、騙されたのかもしれない。やっぱり世の中は厳しいんだ。実家から出られると浮かれた気持ちだったからこんなことになったんだと思う。いつだってそうだ。これでいけると思ったら足りないし、余分な事が起きてがっかりする。人生はその繰り返し。あぁあ、この結婚、話がうま過ぎると思ったんだよなぁ。後悔が押し寄せた。
私の母はキルシュネ伯爵家の跡取りで、婿養子に父を迎え、私を産んだ。誤算はただ一つ。父が役立たずだったこと。書類仕事も計算も諸々の手配も全てダメ。女性を口説くことだけが得意という美丈夫。正直めっちゃイケメン。ただ、彼が父親だったというだけで伯爵家の頑強だった船は泥舟に変わった。
母は父の上っ面な言葉に騙されたんだろう。根拠のない自信に溢れた父はハッタリ上手で、女性の扱いが巧く、母以外にも数名の女性とも懇意だったようだ。あれだけイケメンなんだから想像できるだろうに母はずっと気付いていなかったらしい。
結果、異母姉妹が二人、異母兄弟も二人。母は何を思ったか、その兄弟姉妹四人を全員引き取った。ところが家に四人が来た後、流行り病で呆気なく他界。私が十四歳の時だった。突然私にのしかかってきたキルシュネ伯爵領の経営。母は経営のノウハウを私にしか教えていなかった。父が代理伯爵になって凌いで、成人した異母兄が伯爵になったけど実務は私。決裁権のない私には、それはもう大変だった。
異母兄が伯爵になった頃その異母兄の母、公爵家の三女だった人が後妻になった。母との婚約前に関係があったんだそうだ。ボンボンでのんびりとした異母兄。遅々として進まなかった異母兄への引き継ぎが終わらないまま、その義母の手配で私はクラインシュミット侯爵家へ嫁がされた。キルシュネの領地にいる代官が優秀なので余程のことがなければしばらくは大丈夫だと思う。
「クラインシュミットの領地経営はどうするのかしら」
部屋に私の声が響く。この侯爵家の運営は誰が?
「まあ、関係ないか」
初夜スルーをかます相手に大切な領地のことを任せるはずがない。きっとこのまま冷遇された私は、報われないまま儚くなるに違いない。悲しい。
まあでも、まずは服を何とかしないと。ずっとこの部屋にいてもどうにもならない。経験的に、こんな時は動いた方がいい。ベッドにあったシーツを体に巻いて肌を隠して、ついでに動けるように調節してから、私は部屋の扉を開けた。
廊下には誰もいなかった。昨夜歩いたのが何処だったかは分からない。ウロウロしているとリネン室を見つけた。鍵はかかっていない。私はスッと中に入った。リネン室の中にも誰もおらず、一人で着替えられそうな服がいくつか干されていた。そういえばここに来るまでにも誰にも会っていない。
「メイド服じゃん」
乾いているのを確認して部屋の隅で急いで着替える。前世でも着たことがあるので、素早く着替えられた。早着替えばりの素早さ。イベントの時には狭い上にそんなに綺麗じゃないところで着替えたこともあった。
「うわっ。懐かしい」
部屋にあった鏡に全身を映す。
「本物は布が違うわ」
背中の方まで念入りに見てしまった。
「ん? 本物って?」
その瞬間前世の記憶が流れ込んできた。病死した日本人女性、赤間茜の記憶。何歳まで生きたのかは分からない。濁流のような記憶の衝撃でフラつく。
そういえば最近前世の言葉が出てきちゃってた。綻かけていた記憶の封印が解けるかのように思い出したのかもしれない。なんてね。なんにせよ、茜とヘンリエッタの記憶はキレイに脳内で整頓されたようだ。違和感なく二人分の記憶を持てている。
「異世界、転生……だよね? 何かのゲームの世界なのかな。マズイ。あんまり真剣に見てなかった」
仮に乙女ゲームの世界だった場合、ゲーム実況でしか見たことがないからうろ覚えだ。何本も見たからかどのエピソードがどの作品のものかは記憶が曖昧。登場人物はモブがさっぱり。その都度その都度楽しかったけど、実況者さんの考え方とか話の内容とかそっちがメインだったから……
「……詰んだ?」
腕を組んで、深く長いため息を吐く。私は顔を上げた。うん。
「逃げよう」
登場人物もイベントも分からない。ヘンリエッタの見た目から推察するに多分悪役令嬢、いやいや、結婚してるのに『令嬢』は図々しかった。初夜スルーされたけど、結婚式があったのは間違いないし、婚姻届も受理されている。
でも待って。逆に逃げない方がいいのかもしれなくない? 貴族に逆らって逃げたとして、見つかった場合はどうなる? 処刑、幽閉、鞭打ちとかだよね。それに貴族然とした顔立ちの若い女が一人で市井に下るのも危険の中に自ら飛び込むようなものだ。
「うーん」
ぐぅ〜
「こんな時でもお腹が減るなんて……我ながらいい根性してる」
とりあえず自分を褒めてみる。それから何か食べたい一心で食堂を探す。厨房でもいい。食在庫でもいい。
「変ね」
これだけの屋敷で誰も働いていないなんておかしい。時間帯も早すぎるわけではないし、なんなら自分より早く起きている使用人の方が多いはず。
よく見れば窓には汚れがある。掃除が行き届いていないのかしら。こんなところに一人放置されて何事もなかったのは幸運だったのかもしれない。
食べ物を求めて一階に降りると玄関があった。玄関の前には人だかりが。何か騒いでいるようだけど、不思議と声が聞こえない。怒っているのかと観察していると、驚いている? 喜んでいるようにも見える。全体的に私に対して好意的な表情だ。
なぜ玄関から入って来ないんだろうと疑問に思った私は、自分があちら側に行ってみることにした。
「ヘンリエッタ様!」
玄関ホールを出るとキルシュネから一緒に来てくれた侍女が涙ながらに私の前に飛び出てきた。
「エーファ、ここに居たの? 呼び鈴がなくて呼べなかったわ。着替えもないから困ったのよ。お風呂にも入りたかったし」
「申し訳ありません。なぜかこの建物の中に入ることができなかったのです」
「どういうこと?」
「ヘンリエッタ様、まずは本邸にご案内いたします。私、侍女頭のフリーデでございます」
クラインシュミットの侍女頭が思い詰めたような表情で私に頭を下げた。
「分かったわ。フリーデ、案内をしてちょうだい。それと着替えと食事を用意してほしいの。でもまずは何か飲み物をちょうだい」
「かしこまりました」
フリーデが周囲にいた侍女に頷くと、軽く会釈をして数人の侍女がその場からいなくなった。
「エーファは何があったのか把握している?」
「はい。ですが、まずは室内に」
「分かったわ」
私はフリーデに先導されて掃除の行き届いた建物の中を移動した。昨夜案内された建物は別邸だったようだ。
本邸の一室に通された。キルシュネから持ち込んだ私の家具が置かれた居間だ。ソファ、ローテーブル、書斎机。寝室は隣室にあり、ベッドはそちらに置いてあるはずだ。まだ一度も見ていないけど、奮発して良い寝具を買った。用意された服に着替え、ソファに座ると目の前に紅茶が置かれた。
「はあ、生き返るわ」
エーファが傷ましそうに私を見る。
「昨夜を一人でお過ごしになられたなんて……」
「邸内に一人だったみたいだから、ある意味安全だったのだけれど。知っていたら眠ったわ。まさかこんな形で徹夜することになるなんて!」
今更ながら怒りが込み上げてくる。エーファはサンドイッチを紅茶の横に置いた。
「簡易的なもので申し訳ありません」
「ちょうどいいわ。ありがとう」
エーファは会釈をして立ち上がり、部屋の隅に控えた。
話を聞きたいのに眠気に襲われた。無理もない。徹夜明けの体に温かい飲み物と適度な食事。
「エーファ、少し眠りたいわ。寝室に」
「いけません! お嬢様!」
エーファが寝室への扉の前に立った。そういえばなぜ私が部屋にいるのに閉じられているんだろう。
キルシュネの屋敷では居間で過ごしている時も寝室への扉は開いていた。
「寝室に何かあるの?」
「い、いいえ。そういう訳ではございません。仮眠を取られるのでしたら別室のご用意がございますのでそちらを!」
さあさあ、と別室に連れて行かれた。結婚に合わせて、キルシュネ伯爵領で有名な寝具を購入した。あの寝具で眠るのを楽しみにしていたのに。残念だけど準備の都合でもあるのかもしれない。眠気に抗えなかった私は案内された部屋でぐっすりと眠った。
目覚めるともう夕方だった。ベッドサイドのテーブルには呼び鈴がある。
「よかった」
私は呼び鈴を鳴らした。
チリリリーン。
すぐに扉を叩く音がした。
「お入り」
と声をかけると、疲れた顔のエーファが入ってきた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「あったと言いますか、なかったと言いますか……」
歯切れが悪い。
「まあ、いいわ。入浴の準備をしてちょうだい」
「あの、お部屋のお風呂が使えませんので、別室でご用意しても構いませんか?」
「え、ええ。大丈夫よ。浴室で何かあったの?」
エーファは曖昧に笑って部屋から出て行った
何だったのかと考えてみても何も浮かばない。何らかのトラブルだろうけど。エーファが妙に疲れていたのが気になる。クラインシュミットの侍女とうまくいってないのかな?
フリーデが入ってきた。
「ヘンリエッタ様、準備が整うまで一度お部屋に戻っていただきたいのですが」
「分かったわ」
「入浴の前に軽食をご用意しましたので」
「ありがとう。お願いね」
本邸で最初に案内された部屋へ向かう。
ガタン!
ソファに座ろうとした時、寝室の方から何か大きな音がした。
「何かしら。寝室に誰かいるの?」
エーファに尋ねるとエーファは目を逸らした。
「何よ。何かあったのなら教えてちょうだい。旦那様は初夜に現れないし、エーファは目を逸らすし、何かやましい事でもあったんじゃないの?」
「いえ、決してそのようなことは……」
他の侍女も皆目を逸らす。寝室の扉に向かおうとするとフリーデが立ち塞がった。
「主人のためにも今はご遠慮ください」
「……分かったわ。私のような不要な存在にそこまで気を遣う必要はないわ。お互い別々に暮らせばいいものね」
「いえ! 違うのです! そのようなことでは!」
ガチャリ。
寝室の扉が開く音がして、昨日結婚した男性が出てきた。
「……マティアス……さま?」
多分そう。でも少し厳ついような?
彼は紐を握っていた。その紐の先を見ると泣き腫らした顔の異母妹とマティアスそっくりな男性が両手を紐で縛られた状態で連なって寝室から出てきた。
「ああ!」
結婚式で私が見たマティアスはこの人だ! 思わず指を差してしまってエーファに指摘される。「めっ」という表情で私を見て小さく首を横に振る。慌てて手を下ろして反対の手で握った。
「ヘンリエッタ嬢、誠に申し訳ない。こちらの私にそっくりな男は双子の弟のユストゥスだ。私がマティアス。よろしく。こちらの女性に心当たりは?」
「私の異母妹のヘルマですわ」
「妹、ね……ほら! お前たちは床だ! 『座れ』」
「おねぇさまぁ!」
ヘルマがいつもの甘えた声を出す。
「ヘルマ、ここはキルシュネではないの。マティアス様がおっしゃる通りになさい。伯爵家の者が侯爵様に逆らうのは良い判断だとは言えないわ。いつも言われているでしょう? 状況をちゃんと見なさい」
「ひどぉーい! いつもそうやって悪く言うんですものぉ。おねぇさまはいつも意地悪だわぁ」
体をクネクネと動かしながらヘルマが口を尖らせる。
「ユストゥスはこういうのが趣味なのか?」
嫌悪感丸出しのマティアスに聞かれたユストゥスは、顔をヘルマとは反対側に向けて悔しそうに肩で息をしている。
「ヘンリエッタ嬢、大変申し訳ないのだが、ヘルマ嬢はユストゥスのお手付きになった。子を授かったかどうか確認するために別邸で数ヶ月過ごさせることになる。それはご了承いただきたい」
「?……はあ。構いませんが」
「すまない。ソファにかけても良いだろうか。座って話をしたい」
「承知しました。エーファ、何かガツンとした飲み物をお願い」
エーファがお辞儀をしてそそくさと部屋を出ていく。フリーデはマティアスに紐を持たされていた。
私の目線に気付いたマティアスが説明をする。
「あの拘束用の紐には魔力を流すと反撃を許さない機構が組み込まれているんだ。だから腕力がなくても大丈夫。今は『座れ』と指示された状態だから、立ち上がることもできないよ」
マティアスは魔法の杖を振って怪しげな色のお茶を出し、優雅に飲み始めた。私も勧められたけど断った。色が、ね。
「ふぅ。まずは昨日の不手際をお詫びしたい」
真剣な眼差しでマティアスが私を見る。
「ただ、私がヘンリエッタ・キルシュネ伯爵令嬢であるあなたに、婚姻を願い出たのは事実だ。それは間違いない。しかし、昨日結婚式があったことは知らなかった。私は隣国で軍関係の仕事をしていた。結局ガセネタに踊らされていただけだったが」
エーファがティーワゴンを運んできた。私の前にウイスキーによく似た香りがする樽酒入りの紅茶が置かれた。そう。飲まなければやってられないのである。ガツンとした飲み物。気合いを入れる時の私のいつものやつ。もしかしたら前世の記憶の影響なのかもしれない。
「ヘンリエッタ嬢のお父上が軍務の者だというのは?」
「は?」
「ああ、そういえばお母上は突然亡くなったとのことだったな。お悔やみを申し上げる」
「ご丁寧にどうも」
「あなたのお父上は工作員として大変な活躍をされたお方だ。その関係で奥方、お母上は四人のなさぬ仲の子供を引き取られた。まさに慈愛の人だな。ただ、そのうちの兄だけ、伯爵を継いだあなたの兄上だけが異母兄で、他は血の繋がりがないことはご存知か?」
「い、いえ。四人とも父の子だとばかり……」
「あなたのお母上と婚約する前の非嫡出子、それが現キルシュネ伯爵だ。彼は養子にはなったが、元々あなたの異母兄であるのは間違いない。それ以外は仕事の関係で知り合った女性の子供たちだ。父親は不明。届出も確認したが、キルシュネの養子にはなっていない。つまり、そこに座っているヘンリエッタ嬢の異母妹を名乗る女性は平民のままだ」
ユストゥスがマティアスを驚いた顔で見た。
「ヘルマ嬢は知っていたはずだ。自身が貴族ではないことを。親が貴族ではないのを知っていただろう? 知らなかったとしても説明はされているはずなんだがね。教育と衣食住足りた生活という恩恵を与えてくれたキルシュネ伯爵家への、恩返しどころか仇を……」
ヘルマは目を見開いてマティアスを見た後、徐々に力を失った眼差しを床に向けた。マティアスは冷たい目で言い放つ。
「貴族への不敬。伯爵家への不利益。ヘンリエッタへの暴挙。どう責任を取るんだろうね。金もなく、権力も持たず、あぁ、その身で稼げば良いのか。良い妓楼を知っているから紹介してあげようか。それともユストゥスがなんとかするのだろうか? しばらくは隔離生活だからその間にゆっくりと考えるがいい」
「あ、兄上はいつだってそうだ! 僕のことを馬鹿にして! そこのヘンリエッタと結婚したのは僕なんだ。式場で誓い、婚姻届を提出した。いくら兄上がその女と結婚したいと言ってももう遅い! そいつは僕の妻だ!」
「婚姻届とはこれのことか?」
マティアスは署名入りの婚姻届をヒラヒラと揺らし、ユストゥスの前に投げた。書面を上にしたまま床に落ちる。投げるのうまっ。え? 名前がユストゥスになってる! いつの間に?
「なぜ、これがここにあるんだ! 何をした!」
「お前がヘルマ嬢と初夜を迎えている間に、不審に思った司教が俺に届けてくれたんだ。あの司教と俺は飲み仲間でね。慌てて駆けつけてみれば別邸の防犯装置が働いていた。お前たち、ヘンリエッタを誰かに襲わせようとしたな?」
これには私が目を見開く番だった。フリーデが誰かに目配せを送ると、どこかからガタイのいい男性が三人連れて来られた。猿ぐつわのせいでうーうーとしか話せないが、怒っているようだった。あの人たちが襲うはずだったの!? 危なかったー!
「俺の防犯装置が作動していなかったら大変なことになっていたぞ。悪意のある者に反応する装置が作動した後は、中にいる者が別邸から自ら出てくるまでは誰も入れない。装置が上手く働いたお陰で最愛の人を守ることができた。魔法士であることをこんなにも感謝したことは今までなかったよ。もし俺の愛しいヘンリエッタに危害が加えられていたら、考えることすら忌々しいが、お前たちは今頃消し炭だ」
合間合間に私への愛の言葉が挟まってることに気づいているのかしら。なんか直接言われるよりグッとくるものがある。いつどこで私を見初めてくれたのかは謎だけど、守ろうとしてくれた、というよりも、結果的に守ったかんじ? ともかく、私の尊厳は彼の装置によって守られたのだということは分かった。すごいシステムだなぁ。魔法士として優秀なんだろうなぁ。
「兄上がそんな仕掛けを……」
「ヘンリエッタ嬢を案内した侍女はお前の指示だったと言っているぞ。その間お前はあの寝室でヘルマ嬢と初夜を迎えていた。花嫁が入れ替わっていることに気付いただろうに。ああ、共謀していたから折り込み済みか。どこで出会ったかまでは知らないがもはやどうでもいいことだ」
「くっ。私の寝具……良いやつだったのに……」
悔しい。
「浴室も酷いものだった。余程楽しんだとみえる。妹は姉になり代わり、自分は俺に成り代わって侯爵になれるとでも思ったのか? 浅はかな奴め」
「くそっ。上手くいくと思ったのに……」
そんな杜撰な計画で……?
「どうせオスカー辺りに入知恵でもされたんだろう? クラインシュミットが失脚すれば自分が侯爵になれると夢見ているようなやつだぞ? お前はあいつに良いように利用されたんだよ」
「オスカー様は兄上なんかよりよっぽど親身になってくれたんだ!」
あぁ、黒幕ね。ユストゥスはすっかり騙されてるみたいだけど、オスカーの家、ファーバー伯爵家は前から胡散臭いんだよね。色々と。知らんかったか。
マティアスが片手で合図すると、部屋に騎士が数名入ってきた。ヘルマとユストゥスの紐をフリーデから受け取り、乱暴に引っ張って連れて行った。浴室にもお気に入りの物が置いてあったなぁと私は遠い目をした。ユストゥスが兄を呼ぶ声が段々と小さくなっていく。
「ヘンリエッタ嬢、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ない」
「ヘルマも関係していましたし、この結婚は無かったことに」
「いいえ! いいえ! それは嫌だ。あなたが良いんだ。俺は、結婚するならあなたと、と願って……」
「あの、そんな風に思っていただけて嬉しいのですが、いつどこで私を知ったのか分からないんです」
今度はマティアスが目を見開いた。あら、可愛いお顔。それからシオシオと萎びるかのように俯いた。
「俺が厳つく成長したばっかりに……。あの、ティアという人に心当たりは?」
「ティア、というと学生時代の友人で、今は連絡が取れなくなってしまった美しい女性を知っています。……彼女のお知り合いですか?」
「いえ、ティアは俺です」
「え? 体格が全然。え?」
「俺は仕事の都合で女性の姿で学生時代を過ごしました。当時は中性的な見た目で違和感がなかったんですが、成長し始めてからは一気に厳つくなってしまって……リエには言えないまま音信不通に。当時からリエのことが好きだった俺は仕事をなんとか片付けて、やっとの思いであなたに求婚したんです。オスカーの策略とは気付かずに他国に行ってしまい、諸々に対応している間に今回のようなことに……」
「……そうだったの。あ! もしかしてチョーカー好きというのも?」
「喉仏が上手く隠せなくて」
「はあー、全然気付かなかったわ。似合ってたし可愛らしかったもの」
マティアスは何かを誤魔化すように顔を歪めた。
「……私ね、ティアと連絡が取れなくなった後、随分探したのよ? 仕事って、第一王子殿下の婚約者関連よね? 露払いをしてるのかなとは思っていたの。ティアに会えなくなった時はそのせいで良くないことに巻き込まれたのかと思って、とても心配だった。軍の仕事をしていたんだったら隠すのもお手のものよね。でも本当に無事で良かったわ。見た目はだいぶ違うけど、確かにティアの瞳だわ。また会えて嬉しい」
「ありがとう。リエ、ヘンリエッタ・キルシュネ伯爵令嬢、どうか、どうか俺と、結婚してください。ずっとリエと一緒にいたい」
私を見つめる懐かしいティアの瞳。本当に同一人物なんだ。私の答えは決まっている。
「喜んで。元々マティアス様と結婚するつもりでここに来たんですもの。『愛のない結婚』のはずが、時代が追い付いたら結婚したいなんて言ってたティアと結婚ができるなんて、夢みたいだわ。大好きよ、ティア。ただ、優秀な魔法士様の結婚相手が私で良いのかは不安だけど」
この世界の魔法士は数が少なく、魔法士同士の結婚が推奨されていた。
「魔法士同士のってやつは単なる噂だよ。相手が誰でも魔法士が生まれるし、魔法士同士でも生まれない場合もある。だから気にしないでほしい」
「じゃあ、私が心配なことは何もないわ」
「もう一回結婚式を挙げてもらうことにはなるけど、いいかな? リエのドレスも選びたいし、パーティに呼ぶ人も選びたいし」
「結婚披露宴に友人を呼んでいいの? 昨日は相手側の親族のみだったから、呼べるのなら嬉しいわ」
「二回目の結婚式になっちゃうけど」
心配そうな顔で私を見る
「あなたとの結婚式は初めてなんだからそれでいいじゃない。ちゃんと周囲から祝ってもらえる結婚式はまだ挙げられていないし。こうなったら記憶の塗り直しよ! 昨日のお式で失礼だった人とは全員縁を切るわ。親切だった人もちゃんと覚えているもの。仕分けよ。仕分け」
マティアスが私を見る目が甘い。
「リエ、またこうして一緒にいられることになって、すごく嬉しい。抱きしめてもいい?」
「私もよ。どうぞ」
逞しくなったティアに抱きしめられた。私も、やっと見つけた親友を抱きしめる。
正直、かなり厳つくなってる。まだ慣れないけど、ティアは凄く嬉しそうだし私も嬉しい。
本物のマティアスに「お前を愛することはない」って言われなくて良かった。
完