中編
人を喰わない鬼――茨木と出会ってから、数日が過ぎた。
家の用事で遅くなる時もあったが、俺は毎日、茨木に会いに行っていた。
何も考えずに話して、適当な返事がくることが、楽しい。
自分が話して、相手が笑うことが、楽しい。
今まで感じたことのない、新鮮な体験に、俺は夢中になっていた。
「こうやって聞くと、二人で遊べるものって少ないんだなぁ」
だらっとした口調で言う、俺。
今日も俺は、いつもの丘の、いつもの木の下で、茨木と話をしていた。
話の他にも、何か子どもたちのような遊びが一緒に出来たら、と思ったのだが、
二人で遊べる遊びは、意外と少ないようだった。
「そうだね。オレが見た町の子たちでも、数人で固まって遊んでいたし」
「鬼が見ていた、なんて知ったら、驚くぞきっと」
「小さすぎる子に見つかったけど、よくわからなかったみたいで、オレの顔の模様を拭き取ろうとしてくれたよ」
「すげー!」
こうやって、茨木の旅の話を聞くことも多い。
それもまた、俺にとっては、新鮮な驚きだ。
家のことと、国のことばかりで、町のことなんて、さっぱり知らなかった。
少し大きくなった濃藍色の猫は、今日も、茨木の膝の上で寝ている。
俺が猫を見ていることに気付いたのか、茨木がそっと猫を撫でて、言う。
「そういえば、この子の名前。全然思いつかないんだよねぇ」
茨木がよく撫でるからか、前よりも、ふわふわとしている気がする。
俺も撫でたい。
良いなぁと思いながら、口を開く。
「少し大きくなった気もするよな」
「豪華な食事のおかげかな」
「そんな豪華でもないだろ」
「豪華だよ」
なんだかんだ、家のヤツらも、猫の食事を用意してくれるので、俺はそれを持ってきている。
俺に外に出ないように言うくせに、持ち運びやすく用意してくれているのだ。
意外と、外に出ているとまでは、思われていないのだろうか。
「徹はさ、よく簡単に名前が思いつくよねぇ」
「恥ずかしいから、やめろ。思いつくっていうか、覚えてたトコから貰っただけだし」
「それでも、すごいよ。オレは全然ダメだぁ」
お手上げ、とでも言うように、茨木は空を見た。
話してて思うけれど、茨木は結構、動作が遅い。
俺は素直なので、一度本人に言ったけれど、栄養不足だから。なんて言う。
栄養不足だから、頭の回転も遅いんだろうか。
「あーあれだ。いっちゃんが好きなモノとかの名前は?」
確か、家のヤツの子どもが、ヒヨコにヤキトリって名前を付けたとか聞いた。
好きな食べ物の名前を付けたらしい。良いセンスだと思う。
俺の提案に、茨木が唸りながら答える。
「うーん。それも考えたけど、オレがいなくなった後に、この子にオレが残るみたいで、嫌なんだよね」
「考えすぎな気もするけど」
「名前なんだから、考えすぎなくらいが丁度良いよ」
「悪かったな、考えずに色々名付けて」
「考えすぎずに、良いと思える名前が思いつくんだから、徹はすごいと思うよ」
「それはどうも」
急に褒められて、少し、照れる。
それにしても、俺が消えた後、残るものか。
考えてみたけど、きっと何も残らないんだろうな。
そして、茨木が消えたら。
「…………あれ?」
思わず、声が出た。
なんだろう、俺、茨木が消えることを考えられない。
考えようとすると、思考が停止する。
「徹、どうかした?」
「あー、いや……あれ……」
「おわ」
何故だか、子どもの頃に禁止された、涙が出た。
こんなところ、家のヤツに見られたら、懲罰どころじゃすまない。
慌てて、袖で拭う。
「そんなに、褒められたことに感動しなくても良いのに」
「してない」
変な誤解をされたせいで、涙が引っ込んだ。
茨木は気にしていないのか、風に舞う葉を見ている。
「徹に名付けてもらうのも、良いかもなぁ」
「俺、そいつに嫌われている気がするんだけど」
「そんなことないよ、きっと」
「そうかぁ?」
自分のことを話していると、気付いているのか、いないのか。猫は、大きく伸びをした。
そのまま、目が覚めても変わらず、茨木の膝から動こうとしない。
たまには、俺の方に来てくれたって良いのに。
「じゃあ、なんか考えてみるか」
猫を見ながら、何となく、俺は呟いた。
こっちを見ない猫の名前。ふと、考えてやっても良いかと、思った。
「あれ?ぱっと思いつかないの?」
「いっちゃんみたいに、俺も、たまには考えすぎてみる」
「別に思い付いたので良いのにー」
その日も、茨木と、そんなことを話し合って、笑って手を振って別れた。
俺の休暇が続く限りは、また明日って言い続ける。
そんなつもりでいた。
家に戻ってきて、トカゲのシャオロンと話す。
今まではずっと、何も考えずに話せるのが、シャオロンだけだった。
でも、もう違う。
「今日も、いっちゃんと話したんだけどさ、アイツ色んな国のことを知っててな」
茨木と話したことを、シャオロンに話す。
シャオロンに話したことを、茨木に話す。
楽しい。
休みって、こんなに楽しいことだったんだ。
それなら、家で働いている奴らが、休みの予定を楽しそうに話していたのも、理解出来るかもしれない。
休みに何があったのか、他の奴らに話してるとき、何故楽しそうなのかも、わかるかも。
「なぁシャオロン。お前も、楽しいとか、嬉しいとか。そういうの。いっぱい、あると良いな」
俺は、話すだけ話して、眠ることにした。
(猫の名前、どうしようかな)
暗い部屋の中で、布団に転がって、考える。
俺が考えている間にも、茨木が、良い名前を思いついているかもしれない。
明日、聞いてみよう。
また、相談しよう。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか俺は眠っていた。
次の日の朝、食卓へ行くと、珍しいことに父がいた。
父がいると、朝飯の食べ方ひとつでも、文句を言われる。
俺は、朝から憂鬱になって、父の方を見なかった。
俺に向けられた、その一言を、聞くまでは。
「あの鬼は、処分した」
弾かれたように顔を上げた。
アノオニ。
言葉が、頭に馴染まない。
知っている単語と、結び付かない。
なのに何故か、頭には一人の姿が浮かぶ。
「猫はどこかへ行ったようだ。だからもう、猫の食事は必要ない」
俺に言っているようで、父は、家のヤツに言っているようだ。
そんな言葉も、頭には入ってくるのに、呑み込めない。
「あ……」
何か言いたいのに、声が出ない。
「勉学に励め。書は何よりの友となる」
父が何を言っているのか、わからないまま。俺は、いつもの丘へと走った。
自分の息がうるさい。
走って乱れた鼓動がうるさい。
足が上手く動かなくて、転びそうになる。
緑が眩しい小高い丘の上の、とても大きな木の下の、大きな根。
そこには。
そこには。
そこには、少量の血の跡があった。
家に戻った俺は、真っ直ぐに、父の部屋へ向かった。
途中、何人かに声を掛けられたようだが、聞こえない。聞きたくない。
砂が付いているせいか、動かすたび、足がうるさい。
外で声を、あげるだけあげたせいか、喉が痛い。
目が痛い。頭が痛い。わけのわからない、どこかが痛い。
全部を覆い隠すように、友達がいない。と、俺がうるさい。
あいつが消した。と、俺がうるさい。
あいつが消した。と、俺がうるさい。
あいつが消した。と、俺がうるさい。
「戻ったか」
父の部屋の戸を開けると、父は俺に背を向けていた。
「いくつか本を選んでおいた。これで」
父がこちらを向く前に、俺は、持っていた刀で、父を貫いた。
そのまま、刀に付けた術符を発動させ、父の体の中を焼く。
生まれた時から、教わっている。
鬼の殺し方。
そして、鬼の体の構造は、人とよく似ている。
『キミに殺られれば、きっと、痛くも苦しくもないと思うんだけど』
どうだろうな、いっちゃん。
嫌な奴らは、面倒だから消してしまえばいいけど。
嫌な奴らだから、苦しませれば良かったかな。
どうだろう。
いっちゃんは、痛くなかったかな。
いっちゃんは、苦しくなかったかな。
俺の友達。
こいつが消した、俺の。俺の友達。
衝動的に、もう動かないそいつに、また刀を振り下ろそうとした時。
急に背中が熱くなって、立っていられなくなった。
「や、やった……これで、これで竜造寺の直系は絶えた……!我が一族の悲願がこれで……!!」
後ろから、声が聞こえる。
誰が喋っているのか、見ようと思ったけど、体は動かない。
頭も、動かない。
別に、いいか。
別に、いいや。
「よし。…………誰か!誰か来てくれ!若君が乱心されて……」
声が遠くなる。
いっちゃんも、消えるとき、こんな感じだったんだろうか。
熱い。
寒い。
猫。
猫は、元気だろうか。
元気だと、いいな。
シャオロン。
猫。
魔物。
鬼。
いっちゃん。
生まれ変われるなら、次は魔物が良いな。
それで。
いっぱい、話を