第13話
ルリータの命の灯火が、もうわずかだとマチルダは分かった。
この場で命を救うには、オスカーが治癒の能力を使うしかない。
だが、マチルダの暴走、バグザルドの暴走と、彼は能力を使い過ぎている。
オスカーの暴走は避けなければならない。
他に手立てはないのか。
一つ。
たった一つ、マチルダには残された手段があった。
懸命に、皆が守ってくれたもの。
己らの運命を変える、ただ一つの方法。
それならば、この決定してしまっている未来を変えることができるはずだ。
しかし、それを使ったが最後、自分の身に何が起こるのかが、分からない。
暴走の突発的な発動か。
存在の消滅か。
怖いのは、消滅することよりも、誰かを傷つけてしまう可能性があるということだ。
大切な人たちを自分の手で壊す行為だけは、絶対にしたくない。
家族、友人、国民。
そして、彼女が見たのは、少し離れた場所に立つ、フィンリー。
どうすればいい。
何が最善だ。
より良い結果は、どうすれば手に入る。
瞳がこちらを向いた。
何ができる?
強い光は、マチルダにそう問いかけていた。
この場においてマチルダやオスカーよりも弱く、能力者でもない、何の力も持たない、ただの人間であるフィンリー。
彼が何か出来ることはないのかと、まだ諦めていないことに驚いた。
(出来ることなんか何もないと思うだろう。特殊能力者に任せてしまえと、思うだろう、普通。)
笑えてくるから不思議だ。
一歩、マチルダはバグザルドとルリータに近づいた。
彼女の肩をオスカーが掴んで止める。
「駄目です。」
「止めるな。」
「駄目です!せっかく、せっかく隠してきたのです!貴方は我々の最後の希望なのですよ?!これでもしも見つかってしまえば、全てが水の泡に、」
「大丈夫。」
振り返ったマチルダ。
諦めたわけでも、全てを投げ出すわけでもない。
ニヤリと笑った彼女の顔。
昔、会合で星を落とす悪戯を思いついたときとそっくりな顔。
幼かった彼女を引き留めるために許容量ギリギリまで能力を使ったことを思い出し、ついうんざりしてしまう。
きっと今回も同じだ。
止めようとして、何か労を被るのは自分の方。
前回とは違い、マチルダは成長している。
流石に同様の方法で止めることは不可能だ。
であれば、近くで計画を聞き、協力して被害を必要最小限に抑えることに注力した方が良いだろう。
オスカーはため息を吐いた。
息だけで彼の心を理解したマチルダは嬉しそうに笑った。
「と言っても、無謀な策に乗る気はありませんー。ちゃんとした策じゃなきゃ駄目ですからね。」
「分かっている。」
動き出した2人。
様子を見ていたフィンリーは、マチルダがこちらに飛んでくることに気づき、手を広げた。
軽やかに降り立つ彼女は美しい。
羽がなくとも自由に飛んでいける彼女に、鞘という名の枷は意味があるのだろうかとよく分からないことを思う。
どうした、と尋ねる前に、フィンリーの口はマチルダに塞がれる。
キス。
マチルダからの、キス。
初めて、彼女から。
彼女の意思で、キスを。
呆気に取られるフィンリーにしてやったりと笑う。
「国王。頼みがある。」
「は、あ、なんだ!!!!!」
いつもよりもでかい声は、照れからか。
クスリと笑った彼女は、フィンリーの顔を両の掌で包み込む。
その顔は真剣。
「私を待っていてくれ。」
それだけ言って、離れていってしまった。
現状からして、ゆっくりしている暇などない。
オスカーの動きからも推測できるが、彼らはルリータとバグザルドを救おうとしている。
的を得ない願いだとしても、彼女がこんな場でこんな願いをわざわざ告げに来たからには、何か理由がある。
留めるべきではない。
頭では分かっていても、体がつい動いてしまう。
マチルダの腕を掴んだ手を、離せずにいるフィンリーに、マチルダは急くようなことを何も言わない。
静かに待ってくれた。
だから落ち着くことができた。
「では私からも一つ。」
息を整える。
「無事に帰還できた際には、どうか、名前を呼んではくれまいか。」
「…どんなことを言われるかと思ったが。結婚してくれ、とは言わないんだな。」
「ふん!それは必ずだからな!ガハハハハ!」
何も言わない彼女に、手に力が入る。
「…分かった。」
返事が聞けただけで十分。
フィンリーが手の力を抜けば、マチルダは走り出し、バグザルドたちの方へと向かう。
視線は彼らを捉えたまま、近づくことはしない。
彼らに無闇に近づけば、自分に危険が及び、引いてはそれが彼らの邪魔になってしまうからだ。
マチルダの熱を忘れないように強く握りしめる。
「…どうか、そばに。」
願いはいつだって、一つだけ。
昨日も、一年前も、十年前も。
いつだって、変わることはない。
オスカーがバグザルドたちの元に到着するのと同じにマチルダも合流する。
ルリータはすでに事切れていたが、バグザルドはまだ意識があった。
内臓の大半を抉られ損失しながらも生きられる様は、まさに化け物である。
マチルダとオスカーに気づいたバグザルドは、安堵の息を吐いた。
治癒の力を持つオスカーにはわかる。
バグザルドは死にかけている。
もって数分か。
オスカーの視線から自分の寿命を察したバグザルドは、淡く微笑む。
自分の体だ。
本人が一番理解している。
「…たくさん、迷惑をかけた…ごめんね…。…僕が死ねば、魔道具たちは動かなくなる…。…至って、シンプルな話だったんだ…。…僕が死ねば、全部、全部、丸く綺麗に、収まる。」
死ぬことを簡単に受け入れたバグザルドに、オスカーは怒りを覚える。
「悔いはないのか。悔しくないのか。」
響くマチルダの声は静かで、オスカーは自分の怒りを抑え込んだ。
彼女の声は静かだが、静かに、しかし激しく、怒っていたからだ。
「…ないよ…。…結局、反抗もせず、反感も持たず、国の為にと従事したのは、僕の意思だ…。」
「反抗も反感も、貴方はしたはずです。」
「…成し遂げなければ、…それはしたことには、ならない。」
2人を見ていたバグザルドが、腕の中のルリータを見る。
見えなくなったオレンジ。
「……でも、一つだけ。ルリータ、この子のことだけ、だけど、後悔が残る、よ。」
息も切れ切れなバグザルド。
ガッと、衝撃が走る。
思いっきりマチルダから頭を掴まれたからだ。
もちろん能力は制御されてはいるが、それでも普通に痛い。
「あ、の?」
「うるさい。オスカー!」
「はいー。」
後ろにいたオスカーが前に回って、ルリータに触れる。
マチルダに頭を鷲掴みにされている状況も、オスカーがルリータに触れている状況も、いまいち理解できずにいるバグザルド。
困ったように眉を下げたオスカーは、ルリータに触れている方とは逆の手で、ルリータとバグザルドを貫く魔道具に触れた。
「良いですか、“青聖の“。今から、この魔道具に治癒を施します。治癒とは、そもそも元の状態に戻すこと。魔道具は確かにものではありますが、貴方から離れた時点で擬似人格を持つ。ですよね?であれば、ただのものという扱いにはならず、生き物という扱いになります。」
「そう、なの?」
「はい。私の中で。」
「いやお前の中でかーい。」
「随分緩い設定だな」というマチルダの言葉は無視したオスカーは、ゆっくり発光し始める。
魔道具に治癒を施せば、元の位置に戻ろうとする。
元の魔道国に、魔道具を戻すというわけだ。
先ほどの驚異的なスピードで。
別にルリータのような対象がいるわけではない。
魔道具が元の設置されていた場所に戻るだけだ。
ただ、その間に何かしらの障害物があったとしても、障害物が傷ついてしまったとしても、それは仕方がない話というだけで。
「魔道具に治癒を施すと同時に、彼女にも治癒を施します。問題はその後です。」
すでに能力を十分なほど使ってしまっているオスカーが1人の命を救うとなれば、暴走は免れない。
そしてバグザルドもまた、命が尽きれば呪いが始まり、周囲一体が渾沌に飲み込まれるだろう。
「そこで!マチルダ様の出番でございますー!」
始めは理解できずにいたバグザルド。
ただ説明しただけで、理解までは求めていなかったオスカーは、早速治癒を開始する。
体内から魔道具が抜けていく感触は気持ちが悪いものだ。
ずるずると抜けていく魔道具に思考が引っ張られる。
淡く光るオスカーは、魔道具が抜けたと同時にルリータの治癒も開始した。
視界が揺らぐ。
大量の血液が自分の中から出ている。
死ぬのか。
死とはこういう感じなのか。
揺らぐ視界でも、バグザルドはルリータを見失うことはなく。
治癒が終わった彼女の頬には赤みが。
胸は、呼吸により浮き沈みを。
しかし彼女はマチルダによって遠くに投げ飛ばされる。
オスカーが治癒をぎりぎりまでかけていたから怪我はないだろう。
加えてルリータの元にフィンリーが駆けつけたのが見えた。
バグザルドはもういいと思った。
視界が揺らぐ一方で、緑の光が溢れ出す。
オスカーが暴走するらしい。
苦しむ彼を見て、どこか他人事に様子を見ていたバグザルドは、自分の頭と同様に、マチルダがオスカーの頭を鷲掴みにするのが目に入る。
そこで、一つのあることに結びついた。
だめだ!
体に力を入れようとする。
しかし力で叶うはずもない。
振り解けず、彼女は暴走と呪いが始まる特殊能力者に触れ続ける。
だめだ!だめだ!マチルダ、やめるんだ!
体に青黒いもやがかかり始める。
呪いだ。
自分を死に追いやった人間に向けた、悲惨な呪い。
傷つけたくない。誰も、苦しんでほしくない。
でも、それは、それだけは、だめだ!
せっかく自由なのに!
君だけは、せっかく、自由なのに!
顔も見えないはずなのに、彼女はバグザルドの思考が読めたらしい。
「バグザルド。お前は優しすぎるんだよ。」
頑固者ならもっと頑固者らしく頑固に我儘に振舞え。
上から聞こえてくるマチルダの声はとても優しかった。




