↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

「夜にオオカミになる奴となんて結婚出来るか!」と理不尽に婚約破棄された令嬢。野生に帰っていたところを隣国の王子に拾われ溺愛される、が……?

作者: ほうじ茶だいすき
掲載日:2022/10/29

「エステル・ドゥ・シャノワール! お前との婚約を破棄する!」


 絢爛豪華な昼間のパーティ会場。優美な音楽が流れ着飾った貴族たちが華やかに談笑しあうその最中で、そんな声が高らかに響いた。

 声の主はシャルル・ドゥ・ブランシャール・ローラリア。涼やかな美貌を持つ金髪の美青年であり、名前の通りローラリア王国王家の血を継ぐ第一王子であった。

 そんな彼が指を突きつけた先にいるのは、一人の令嬢。


 小柄な少女だった。身に纏うドレスは体格に見合って美しさよりも愛らしさを優先したフリルたっぷりのデザイン。それより更に目立つのは艶やかに伸ばされた夜を思わせる黒髪。その下にある小さな顔は人形のように整っており、黄金色の瞳は突然のことに大きく見開かれていた。

 令嬢は手を口に当てながら、震える声音で問う。


「な、何故ですか……!?」


 彼女、エステル・ドゥ・シャノワールは『とある一点を除いて』非の打ち所のない令嬢だった。

 生まれは侯爵。それも国難を幾度も救ってきた名門。両親は見識豊かで治める領地は飢え知らず。そしてその元で健やかに育ったエステルも、聡明な少女であった。

 学院では優秀な成績を残し、茶会の話題もそつがない。容姿は大変愛らしく、礼儀作法も数カ国に渡って熟知している。

 どれを取ってもこの王国で一二を争う完璧令嬢。それがエステル・ドゥ・シャノワール。だからこそ、この国を受け継ぐシャルル王子の婚約者としての座を勝ち取った。

 だがしかし、その座から今追い落とされようとしている。


「何故だと? 決まっているだろう……!」


 その理由は。王子が怒りに(まなじり)を震わせ指先すら定かならずなんだったら膝すらカクカク揺れているその理由とは――。


「お前が夜にオオカミに変身するからだろうが――!!」


 割りと万人が納得できる理由だった。




 声が響いた瞬間から息を潜め成り行きを見守っていた貴族は「あぁ~」と納得の声を漏らした。中には「然もありなん」と頷いている者もいる。というか大分いた。


 そう、完璧令嬢エステルの唯一の欠点。

 それは夜、日が沈むとオオカミになってしまうことだった。

 何故このようなことになってしまうのかというと、それには大層で色々な理由が複雑に絡み合った結果だった。

 例えば遠い遠いご先祖に半獣半人な神様の英雄がいたり。

 例えば魔女の危機に晒された王国を守る為、末代まで呪われた遠いご先祖がいたり。

 なんだったら祖父が獣の特徴を身体に取り入れる大魔術を開発し実際に自分の身で実験してみたり。

 更に言えば父親はもっと酷く、ずっとオオカミの姿で新月の夜にしか人間になれなかったり。

 そんな諸々の事象が絡み合った結果だった。

 つまりは遺伝であった。

 むしろそうならない方がおかしいレベルだった。


 それでもそんなシャノワール家が貴族としての地位を確固たる物としてきたのは、やはり王国の危機を何度も救ってきたからだ。

 特に今代のシャノワール家当主に至ってはドラゴンと真っ向から対峙し殴り合った末、山へと追いやった実績の持ち主だ。偉業であるが故に誰も文句を言えない。あと多分、普通に怖くて言えない。

 しかしエステルはまだ何もしていなかった。つまりごく普通の貴族令嬢。

 故に王子は今の内に婚約破棄してしまおうと考えたのだろう。


「お前のように恐ろしい化け物に俺の伴侶となる資格など無い!」

「そんな……!」


 ショックのあまりエステルは膝をつく。その瞬間、床がミシリと軋んだ。

 分厚い絨毯があり、石材で出来ている筈の舞踏ホールの床が。

 エステルの変身するオオカミは普通のオオカミではない。人の二倍ほどの体長があるのだ。そしてその体重は、そのまま人間態のエステルにも適応される。

 つまりエステルの体重は馬よりも重かった。

 王子は見なかったことにした。周りの貴族たちは聞かなかったことにした。怖いから。


「ですが王子! 私と婚約を破棄してもその代わりとなるお人はいるのですか!?」


 エステルはショックを受けながらも懸命に食い下がった。それは捨てられかけて追い縋る哀れで儚い乙女のように見えた。……沈んでいる絨毯さえ見なければ。


「この国の慣習からして王子の年齢で王族に婚約者がいないなどあり得ません! 余程残念無念な甲斐性無しなのかあるいは男性機能に問題があるのかと疑われてしまいます!」

「じゃかあしい! ……ふん。その点にはもう代わりを見つけている」


 この発言には流石に成り行きを見ていた貴族たちもざわめいた。あの恐ろしいシャノワールと対抗してでも婚約者の地位を狙う命知らずがいたのかと。

 王子はホールの外へ繋がる入り口を指し高らかに言う。


「彼女が俺の新しい婚約者、キャロライン・アップルウッドだ」


 そして入場してくるのは。


「オーッホッホッホ!! 皆様ご機嫌よう! ご紹介に与りましたキャロライン・アップルウッドですわ!!」


 テンプレートだなぁ。と貴族たちは思った。あと声がデカいとも。

 純金を塗り固めたか如き金髪を縦ロールに巻いた女だった。パッチリバッチリと見開かれたサファイアの瞳は自信たっぷりな光が浮かび、化粧は濃いが元から美人であることが窺えて。身に纏うのは宝石たちをこれでもかと着飾った財力の主張が激しい黄色いドレス。そして手には扇子を持ちパタパタと仰いでいる。高飛車なお嬢さまと言われれば、真っ先に思い浮かべる程にテンプレートな貴族令嬢だった。

 令嬢は堂々と歩きながら王子の隣に並ぶ。


「彼女は西の隣国から留学してきた公爵令嬢だ。俺がシャノワールについて相談したところ、ならば自分が婚約しようと名乗り出てくれた」


 それを聞いた貴族たちは納得した。なるほど、隣国の貴族ならシャノワール家を知らずとも仕方が無いことだ。そして公爵ならば王子と婚約を結び直してもおかしくはない。隣国同士の絆が深まれば国益にも繋がる。悪くはない話だ。


「ホホホ。殿下の熱心な口説き文句についつい絆されてしまいましたわ」


 そう言ってキャロラインは扇子で赤く染まった頬を隠し、王子に向けて熱視線を送る。どちらがどちらへ向けて矢印を送っているのか一目瞭然な光景だった。

 隣国の公爵がそう申し出て、王子が了承した。

 なれば、この決定にも一応の筋は通る。少なくとも外野の関係ない貴族たちが異を唱えられない程度には。

 納得いかないのはエステルだ。


「……それでは、私はどうなるのですか?」


 エステルの瞳から一条の涙が流れた。儚げな表情はあまりにも悲痛で、周りの貴族の何人かは罪悪感に呻いている。しかしそれでも、王子は一喝した。


「お前のような化け物など追放に決まっている! 二度とこの国の敷居を跨ぐでない!」

「そんな! そのような横暴が……」

「うるさいうるさいうるさい! 早く連れて行け!」


 まるで駄々をこねるかの如き王子の命令に従い、パーティー会場へ近衛兵たちが現われる。黄金造りの豪奢な鎧を身につけた勇姿は国の誇りだ。しかしエステルを連行しようとするその姿は大分おっかなびっくりだった。

 大丈夫かな?

 襲われないかな?

 ていうか運べるかな?

 そんな調子でビクビク怯えながらエステルの両脇に近づいていく。兵士でも怖いものは怖い。


「えぇと、シャノワール様……」

「申し訳ありませんが……」

「……えぇ、分かりました」


 しかしエステルは侯爵令嬢。気丈にも涙を拭いて立ち上がると、自らの足で会場を後にする。


「……殿下」


 それでも最後に未練ありげに振り返る。だが当の本人はそれを煩わしそうに手を振って追いやった。


「シッシ! さっさと出て行け!」

「……はい」


 エステルは悲しそうに目を伏せ、会場を、そしてこの国を去った。

 以後エステル・ドゥ・シャノワール侯爵令嬢がこの国へ帰ってくることは二度と無かった。







「ウオォォーーーン!」


 半年後。

 エステルは野生に帰っていた。


「ガウッ! ガウガウッ!」

「グルルルル!」


 夜の森の中で二頭の獣が対峙している。一頭は縞模様と太い手足を持つ虎。もう一頭は虎とも引けを取らぬ、むしろより大きなオオカミ。エステルだ。

 二頭は激しく取っ組み合い、互いの身体に牙を突き立てる。もんどり打って地に落ちれば爪で土を掻き、タックルで身体をぶつけ合う。

 野生の応酬。

 その果てに勝利したのは――エステルだった。


「ギャイン!」


 吹き飛ばされて木に背をぶつけ、そして本当に痛かったのかそれで悲鳴を上げて逃げ去る虎。勝利したオオカミはどうだ見たかと言わんばかりに鼻をフンスと鳴らす。


「ウオオォォーーーン!!」


 そして勝利の雄叫び。今宵もまた、縄張りを守り切ったのだ。


 んで。


「ウオォーー……あぁまたやっちゃったーー……」


 頭を抱えて。

 一人沈む。


「はぁー……もうすっかりオオカミそのものだよぉ……」


 そう言ってゴロゴロと草むらを転げ回る。その仕草だけを見れば少女がベッドの上で恥ずかしさを紛らわせているような可愛げを覚えるが、しかしやっているのは人より巨大なオオカミで、草花は体重でぺちゃんこに潰れていた。

 オオカミになるからといって、理性が無くなる訳では無い。無いのだが、人の手が入っていない森という環境がエステルから文明を奪い去ってしまっていた。


 こうなったのには、勿論理由がある。

 まず追放の仕方がかなり杜撰だった。

 普通貴人の国外追放というのは家財を持ち出すことを許し、国境線までは見張り件警護をつける物だ。どんな罪人であっても着の身着のままで放り出すようなことはしない。

 のだが、エステルにはそれが起こってしまった。それが王子の指示なのか、それともエステルを恐れすぎて一刻も早く国から出してしまいたい現場の暴走だったのか。とにかくエステルは家に帰って親と顔を合わす暇も無く国から追い出されてしまった。エステルはパーティーで着ていたドレスのまま、都市とは遠く離れた辺境を流離(さすら)うこととなってしまった。


 で、単純に迷った。

 賢いエステルは国境周辺の地理は地図を見て把握していたが、それでも予習するのと実際に来るのとでは話が違う。方位磁石などもないので方角も分からず、彷徨う内に森の中へと迷いこんでしまった。

 そして悪いことに。

 その森は、二度と出られない『迷いの森』として有名な大樹海だった。


「はぁー……ご飯食べよ」


 気付いた時には大分奥地で、引き返せなかった。簡単に出ることも出来ずエステルは、仕方なく森で暮らすしかなかった。

 その際、オオカミの姿は非常に役に立った。強靱で野生での暮らしに長けた獣の身体。鼻が利き危険な野生動物にも早く気づけるし食べ物だって探せて毒物も判別可能。故にどうにか飢え死にせずに済んだ。

 のだが、森の中は堪える。

 文明が無い所為で、どんどん野生に帰ってしまうのだ。


「うぅー……お風呂入りたいベッドで寝たい温かいご飯食べたいお家帰りたいよー……」


 そう言ってオオカミの姿のまま器用に前足を使って木の実をむしゃむしゃ食べている姿は、割りと気丈に見えた。この状況、常人では発狂してもおかしくない筈なのだが、エステルは結構元気していた。元の精神が太かったのだ。むしろどんどん鍛えられ、強靱になっていた。


「畜生あのクソ王子めー……」


 なりすぎて王子のことは完全に吹っ切った上、お口はわるわるになっていた。


「どうして私はあんなロクデナシを好きだったのかしら。あの浮気者め。今度会ったら○☆□を★△%○んで▼◇■にぶち込んでやるんだから!」


 野生だから仕方ない。自然が全部悪い。


 そんな風に文句垂れながら夕ご飯を食べていたエステルは、しかし急に耳を逆立てた。オオカミの鋭い聴覚が、異音を検知したからだ。


「……何か近づいてくる?」


 それは、普段は考えづらいことだった。

 何せこの近辺は、自分が縄張りを主張している。馬並みに大きなオオカミに喧嘩を売るような動物はごく少数で、偶にいてもさっきの虎のような腕自慢。そして虎をエステルが暴れていた音は、森の中に響いていたのだ。普通の動物は、恐ろしくて近づこうともしない。

 なのに今、茂みを掻き分け近寄ってきている音がする。


 まさか、日に二回目の挑戦なのか。

 エステルはそう思い、臨戦態勢をとった。食べかけの木の実を飲み込み、四肢に力を漲らせ、いつでも飛びかかれるように準備して何奴かがやって来る方向を睨み付ける。


 そして、ガサリ。

 草むらから飛び出してきたのは――。


「あぁ、ホント。酷いところだな。虫も多いし湿気も酷い」

「我慢してください。こんなところに迷い込んだ貴方が悪いのですから」


 二人のイケメンであった。


 一人は金髪赤眼の背の高い青年だった。眼差しは鋭いが涼やかで、うなじで纏めた長髪を馬の尾のように流している。長い手足を包む紺色の上下は金糸のエングレービングが施されて、見るからに上物だと一目で分かる。

 もう一人は緑髪の青年。こちらは従者のようで、比べて慎ましい恰好をしていた。柔和な顔に苦労性な下がり眉が浮いている。右目には片眼鏡を掛けていた。


「大体、貴方はいつも行き当たりばったりなんですよ。小さい頃からクールぶってる割りに何も考えて無くて……」

「こんなところでまで説教は止めてくれ。余計に気が滅入る」


 そんな二人は、如何にも迷い込んだという風に現われて。


「ん?」

「え?」


 そして目の前の、エステルに気付いて目を丸くした。


「へ?」


 んでエステルも、固まる。


 片や、突然現われた巨大なケダモノを見て。

 片や、唐突に出てきた二ヶ月ぶりの人間を見て。


 固まって。まるで絶対零度の吹雪に晒されて瞬間冷凍してしまったかのようになって。

 そして、弾けるようにして、絶叫した。


「うおおおおおぉぉぉーーーっ!?」

「ぬえええええぇぇぇーーーっ!?」

「ひゃあああああぁぁぁーーーっ!?」


 仰け反り後退る三人。あまりの出来事に心臓が爆発寸前まで高鳴り汗が噴き出る。

 それぞれは後ろの木々にぶつかるまで後退し、轟々と濁流めいて流れる血潮が収まるまで待って、きゅうっと収縮した喉が常通りになるのを確認した後。

 問う。


「「「だ、誰っ!?」」」


 非常にあり得ない場所での、面妖な出会い。

 それがエステルの人生に重要な転機をもたらす、正に天の配剤であった。


 だが二人は加えて叫ぶ。


「「オオカミが喋った!!??」」


 さもありなん。







「えっと……その、暗殺されかけて逃げ出した先が、ここだったと」

「あぁ、そうだ」


 エステルから受け取った木の実を手に頷く金髪の美青年。名をゲオルグと名乗った。もう一人は従者のフュンフ。ちなみにエステルは名乗っていない。わざわざ素性を告げて困惑させるのも悪いかと思ったのだ。


「ちょっとばかし政争に巻き込まれてな。馬車で移動中に襲われた。で、色々あってここにきた」

「色々」

「色々だ」

「……そうですか」


 その色々には随分詰め込まれていそうだったが、本題ではないのでエステルはスルーした。とにかく、どうやら隣国の貴族らしい。


「でもなんでわざわざ? ここ、迷ったら二度と出られないことで有名な森ですよね?」

「そうなんですよ!」


 ここで我が意を得たと言うように捲し立てるのはフュンフだった。彼は毒味を終えた木の実にOKサインを出しつつ、エステルへと捲し立てるように不満を吐き出した。


「私もそう言って忠告したんですよ! でもこの人は『だったら奴らもここへ逃げ込むとは思うまい!』の一点張りで! いっくら言っても聞かずにまっしぐら! なんだったら人生で一番ウキウキと走りやがって! そして結局、このザマなんですよ!」

「あー……」


 薄ら涙すら浮かべているフュンフからゲオルグへと視線を移す。当の本人は聞く耳持たずといった風に木の実を優雅な所作で嗜んでいた。


「事実、そうだろう。追っ手は影も形も無い」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。物理的に追うことが困難ですからね! それに名采配のようにおっしゃってますが、普通に私たちも迷って出られなくなってますからね!」

「見解の相違だな……」

「認識の相違ですよ!」


 激昂したフュンフは拳を地面へ叩きつけた。全力の怒りを込めたモーションにエステルは「私だったら地面割れてるなー」などということを考えつつ、別のことを問う。


「それでは、これからどうするのでしょうか?」

「どうするも何も……どうにか出る手段を探さないと」

「うむ」


 フュンフの言葉にゲオルグは鷹揚に頷いた。


「追っ手を振り切った今、一刻も早く国へ戻り嗾けた連中を誅さなければならない。鉄は熱い内に打たねばな」

「それ以前に、この森じゃ生きていけるかも怪しいですよ……」


 ギャアギャアと不気味な声が響いてくる森の音を聞き、フュンフは不安そうに顔を顰める。まぁ聞こえてくる声はエステルからすると片手で倒せる程度の雑魚ばかりなのだが。


「お前は軟弱だからな」

「貴方もそう変わりないでしょう! それに肉食獣ばかりではありません。うっかり毒を喰らおう物ならのたうち回って苦しむことになるんですよ!?」

「大丈夫だ。俺はジャガイモの芽を食べてのたうち回ったことがある。痛みには耐性がある」

「そっちに耐性があったって仕方ないんですよ!」

「あのー……」


 言い合いを始めた二人に、エステルはおずおずと手、もとい前足を上げた。


「でしたら、私が外へ案内しましょうか?」

「へ?」

「……出来るのか?」


 呆けるフュンフを余所に、ゲオルグは本当に可能か否かを問い質す。最終的な結論はともかく、頭の回転は速いらしい。


「はい。私もこの森へ迷い込んできたクチですが、今ならお二人の匂いが残ってますよね?」


 オオカミであるエステルにとって、人間二人の匂いを嗅ぎ分けることなど造作もない。


「それを辿れば、入ってきた場所へは戻れるかもしれません」

「ほう……」

「た、確かに。追っ手たちも諦め、撤退しているでしょうから……で、ですが」


 フュンフはオドオドとエステルを見上げた。


「その……貴女も付いてくるのですか?」

「何だお前、木の実ご馳走になっといて今更」

「そ、それとこれとは話が別でしょう」


 図星を付かれ狼狽するフュンフ。しかしその意見はもっともだとエステルも思った。こんな恐ろしい見た目の化け物を、自国へ案内するような真似は誰もしたくないだろうと。


「いや、違わん。彼女は俺の恩人だ」


 だが、ゲオルグはそうではなかった。


「恩情には必ず報いる。例えオオカミであってもな。それが出来なくて何が貴賤だ。そんなことも出来ぬ金持ちは、有り金全部をばらまいた後裸で寝っ転んで夜風で凍死した方が世間の為だ」

「その例えは分かりませんが……」


 呆れたフュンフの横で、エステルは密かに感動していた。こんな姿の自分に優しく接してくれるのは、家族や使用人を除いては誰もいなかった。人の優しさに触れ、エステルの心は温かくなった。

 ゲオルグはそんなエステルを見上げて言う。


「なので出口まで案内して欲しい、オオカミよ。その後、然るべき報酬を渡そう。何だったら、土地でも手に入れて貴族になるか?」

「あ、それは結構です」


 取り敢えず、それだけは断る。

 あんな目に遭って、貴族はもういいかな……という気になっていたエステルであった。







 一日待ってから、出発した。そのくらいではまだ匂いは消えないという判断と、森になれない二人を少しでも休ませたいという提案からだった。

 気力体力の回復した三人は木々を掻き分け進む。先導するはエステルだ。匂いを嗅ぎ分ける必要があるし、不意に野生動物が飛び出してもエステルなら吹っ飛ばせる。星の彼方まで。

 現に復讐に来た虎を殴り飛ばしたりしていた。


「うーむ。これほど頼りになる護衛は初めてだな。いっそ近衛隊を全員クビにして彼女を雇った方がいいかもしれん」

「やめてください。公共事業ですよ!?」


 後ろでわいわい言っているゲオルグとフュンフに、エステルは不思議な微笑ましさを覚えていた。打てば響くようなボケとツッコミは、いつまでも聞いていたい。道案内が終わればそれも聞けなくなってしまうのだと思うと、少し寂しい気がした。


「……あ、着きましたよ。外です」


 だがあっさりと、終わりの時間は訪れる。草むらを飛び出せば、そこは開けた草原が広がっていた。森を完全に抜けたのだ。


「おお、見覚えがあるな。確かにここから森に入った」

「はぁー……やっと出られた。もう森に入るのはこりごりですよ」

「俺は楽しかったがな」

「でしょうね。今度があったら置き去りにすることにします」


 久々の外の空気にゲオルグとフュンフは思いきり伸びをしていた。そんな二人の背中を見つめ、エステルは森へ踵を返そうとした。


 ゲオルグはエステルに報いようとしてくれたけど、そんなのは要らなかった。だって自分がもう一度世俗に戻れば、またあの王子のしたように気味悪がられてしまうかもしれない。ゲオルグは優しいけれど、それはきっと一時のこと。今は恐ろしさや気持ち悪さを必死に抑え対応してくれているのだろう。だったらこのままノコノコと報酬を受け取りに着いていくのは、可哀想だ。

 だから、エステルは黙って森に帰ろうとした。また森で暮らそう。温かい寝床や美味しい食事は恋しいけれど、またあんな悲しい思いをするくらいなら、と。


 だがそんなエステルの獣耳に。

 空気を裂く鋭い異音が届いた。


「っ、ゲオルグ様!」

「!? オオカミ!?」


 咄嗟にゲオルグとフュンフを押し倒し、庇う。次の瞬間、エステルの毛皮に覆われた背には十数の矢が突き立った。


「ううっ!」

「オオカミ!? くっ……!」


 ゲオルグはエステルを心配しつつも、身体の隙間から矢の飛んできた方向を睨み付ける。そこには矢を構えた従卒たち。そしてその中央でふんぞり返るように馬に乗る、太った貴族がいた。


「ウムラウフ公爵、貴様……!」

「はい。貴方の仇になる者です」


 公爵と呼ばれた貴族は平然と答える。


「現場を訪れてよかった。森の中へ消えたのを見て帰ろうとしていた部下共を叱れましたからね。私は死体を持って来いと言ったのに、無能共めらが」


 足元には散々殴られたらしき部隊長が簀巻きにされて転がされていた。

 フュンフは呻く。


「なるほど、誤算でした……! まさか首謀者本人が出てくるとは……」

「そんなことより、オオカミ! 大丈夫か!?」


 矢が突き刺さった音はゲオルグにも聞こえた。庇われているので見えないが、きっとその背中には幾本もの矢が突き立っているに違いない。人間であれば致命傷だ。


「う……はい、平気、です」


 堪えながらエステルは答えた。嘘だ。本当は全然平気じゃ無い。じんじん痛むし、涙だって出そうだ。許されるなら逃げ出したい。

 だけど、耐えた。


(……ここで私が逃げたら……)


 ゲオルグとフュンフは丸腰だ。しかも集団とは大分距離がある。遮蔽となっている自分がいなくなれば、すぐさま矢の雨が降り注ぎ二人を射止めるだろう。エステルとは違い、普通の人間は一本刺さっただけで致命傷になる。

 だから逃げられない。しかし、ならばどうするべきか?

 このまま耐えても、戦っても、もっと矢が突き刺さるかもしれないのに。


(……どうしたらいいの)


 ぎゅっと目を瞑る。……そんなエステルの鼻先に、触れるものがあった。


「……すまなかった、オオカミ。俺たちの事情に巻き込んでしまって」


 ゲオルグの手だった。彼はエステルが痛みを堪えていることを察し、労るように鼻先を撫でた。


「ここまで道案内してくれただけでいい。お前がこれ以上傷つく必要は無いんだ。アイツらは……まぁ、俺とフュンフでなんとかする」

「でも……!」


 エステルは抗議する。なんとかなんて、出来る訳がない。自分がいなくなれば撃ち殺されて終わりだ。


「何、運が悪かっただけだ。お前は十全な仕事をしてくれた。……報酬が渡せなかったのは、すまないが」


 目を開くと、映ったのはバツが悪そうにするゲオルグの顔だった。心苦しそうなそれを見たエステルの胸の内に浮かんだのは……納得だった。


(……ああ、そっか)


 束の間の会話。一緒に木の実を食べただけ。けれどもそれで、エステルの心は知らない内に晴れていた。

 人との対話。誰かと食卓を囲むこと。こんな自分を、恩人だと言ってくれたこと。

 王子にされた所業と過酷な自然での生活で荒んだ心が、いつの間にか癒えていたのだ。それで、人間らしい心を取り戻していたのだ。

 恩を受けたのは、(エステル)だ。

 だったら――報酬を払うのは、自分だ。


「……ゲオルグ、様」

「なんだ」

「ありがとう、ございます。……おかげで、覚悟が決まりました」

「何? ……おいよせ、やめろ!」


 クルリと、身を翻す。逃げるためでは無い。立ち向かうため。兵隊たちに向かって真正面から。


「貴様、化け物が私に逆らうか!」


 怒った貴族が吠える。それを見てエステルは独りごちた。


「化け物。確かにそうです。でも、そんな私を恩人だと、言ってくれた人がいるんです!」


 一歩、前へ。兵隊たちが怯む気配が伝わる。


「嬉しかった。こんな私でも人になにか出来るんだって」


 更に、一歩。貴族が怒鳴る声が響く。


「心地よかった。二人の話に混ざれたのが」


 力を籠めて、また一歩。一斉に弓の弦が引き絞られる。


「だから、私は――化け物でも、いいから」


 踏み込む。貴族が手を挙げた。


「ゲオルグ様に、生きていて欲しいんだぁぁぁっ!!」


 そして、駆け出した。同時に放たれる大量の弓矢。

 幾つかは外れ、幾つかは当たる。肩に、腕に、足に刺さっていく。

 それでも走りは、止めなかった。


「ひっ、やめなさ――」

「ウオオォォーーーン!!」


 恩を返そう。

 それだけ思って、エステルは意識を失った。








「あ、れ?」


 次に目を覚ました時、エステルの目の前に広がっていたのはゲオルグの顔だった。


「……起きたか」

「わた、し……」


 ゆっくりと周囲を見渡して状況を把握した。自分は、ゲオルグに膝枕をされているということ。草原にはたくさんの兵士が倒れていて、その一人一人をフュンフが縛り付けているということ。

 そして、ハリネズミのように矢が突き立っているということ。


「……ああ」


 それを見ればよく分かる。

 自分はもう、致命傷だと。


「……すまなかった」


 ゲオルグが目を伏せ、謝る。


「俺が、君を巻き込んだ。俺が助かりたいが為に、君を……」

「そんなこと、ないです」


 矢傷の痛みももう無い。死の間際には痛覚すら感じなくなるという奴だろう。

 それでもどうにか動かせた手でゲオルグの頭を撫でる。大きすぎて、大人が子どもを撫でているようになってしまったが。


「私……久々に思い出せたんです」

「……なにをだ」

「幸せって、どういうことか」


 それは、不幸な記憶と野生に呑まれて失われつつあったもの。

 ゲオルグと出会って、思い出せたもの。


「お話が面白くて、近くにいると無性に楽しくて。誰かと一緒にいることが幸せなことなんだって、思い出せたから」


 だから、と。


「もう、いいんです」


 気持ちはどこまでも、安らかだった。


「……馬鹿。そんなの、当たり前じゃないか……!」


 ポツリと、毛皮に温かいものを感じる。それはゲオルグの瞳から零れた、涙だった。


「これからいくらでも恩を返すつもりだったんだぞ? 何せ命の恩人だからな。上手い飯はたらふく食わせてやるつもりだったし、豪勢な館だって用意するつもりだった。喜ぶかは分からないが、ブラッシングの達人だって呼ぶことを考えてたんだぞ? 目一杯甘やかして、骨抜きにするくらいに」


 笑みを浮かべようとして、しかし失敗して唇をわななかせるゲオルグ。零れる言葉は止まらない。


「なのに……それなのに、こんな! こんなの……!」

「その気持ちだけで、嬉しいです……」


 本心だ。そう言ってくれただけで、満足だ。


「……でも」


 それでも、もしも。

 もしもがあるならば。


「ゲオルグ様と、暮らしてみたかったなぁ……」


 そんな未来を、過ごしてみたい。

 なんて、わがままが浮かんでしまう。

 大きな屋敷なんていらない。ご飯だって、少しでいい。

 でも、ゲオルグと過ごす日々は……楽しそうだった。


「オオカミ……!」


 もう堪えきれないと、ゲオルグが決壊する。そしてその呼び声で、気付く。


「ああ、そっか」


 自分の素性は、何も明かしていなかったことを思い出す。

 全部告げる時間は無いだろうが、せめて。


「エステル、っていうんです」

「……何?」

「私の名前。オオカミじゃなくて」


 この名前を自分で呟くのは、久々だった。半年間、この獣耳で聞いたことのない言葉。

 最期に、せめて。


「そうか。……おやすみ、エステル」


 その口で、その言葉を聞けて。

 エステルは満足そうにその目を閉じた。












「……あれ?」

「は?」


 の、だが。

 一向に訪れない意識の暗転にエステルは起き上がった。


「……あれ~?」


 涙をゴシゴシと拭くゲオルグを横に、エステルは試しに矢の一本を引き抜いてみる。

 スポンと抜けた。その抜けた場所を、触ってみる。

 何も無い。傷も、血も。


 どうやら……矢は。

 毛皮で止まっていたらしい。


「………」


 だらだらと冷や汗を流すエステル。その汗に流されてか、ポロポロと矢が落ちていく。後に残ったのはスッキリ何も無くなったエステルの身体だ。


「……その、ゲオルグ様」


 ギギギ、とゆっくり振り向く。あれだけの感動の別れをした相手へと。


「死んでない、みたいです」

「……そうか」


 一段と低くなった声が響く。その表情は俯いて窺い知れない。


「あの、えっと~……」

「お前は……確か、何と言ったんだったか……」


 ゆらりと立ち上がり、ゲオルグはエステルの両肩を掴む。その握力は決して逃がさないと言わんばかりだ。


「"ゲオルグ様と、暮らしてみたかったな"、だったか?」

「あ~……」


 顔を上げた、その表情は。

 ニコリと笑顔を浮かべていた。

 ただし、有無を言わさぬ、という枕詞がつく。


「言質取ったからな、エステル?」








 それからエステルは、王宮(・・)で暮らすこととなった。

 なんと、ゲオルグは隣国、ラドフォード王国の王族だったのだ。しかも、王太子。本名はゲオルグ・フォン・ルードヴィヒ・ラドフォード。

 命を狙われたのは、別の王子を担ぎ上げようとする貴族一派の仕業だったらしい。

 そんなゲオルグにエステルはあれよあれよという間に抱き込まれ、連れられ、そして押し通された。王太子としての権力を存分に使って。


 今、エステルは王宮暮らしだ。


「ゲオルグ様~」


 パタパタと王宮の豪勢な廊下を駆けるのはドレスを纏ったエステルだ。オオカミではなく、人間の姿をしている。

 黒い髪に映えるような白いワンピースドレス。シンプルだが細部まで作り込まれており、サイズもぴったりなオーダーメイド品。少女の姿にもなれると知ったゲオルグから送られた品だ。

 エステルは当初拒否したのだ。もう貴族暮らしはしたくないと。だがゲオルグはそれならばと言って、王宮内の宮殿を一つポンと与えた。貴族の政治などに煩わされずここで暮らせばいいと。そこで何をしてもいいのだと。


 食事も、ドレスも、自由も。何一つ不自由なく与えられたエステル。夜オオカミになっていても誰にも文句を言われず、いつでもゴロゴロ出来る日々。ご飯もおいしい。森の木の実より遥かに。

 しかしたった一つだけ、義務があった。


「来たか、エステル」


 それはゲオルグの来訪には必ず応えるということ。

 今日も宮殿の中庭まで来たゲオルグの元へ馳せ参じる。

 自然溢れる中庭の中心に設置された四阿で寛ぐゲオルグへ向け、エステルは貴族時代に培った見事なカーテシーで挨拶する。


「はい、ゲオルグ様。今日もご機嫌麗しゅう……」

「おいおい。堅苦しい挨拶とかは全部無しと言っただろう」

「ですが……」

「本当なら敬語だって無い方がいいんだ。殿下呼びを禁止したくらいじゃ砕けてはくれないか?」

「恐れ多いですからぁ……」


 ゲオルグは、終始こうだった。宣言通り、何もかも甘やかす。

 普通王太子であるゲオルグには気軽に挨拶すら出来ない。様付けで呼ぶことだって不敬だ。しかしエステルには全面的に許している。それどころかもっと砕けた調子で話しかけて欲しがっている。

 そして、


「……どこに座ろうとしている? お前はこっちだろう?」

「ううー」


 四阿に置かれたテーブルと椅子。ゲオルグの座るその対面に座ろうとしていたエステルは呼び止められ、手招きされる。

 指示されたのはゲオルグのすぐ隣。肩も触れ合いそうなくらいの至近距離だった。

 恥ずかしそうにエステルは顔を赤らめ座る。だがゲオルグの指示はそれだけに済まなかった。

 更に、己の膝の上をポンポンと叩く。


「ほら」

「……う~」


 それが何を意味するか、散々されてもう分かっているエステルは恨めしそうにゲオルグを睨んだ後、大人しく従った。

 つまり、そのまま膝の上に寝転んだ。


「……恥ずかしいです」

「そう言うな。このくらいしか、今の俺に楽しみは無いんだ。フュンフも厳しいしな」

「当然です。殿下の好きにさせてはあぁなるということが骨身に染みましたから」


 後ろに控えたフュンフが片眼鏡をクイとあげる。ちなみに彼の正体は王子の侍従だった。なので常にゲオルグの傍に控え、今も二人の睦み合いを呆れた眼差しで見守っている。


「だから俺を癒やすと思ってお前くらいは好きにさせてくれ」

「う~」


 いくら少数とは言え人前で膝枕されて、エステルの顔は羞恥で真っ赤だった。だがゲオルグが優しく髪を梳くのは気持ちが良い。ずっとして欲しくて、甘えた目で彼を見上げてしまう。

 目が合って、ゲオルグは柔らかに微笑む。


「エステルは本当に可愛いな。オオカミの時の毛皮も好きだが、髪の手触りも心地良い」


 その甘い言葉に、また頬が熱くなった。


 まるで恋人のような距離感だ。ただでさえ顔がいいのに、この至近距離まで詰められれば、惚れてしまうのも無理はない。エステルもすっかり絆されていた。愛妾でもいい。この人と一緒になれたら……そんな欲望まで生まれてしまう。


 だが……エステルは思う。

 恋人のよう。本当にそうだろうか。


 ゲオルグは今も、エステルの頭を撫でている。撫でて撫でて、癒やされている。王子としての激務に疲れた心を。

 その様子を見て、思う。


 これって、アニマルセラピーという奴では。


「エステルは今日も可愛いな」


 同じようなことを繰り返すいかにも脳が溶けた様子のゲオルグを見れば、そう思ってしまう。もしかして自分は異性ではなく……ペット扱いなのではないか? 女として見られていないのではないか?

 そう考え、エステルは日々を悶々と過ごしていた。


「エステルはいつも可愛いな」

「……う~!」


 実際にはそんなことは無く、ただゲオルグの距離感がおかしいだけなのだが。とっくにゲオルグの方から惚れているからこそのこの待遇なのだが。

 それが判明するのは、正妻として迎えられるもう少し後のお話。







 それと、余談だが。

 ゲオルグ住む国の隣国、つまりエステルの生国は滅びたらしい。

 その原因は娘を追放されて怒り狂う巨大なオオカミの仕業だったとか、なんとか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。