新たな地へ⑧
今世では、体力には自信がある。
前世では、ちょっとそこまで、も愛車の軽四。
階段を避け、ダイエットは常に明日からの日々だった。
が、今世ではそうはいかない。
車や電車、バス等は当然だが無く、基本的には徒歩。
乗り物と言えるものは馬などの生き物。
公共の交通手段は個人営業の相乗り馬車。
そして、ここは剣と魔法の世界。
警察官は騎士や自警団。
武器は拳銃ではなく剣や槍、そして魔法。
体力や腕力、生存本能と危険察知能力等など、人間の野生の部分が研ぎ澄まされるファンタジーでサバイバルな世界なのだ。
生きるために体力も腕力も脚力もつく。
おかけで前世でのムッチリワガママボディは見る影どころか、むしろなる余裕などもなく……
ましてや領主子息の側仕えという職業柄、今世では無駄な脂肪は付いて無い。むしろ、細マッチョ。腹筋きれい割れてる。下腹部にはエロ筋まである。
前世では絶対に手に入れられなかった惚れ惚れ美ボディ(私的)だ。
そんな人生(前世含め)初体力MAX(私的)になった今世の私でも、今日の道のりは少々どころか、かなりキツイ。
山岳地帯のはじめの頃とは違い、下りが多く徐々に足場が良くなるとはいえ、それでもせいぜい前日に比べて程度。時には崖に近い場所を歩く必要も有る。
馬にも気を使いつつ、足早に歩を進める。
下りに入った時点で完全にイヴェリス族国領内。
比較的国境越えには無頓着なこの今世世界ではあるが、元とはいえ、私達の事情など知る由もないイヴェリス族国の戦士が、敵国の、それも戦場で刃を交えた相手に寛大な対応をしてくれるとは考えにくい……
山岳地帯では木々や茂みに身を隠す事ができないが、岩の影などが有り身を潜める場所が無いわけではない。
今まで以上に周囲を警戒しつつ歩みを進める。
休憩無しでの道程と、襲われるかもしれない緊張感は体力だけでなく、精神的にも辛いのだ。
山岳地から麓の荒野に近づくにつれ、岩や石は少なく小さくなり、丈の短い草や細い枝木がチラホラ見られるようになる。
岩山を登るような数日前とは大違いの景色だ……
振り返るカリアンと目が合う。
ここからは馬での移動の様だ。
先程までの山岳地帯とは違い、だいぶ麓に降りてきたことからコートは不要と、手早く脱ぎ、折り畳み仕舞っていく。
汗をかいたこともあり、ちょっと体臭が気になるが……今考えることではない……
コートを仕舞ったところで、異変はやってきた。
山岳部の方からピーと甲高い音がした。
笛の音に似たこの音は鳴き声だ。
《岩石山羊》という魔獣の鳴き声。
「……」
背後を見るも、人影や動くモノの気配は感じられない。
……遠いところから見られている…のだろうか……
「…、駆るぞ。」
カリアンも周囲を警戒する。
一気に緊張が走る。
岩石山羊は魔獣ではあるが、騎士の憧れ《戦闘馬》や天空騎士の《天光鳥》、ドラゴンナイトの《飛竜》の様に人と共に生きることのできる従魔獣の一種で、前世のヤギとシカを混ぜ合わせた様な見た目の魔獣だ。
ぶ厚い皮膚と絹のようになめらかで柔らかな毛並は鋼鉄に値するほど硬く寒さに強い。多種の形ある角は先が鋭く、その角で突かれれば岩も砕けるほどの威力と強度を持つ。何より標高高い山岳部に生息するかの魔獣の脚力は凄まじく、戦闘馬に匹敵するほど速く、空飛ぶ天光鳥や飛竜に届くほどのジャンプ力を持つと噂されている。
また、断崖絶壁さえも駆け抜けるバランス感覚と体感、そして特殊とも言える蹄を持っている。
そして、そんな岩石山羊をイヴェリス族国の戦士は馬の様に駆るのだ。
見晴らしの良い荒野。
イヴェリス族国の戦士に見つかったのだろう。
できることなら馬に水を飲ませたかった……
カリアン共々急いで馬に跨り、全速で走らせる。
時々背後を見るも追っ手は見られない。
だからといって油断は禁物。
こちらは軍馬。
訓練され、体力のある軍馬とはいえ、所詮はただの動物。
魔獣に分類される岩石山羊なら、たった一跳で追いつける場合もある。
正午を少し過ぎた明るい日差しの下、ひたすら駆ける。
ピーュィーイー
また鳴いた。
さっきよりも近い。
鳴き声が聞こえた方向に首を振る。
背後ではなく、斜め後ろ。
ほとんど横に近い。
かなり距離は有るが明らかに影が見える。
比較的平坦な駆け姿の馬とは違い、上に飛ぶように進む影が5つ。
「カリアン!左斜め後ろ!5!」
武器を手に取る。
手にしたのは弓。
できれば近付かせたくはない。
今の私達は旅姿。
軽装防具なうえ、荷物は多く、馬も人も疲れによりコンディションは良くない。
少しでも距離を取るため斜めに前進する。
短弓に矢をつがえ、片手に持ちつつカリアンの後に続く。
やはり岩石山羊の脚力は凄まじく、危険を察した馬が頑張ってくれてはいるものの、明らかに距離が縮まっている。
遠目ながらも岩石山羊に乗る戦士の姿を確認できる距離まで接近された。
茶色に赤や黒、灰色の斑点のある体躯。
先端が鋭く尖り、鹿の様に細長く枝分かれした角やトナカイのように分厚い1枚の膜の様な角、水牛の様に大きく太い角など、岩石山羊の特徴的な部分や、岩石山羊に跨がる戦士の靡く長い髪、毛皮の羽織や胸の膨らみ、背や腰に収まる戦斧や剣等武器の輪郭が見える。
とはいえ、あくまでお互いの輪郭が目視できる距離。
まだ短弓が届く距離ではない。
これ以上寄られれば………
短弓を持つ手に力が入った時、ふと、気付く。
向こう側は武器を手にしていない。
「弓を戻せ!」
カリアンからの一声。
「…しかし…!」
「向こうは無手だ!」
「…、…」
そうは言うが……
これから武器を手にするかもしれない。
数でも劣るのに……
「シェリス!!相手はイヴェリスの戦士だぞ!」
「…、…!」
イヴェリスの戦士。
王国との交易は無く、ヴァンディエム領が守る国境では常に小競り合いを繰り返していた。
そんな彼の国の戦士達の大半は女性である。
わかり易い単語だと、『アマゾネス』、だろうか?
イヴェリス族国は、怪力と名高い女王が統べ、女尊男卑、一妻多夫の国。
武力に勝る大柄で筋肉質な女性と、彼女達に傅く数多の優男達。
故にイヴェリス族国の戦士のほとんどは女性。
もちろん男性の戦士も居るが、基本的には盾役や捨て駒に近い扱いだ。
そんなイヴェリス族国の戦士とそれなりの期間命のやり取りをしてきた私達は、彼の国の流儀やこだわりに触れる機会が多かった。
『無手ならば、無手で居れば良し』
国境での見回りや情報収集など、動き回れば偶然敵に遭遇することも有る。
その際に、戦闘になる場合とならない場合があった。
突き詰めて行けば武器を手にしているかどうかの単純な違いだった。
どちらか片方が武器を手にしていれば戦闘になる。
もちろん、両者が武器を手にしていれば問答無用で命のやり取り。
両者共々武器を手にしていない時、その時が戦場での奇跡。
まるでそこに居るのは野ウサギとでもいうが如く去っていくのだ。
その法則に乗っ取るのであれば……
「……」
弓をしまう。
不安が拭えないが……向こうの5人には武器を手にする気配は一向にない。
そうしているうちに、5体の岩石山羊と距離を保ったまま横並びになる。
警戒を解くことなく馬のスピードを上げ、イヴェリス族国の戦士とカリアンの間に入るように並ぶ。
ーー何かしらあっても先に対応できるように。
視線の先では5体の岩石山羊が跳ねている。
よく見れば先頭の女戦士に見覚えがあった。
何度も武器を交えている相手だ。
顔を合わせすぎて、軽口まで言い合うようになった相手。
毛皮を集める私を憐れんだ相手。
肉を渡すことで見逃してくれた相手。
向こうは何もせず、ただ跳ねている。
互いを警戒するかのように、距離を保ったまま2頭と5体はスピードを緩めることなく駆ける。
そのまま互いに距離を保ちながら駆けていると、突然5体のスピードが落ちる。
そして、脚を止めた。
チラリとふりかえれば、ピューイピューイと岩石山羊の合唱が聞こえる。
そのままイヴェリス族国の戦士は追っていくることはなかった。
見逃された、と思えばいいのだろうか……
遠ざかり、小さくなり、見えなくなっていく。
姿形が小さくなり、みえなくなっても遠く背後から岩石山羊の鳴き声が聞こえてくる。
小さくなる鳴き声を寂しく思うのは、王国での生活の半分程は血生臭くはあったが、彼の国との濃密な関わりがあったからだろうか……