第2話
国王の執務室。
「一度ならず二度までも!くっそ、この筋肉国王!よくも私に、っ、キ、キス!してくれたなぁ!」
椅子に縛り付けられているマチルダは暴れるが、椅子そのものが地面に固定されているため動くことはない。
その姿を見て、国王フィンリーは笑った。
「ガハハハハハ!何を言うかと思えば!正確には七回だぞ!」
「はぁ?!二回だろ?!」
「いや、七回だ!」
キスの回数で言い合いを続ける二人に、傍から見ていた宰相のゼルク・スチットはため息を吐き出す。
「キスの回数などどうでもよろしいではありませんか。お二人は婚約者。いずれ夫婦となるのですから。」
「そうだぞ!」
頷くフィンリーとは対象に、マチルダは一層暴れた。
「夫婦になんかならない!そもそも私はこの結婚話を受け入れていない!」
マチルダがこの国に嫁いできた二週間前、の一週間前。
「マチルダ。お前は三つ隣の国の王に嫁ぐことになった。」
「はぁ~~~?!」
突如マチルダの父であり国王から結婚の話を受けた。
家族や使用人たちはお祝いムードな中、一人、マチルダは納得できないと父に詰め寄った。
「そんなの聞いてない!」
「言ってないからな。ちなみに明日にはお迎え来るから。」
「いや展開が早すぎてついていけないんだが?!」
「三つ隣だからなぁ、あちらのお国に付くには一週間ほどかかってしまうんだよ。あぁ、お前に話さなかったのは、すでに決定しているからだ。まぁ安心しなさい。すでにこちらで嫁入り準備は整えてある。あとはお前の身一つあれば、完璧だ。」
口をはさむことさえできずに告げられていく言葉。
最後に親指を上に立てられ、つい王だということを忘れてその指を曲げてはいけない方向に曲げたくなった。
「っ、なんで…!そんな、急すぎるじゃないか…。私が能力者だからか?!」
「マチルダ…。」
「私が化け物だから、早くこの国から出て行ってほしい、そういうことなのか!ならこんな回りくどい方法なんか使わないで、私に、直接言えばよかったんだ!お前がいると迷惑だから、さっさとこの国から出て行けってな!なのに、なのに…。」
王の近くにいた王妃が、「それは違うわ」と立ち上がるが、マチルダは聞く耳を持たない。
「分かった。そんなに出て行ってほしいなら、今すぐ出て行ってやる。でも結婚はしない。絶対にだ!」
マチルダの名を叫ぶ父と母の声を振り切り、マチルダは謁見の間の扉へ走り出す。
途中、騎士たちが止めようとするが、彼女の前で意味はない。
「増強、両足」
足の筋肉を増強させ、彼らの頭を軽く飛び越えていく。
力強い騎士二人がかりで開ける扉でさえ、簡単に開けてしまうのだ。
駆け出し、そのまま国外へ出るのではなく、城の一番高い所へと舞い上がる。
危なげなく立つその場で、彼女は自身の声帯に増強を施した。
「父上!母上!兄弟!そして国民よ!私はこの国を出ていくことにする!今まで、化け物のような私を受け入れて、そして育ててくれて、ありがとう!どうか元気で!」
国中に響くマチルダの声。
騒ぎの音が聞こえるが、マチルダには関係がない。
用事は済ませた。
「しかし、どこへ行こうか…。」
冒険記のように、世界のあちこちに行ってみようか。
それはなんだかワクワクすることだ。
しかしまずは荷物がいる。
流石のマチルダにも、着替えや金は必要だ。能力で作り出すことはできない。
高いところから降りて、自分の部屋に行こうとした。
しかし降りている最中に気づく。着地地点に人の影があるではないか。
このままの勢いで降りてしまうと確実に死ぬ。
マチルダではなく、そこにいた人がだ。
すこし身を捻り着地地点をずらし、かつ勢いをなるべく殺すように地面に着地。
砂埃の舞う中で足元や周囲に負傷した人間がいないことを確認し、安堵の息を吐き出した。
「全く誰だ、私の着地地点に立っていたのは。ここは王族しか入れない禁止区域だというのに。兄上か!姉上か!それとも双子か!出てこい!」
砂埃が落ち着くまで待とうとしていたマチルダの肩に、誰かが触れる。
誰だ、と振り向いた先にいたのは、兄でも姉でも双子の弟妹でもない。
顔は作り物のように整っている、身長は190越えの筋骨隆々の大男。
「ん?」
本当に誰だ?
疑問を抱いた瞬間、マチルダは目の前にいる大男からキスをされた。
ファーストキス。
驚く間もなく、沈んでいく意識。
(、ど、うして…?)
そして気づいたときにはこの王国に来ていた、というわけである。
「拉致だ。これはどう考えても拉致だ。そんな国に誰が嫁ぐか!」
ガタガタと揺れる椅子。
振り子のおもちゃを見ているようだ、とフィンリーは笑った。
「そもそもマチルダ様。貴方は拉致する前に、結婚しないとおっしゃったではありませんか。つまり拉致してもしなくても、貴方は嫁がなかったということです。であれば、無理やりにでも連れてきた方が良い。合理的でしょう?」
「何が合理的でしょう?だ。」
目の前でずっと笑顔のフィンリーと嫌味をたれるゼルク。
なんとも腹が立つ組み合わせだ。
どうにかしてこの二人の前から、いやこの国から逃げ出せないものか、と考えているときに、ふとマチルダは気にかかる。
「そういえば、なんで私が拉致される前に結婚しないって言ったの知ってるんだ?」
たずねて、すぐにやってしまった、と思う。
父や母から聞けばすぐにわかることじゃないか。
「あぁ、あの謁見の間に我々もいたんですよ。」
「!」
こんな筋肉だるま、いたらすぐ気づくはずだが、どこにいたんだろうか。
「貴方に結婚のことを告げた後、すぐに隣接している待機部屋から入る予定だったのですが…。ふぅ…。その前に貴方が出て行ってしまったので、なんとも微妙な雰囲気になりましたね、あの時は。」
やれやれだと首を振るゼルク。
「ぅ、いや、私だって、あの時は、その……。」
突然言われた結婚話。
ショックを受けていたとはいえ、その隣には旦那になる予定の男がいた。
もし自分がその立場だったなら。
結婚を目の前で拒否されたなら、確かに、少しは傷つくかもしれない。
そう思うと確かに自分に非があるような気がしてくる。
唸るマチルダに、ペンを動かしていたフィンリーが豪快に笑う。
「なに、気にするな!今はこうして夫婦になっているのだから、過去のことなど気に掛ける必要もない!私は寛容な王だからな!ガハハハハハ!」
「いやだから、まだ夫婦じゃないから!」
ゼルクはフィンリーから処理済みの書類を受け取り、内容を確認していく。
マチルダをこの部屋に置いておくのは、彼女を抑え込める数少ない人間が、フィンリーであるからだ。
「そうは言っても、マチルダ様。貴方は能力者。そして我らが王である陛下は、貴方様の鞘。」
鞘。
そう呼ばれる彼らには、特別な力などはない。
至って普通の人間である。
ただ、能力者の人外な力を抑え込む力を持っているというだけ。
力を持つ能力者を刃に見立て、刃が周りを傷つけないようにする。
特殊能力者は、能力を使う代償に暴走する。
暴走の仕方も、起こる間隔もそれぞれ違う。
意識の有無だったり、一度能力を使うと暴走が起きたり何度使っても起きなかったり。
止める方法は、暴走が収まり、能力者が正気に戻るのを待つか。鞘となる相手を見つけるか。
この二つだけだ。
殺すことで暴走は止めることができるが、彼ら特殊能力者を殺すことは禁じられている。
殺すと呪いを受けるからだ。
呪いを受けた者は、苦しみ悶えながらやがて死に至る。
更に呪いは周囲に伝染する。空気でも水でも、なんでも。
呪いの終息は不明。
まるで殺された能力者が生きているかのように、呪いを受けた人間の関係者全員の命が消滅した時、呪いが急に消えたときもあったという。
暴走しても国が滅び、呪いを受けても国が亡ぶ。
災害よりも質の悪い災害だ。
だから能力者たちは、まだ能力が弱いとされる幼い頃に、能力の制御方法と、暴走時の対処方法を実践で叩き込まれる。
そして彼らは能力の暴走に耐え、鞘を探す。
この世にただ一人しか存在しない人間を。
「結局、受け入れるしかないと思いますよ。刃と鞘。それが男と女であったならば、結婚という手段になるのは当たり前ですし。」
ゼルクの確認する書類に内容の不備は見当たらないようだ。
よし、と彼は頷いてマチルダへ視線を向けた。
「逆にマチルダ様にお尋ねしたい。いくら国力増加のため、特殊能力者で尚且つ陛下と歳が近い姫の政略結婚とはいえ、うちの陛下の何が嫌だっていうんですか。こんなにイケメンで秀才で、そして強い!性格だって優しいし漢気に溢れていて、文句の付け所がないじゃないですか!」
「脳みその八割が筋肉で出来ているような男だぞ。」
「…否定はできません。でも頭はよろしいですよ?」
「頭が良ければ良いという話でもない気がするが。」
「ガハハハハハハハハ!!ひどい言われようだな、私は!」
マチルダとゼルクの言葉を気に留めることなく一笑し、フィンリーは書類を片付けていく。
マチルダは盛り過ぎた、と思った。
脳みその九割が筋肉だ、この男は。