新たな地へ⑩
「厩へは息子が案内をする。」
と、言われ顔を見せたのは、店主と同じ赤茶の髪と茶の瞳の優しそうな青年。彼は、ノアと名乗った。
荷物を店主とカリアンに託し、ノアに案内されて2頭の馬を店の裏の厩に連れて行く。
チラチラとノアが見てくるのが気になるが……気付かないふりをする。
「こことここを使ってください。馬具は馬房の横の棚に入れてくださいね。」
ランタンの灯りにボンヤリ照らされた厩はシンプルな作りだ。
6つある馬房は3つづつ向かい合わせになっている。
奥の1つには茶色と白の斑模様の馬が居た。
促されるまま馬を指定された馬房に入れる。
ノアが手綱を引くカリアンの黒色の馬と私の茶色の馬の馬房は隣だ。
王国で使っていた馬房よりは狭いものの、広さは十分だし寝藁も清潔そうだ。
安全な場所で休めることを理解したのか、馬は飛び込むように自ら入っていく。
馬をなだめつつ、鞍や手綱、鐙等の馬具を外してゆく。
外した馬具はノアが教えてくれた、馬房の横にある扉付きの棚にしまう。
棚は二段で上の段にはブラシなどの手入れ用品が乱雑に置かれていた。
どうやら下の段に馬具を入れるようだ。
手綱等の紐状の物は……木の扉の内側につまみが付いており、そこに引っ掛けて収納する様だ。
木の扉の鍵の無い棚。
馬具は一応、貴重品。
さて……
「…不安ならお部屋に持って行きますか?一応、お客様が泊まる時は俺か父が寝ずの番をして見回りますけど…」
カリアンの馬の馬具を外していたノアが手を止め言うが、まぁ、きちんと管理してくれるならいいか……
それに……もしも盗まれたとしても、犯人はこの村の人間しかいないのだし……
それにしても、そんなに不安そうな顔をしていたのだろうか…?
これでもポーカーフェイスには自信があったのだが…
私は彼に笑顔を向ける。
「きちんと管理してくださるならここで大丈夫です。」
「そうてすか。では、こちらの馬具もここにしまっておきますね。」
「よろしくお願いします。」
柔らかで素朴な笑みを返してくれたノアは、馬具を棚にしまうと、今度は井戸で水を桶に汲んでくれている。
なんて良くできた息子さんだろうか。
ノアが水を入れてくれた手桶をありがたく手にし、馬の口元に持っていけば、勢いよく馬は口をつけ、すぐに水は飲み干されてしまった。
横の馬房ではノアがカリアンの馬に手桶で水を飲ませてくれていた。
では、今度は私が井戸から水を汲む番だ。
「あ!俺が!」
「手が空いてますから。」
手桶を馬の口元で持ったまま慌てたように叫ぶノアを笑んで制する。
新たに水を入れた手桶の水を馬房の水桶に入れる。
これでいつでも馬は水が飲める。
その間に馬に水を飲ませ終えたノアが新しい水を手桶に汲んでいた。
「ブラシ、借りますね。」
棚を指差し、ノアの了解を得てから手入れ用のブラシを手に取る。
丁寧に馬の身体をブラッシングしながら、視界の端で隣の馬房の様子を見ることも忘れない。
ノアが馬に何かするとは思えないが、念の為だ。
ノアは手慣れた様子でカリアンの馬を手入れしている。
もしかしたら、奥の斑柄の馬の世話をしているのは彼なのかもしれない。
「餌は分けてもらえますか?」
一通りの手入れを終え、手入道具を片付けながら問いかける。
「あ!はい。厩代に含まれていますよ。」
「それは、ありがたいです。えーと、その、ちなみに…」
「ああ、えーと、牧草とトーモコシ、ですね。」
トーモコシは、トウモロコシだ。
今世のトウモロコシの粒は黄色くない。青色だ。真っ青だ。
「そうですか。ちなみに、野菜か果物は何かしら追加することはできますか?」
「え、と、今の時期だと…キャロ、ですかね…」
キャロは、ニンジン。見た目は前世と同じだが、大きさは大根だ。
「料金がかかっても良いので追加できますか?かなり無理をさせてしまったので、ご褒美的な…」
「父に聞いてみます。」
「お願いします。」
手入れを終え馬の鼻先を撫でてから、カリアンの馬を見る。
カリアンの黒い馬の鼻先も撫でてやりながら馬体をチェクしていく。
カリアンの黒い馬は、私の茶色の馬よりの一回り大きい。
私の馬もだが、カリアンの馬も無理をした分、毛艶が良くなく疲れが見えるが、問題は無さそうだ。
手入れ道具を片付けたノアが見ている事に気づく。
さっき感づかれたこともあるし少し気まずいが、いつもの笑みを絶やさないように気を付ける。
「手入れも終わりましたし部屋に行きますね。このコ達をお願いします。」
「あ、はい!あ!ご案内します!」
ノアは慌てたようにランタンを手にし先導する。
どうやら部屋に案内してくれる様だ。
店主に部屋の位置を聞けばいいと思っていたのだが、案内してくれるのはなら、ありがたい。
正面の入り口から入る。
酒場の客はまだ居て、ノアの後に続く私を目で追っているのがわかる。
ジロジロ見られるのはいい気分ではないが、夜更けにやって来た怪しい二人組の片割れである自覚はあるので知らんぷりを決め込む。
「父さん、この方の部屋は?」
「あぁ、奥の二人部屋だ。鍵はお連れさんが持ってるから案内してやりな。」
「わかった。こちらへどうぞ。」
店主に軽く頭を下げ、ランタンを2つ手にしたノアの後に続く。
一階の酒場の脇にある階段を上がる。
二階は宿泊部屋になっていて扉が並んでいた。
と、いっても街や都に比べれば半分の部屋数も無いが……
「ここが便所です。」
ノアが館内説明をしてくれる。
階段を上がってすぐ目の前の扉だ。
小さな村では珍しく2階にもトイレが設置されていた。
中世ヨーロッパに近いこの世界には水洗トイレなんてあるわけがない。
なので俗に言う『ぼっとん便所』と言うやつが主流だ。
貴族などの家では陶器だが、一般的な便座は木の箱をくり抜いた椅子のような物。
木枠の下は土魔法で土を固めた土壁や土管でできた便槽になっている。
外にある木蓋を開けて定期的に汲み取り、畑などにある肥溜めに移動させるのだ。
大きな街や都、王宮や施設等では、臭気が漏れ出さないようにした排泄物を溜めておく専用のマジックボックス『プーボックス』があったり、『イクスリタアメーバ』なる汚物処理専用生物を飼っていたりする。
プーボックスは、各トイレに一つづつの取り付けで、一ヶ月〜2ヶ月毎にボックス自体を取り替える方法となっている。
イクスリタアメーバは『スライム』なる魔物を倒すと回収できる『アメーバ』という無生命体の一種で、汚物を分解することができる汚物処理専門アメーバだ。
王宮やお金持ちのトイレはこのイクスリタアメーバが主流だ。
ボックスのように交換する必要がなく、大きさもアメーバが入る程の大きさで良く、半永久的に使用可能で、処理物が出るわけではないので破棄や交換の手間も少ない。アメーバ自体が増殖や繁殖をすることもない。
お手入れとしては、アメーバが入るボックスが劣化し破損すれば、破損部分からアメーバが何処かに行ってしまうので、修理、交換が必要だ。
アメーバは、無生命体となっているが、それは、スライムの持つ特有の魔核無いからであるが、実は魔物である、とも言われる。が、実際のところ解明されておらず、不明な何か、のままである。
また、どんなスライムから何に特化したアメーバが出るかも謎であり、運、と言われている。
錬金術の素材にもなるなど、不思議で幅広い用途に使える便利な『物体』なのだ。
ともあれ、この様なおトイレ事情のため、辺境や小さな村では2階にトイレが有るのは意外と珍しい。
ではこの場合の2階のトイレの仕組みは?
単純だ。
2階のトイレの下には一階は無く、直接便槽になっている。
おそらくは、一階のトイレはこの二階トイレの横辺りにあり、一階と二階のトイレの便槽が横長に作られているのだろう。
と、造りを想像しながら、
「わかりました。」
と、頷く。
「水場にもご案内しますね。」
と、ノアは階段を上がって左側の奥に進んでいく。
2つの扉を通り過ぎた突き当りに水場があった。
この世界での水場とはキッチンみたいなもので、井戸と洗い場、作業台、竈門がある。
ノアが水場の扉を開けると、真正面の窓の前にはロープの付いた手桶が置かれている。
おそらく窓の外、その下に井戸が有るのだ。
今世では生活用水のほとんどが井戸水。地下水だ。
なので、井戸はトイレとは離れた場所に有るのが一般的。
何かしらの理由で便槽の土壁が割れて井戸水に交じるのを防ぐためだ。
大きな街や都は水路を使った井戸を各家庭の水場に設置し、手押しポンプで汲み上げているが、この村は外井戸だ。
ここは二階であるため、窓の外にある井戸にロープの付いた手桶を落とし水を汲み上げるのだ。
部屋の中には小さいながらも竈門もあった。
流石に竈門の下は石敷きされている。
使った水を捨てる流しもある。
トイレ同様の形で水捨て用の排槽が地下に設置されているのだろう。
排槽は便槽とは違い所々に穴が開いており、その穴から排水がそのまま地中にも吸収される仕組みになっている。
ランタンの灯りに照らされる室内を確認し、ノアに頷くことで確認を終えたことを伝える。
「では、お部屋に案内しますね。」
と、水場とは逆の方向に向かう。
登ってきた階段と階段正面の二階トイレを通り過ぎ、水場とは逆の奥の部屋。
「この部屋になります。」
と、最奥の角部屋を指す。
「鍵はお連れ様が持っているとのことなので…」
ランタンを1つ渡される。
「もし、お食事が必要なら下に来てください。まだしばらくはやってますので、簡単なものなら出せます。」
と、ノアは言って去っていった。
ノアに礼を言って、カリアンが居るであろう部屋をノックする。
短い返事を聞き、軋むドアノブを回す。
鍵はかかっていなかった。
無用心な……
「失礼します。」
部屋は意外と広く、扉の前には壁付けされたテーブル。
背もたれ付きの木の椅子が2つあり、テーブルの上には灯りの灯された長さの違う太い蝋燭が2本立っている。
奥の角には3段の棚があり、上には木の洗面器か置かれている。
恐らく引き出しの中にはタオル等が有るのだろう。
壁には衣類等を掛けておけるフックが三つとり付けられていた。
部屋の奥の方には木製のベッドが2つ壁付けされている。
ベッドとベッドの間にはサイドチェストが一つ置いてあり、サイドチェストの上にはランタンと鍵が置かれていた。
左右の壁には2つづつ燭台がついており、そちらにも蝋燭に火が灯されている。
蝋燭の揺らめく灯りの中、カリアンは窓際側のベッドに腰掛けていた。
足元には荷物を入れた袋が置かれ、戦斧が立てかけられている。
廊下側のベッドには私のハルバートが寝かせられ、床には私の荷物が置かれていた。
「この部屋の鍵だ。」
「ありがとうございます。」
ポイっと投げられた鍵を空いていた方の手で受け止める。
サイドチェストの上にある鍵とは別の鍵。
つまりスペアの鍵であろう。
丸い輪っかの持ち手から伸びる棒の先に2つの突起の付いた、漫画の様な鍵だ。
まじまじと鍵を見つめた後、私は手に持っていたランタンと共に鍵を机に置いた。
装備を外し始めたカリアンにならい、私も装備を外すことにしたからだ。
装備を外す前に出したのは外では地面に敷いたり羽織ったりと活躍した厚手のブランケット。
床に敷き、外した装備をその上に置いていく。
装備や武器の保管は、自身の家や部屋を持っているのならば保管場所を設置するのだろうが、宿ではそんなわけにはいかない。
私の装備は革製の装備なので比較的手入れしやすいが、カリアンのように金属素材だと、床に傷がついたり、装備と装備がぶつかり傷付く事もある。
それを防ぐために下に敷くのだ。
私は革製の篭手、脛当て、胸当ての順に装備を外していく。
常に付けていたので、外した時の開放感たるや……
コルセットはしたままだが、それでもやはり防具を外したときの開放感は、格別だ。
装備を取り払い、並べてから手ぬぐいを引っ張り出して装備の汚れを拭う。
自身の装備の簡単な手入れが終わり、カリアンが外し置いた装備にも手を伸ばす。
が、伸ばした手をカリアンに掴まれてしまう。
「お前は俺の従者でも何でもねぇ。そこまでするな。」
と言われてしまった。
今までの辺境伯邸での仕事の癖がついつい出てしまっただけなのだが…
「…、わかりました。」
しなくていいと言っている事をしても仕方がないので素直に引き下がる。
「……。」
夕食は……、カリアンが装備を拭き終えてからだろうか…
カリアンの装備は私の革製の装備とは違い、防御力の高い金属製。さらに、体格が大きい分装備も大きい。その分手入れの時間もかかるのだ。
では、その間に荷物の整理に取り掛かることとしよう。
まずはコート。
山岳高所での移動の間着続けたコートだ。
……、何となく…、何となく臭いを嗅いでみる。
………、……、臭くは、ない?みたいだが……自分の体臭って、自分では判らないしな……
ザックの中から皮の巻袋を取り出す。
真ん中を緑の紐で括られている巻袋。
紐を解き、広げ、上部の皮を開く。
巻袋の下半分は細かく区切られたポケットになっている。
そして、その全てのポケットには細長い小瓶が差し込まれている。
私はその中の一本を取り出す。
ラベルには薬草の名前。
葉の成分に除菌、消臭効果のある『セッシュ草』という名の薬草。
その薬草をみじん切りにして、煮て、布で濾して、その煮汁を更に煮詰めて、トロミが出たら完成する除菌消臭原液、その名も『セッシュ原液』またの名を『クリーン原液』だ。
錬金術の魔力を使わずに作れるアイテム集の最初のページに載っている生活アイテムの一つで、ハーブと鍋と濾し布と保存瓶が有ればで、誰にでも作れる初歩中の初歩のアイテム。
水で3倍程に伸ばし『セッシュ水』またの名を『クリーン水』にして使用する。
緑の綴紐の巻袋は既に使えるようになっている物なので、装備を手入した物とは別の手ぬぐいに『クリーン水』を染み込ませ、適度に湿った状態でコートの内側を拭いていく。
内側の毛皮部分の後は外側を拭き、フックに掛ける。
「カリアン、コートを出してください。少し干したいです。」
手を伸ばし伝えるとカリアンが睨むように見てくる。
が、気にしない。
カリアンは私よりも汗をかく。
暑かったり動いたりすると私は赤くなるが、カリアンはとにかく汗をかくタイプなのだ。
なので、ここは引けない。
「ついで、です。コートが臭くなるのも、カビが生えるのも嫌でしょう?誰が作ったとおもってるんです?」
と、口早に言えば、金属製の肩当てを拭う手を止めたカリアンは、丸めたコートを取り出す。
それを受け取り、ほつれなどがないか軽く確認してから自身のコート同様に拭き上げフックに掛ける。
その頃にはカリアンは全ての装備を外し、拭き終えていた。
手ぬぐいニ枚を畳んでテーブルに置き、
「ノアが、簡単な物なら夕食を出せると言っていました。行きませんか?」
夕食に誘う。
「ノア?」
「店主の息子さんですよ。馬を預けたじゃないですか…」
「ああ…」
興味の無さそうな返事をして、カリアンがおもむろに立ち上がる。
返事は無いし、ノアにも興味は無さそうだが、夕食に行くという意思表示は伺えた。