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 等間隔に遠く先まで連なっている背の高い街灯が、近づくにつれて速度を上げて大きくなり、次々に左右の窓ガラスを横切っていく。通常よりも速く走っているはずなのにその速さを感じられないのはきっとこの車がオートマだからで、車内の揺れを感じにくく、そして密閉された空間だからだ。助手席の窓を開ければ、途端に風がごうごうと吹き込んできて、この車が百キロ近い速度で走行しているということを教えてくれるだろう。


 右前方を向き、ハンドルの奥の速度メーターを覗いてみる。九十八キロ。

 今はまだ、速度メーターを見ることでしか速さを感じられない。

 車内にはジャズ系のピアノの音色が流れていた。時折、金管楽器の音が聴こえてくる。きっとサックスだろう。フルートの音色にも聴こえる。スネアのピッチ、細かい連続音が遠いところで鳴っている――。



 目を開けると、車は駐車場に停まっていた。フロントガラスの奥にはコンビニを大きくした程度の販売施設が見えた。そして微かに遠く後ろの方で車が行き交うびゅうんという音が聴こえていたことで、ここがどこかのパーキングエリアだということがわかった。目を擦りながら背もたれから体を起こし、運転席に目をやる。


 そこにあの男の姿はなかった。


 加耶はいつの間にか自分の膝にかけられていた毛布をどかし、車から降りようとしたが、前方からやってくる人影を視認して降りるのをやめた。数秒後、運転席のドアが開いた。乗り込んだ男は、手に持っていた紙コップの中身を一気に飲み干した。ドリンクホルダーに空の紙コップを置き、何事もなかったかのように車は再び動き出した。


 高速道路に出てからも、男が口を開くことはなかった。一向に口を割る気配のない男の横顔を眺めながら、加耶の脳裏には、一瞬「誘拐」という言葉が(よぎ)った。もしかしてこのままどこかに連れて行かれ、強制労働させられるのかもしれない。斡旋(あっせん)、人身売買。そんな言葉も過った。確かに思い返してみれば、自殺しようとしていた人間を止めてどこかへ連れて行こうとするなんて、「どうせ死ぬならその命を有効的に使う」と言われているようなものだった。


 そんな男についてきてしまったのだ。



 自分が人身売買される姿。暗い(すた)れた繁華街の(はず)れ、路地のビル。()びれかかった廃ビルの六階。エレベーターの反応が鈍く、男が苛立(いらだ)ちを隠せないように何度も階数のボタンを押す。開閉ボタンを押す。やっと扉が閉まったかと思えば、今度はエレベーターの動きがよろしくない。上昇中、何度も突っかかるように跳ね、そのたびに加耶と男の身体も跳ねた。


 到着した六階の隅の部屋には、端っこにポツンとベッドが一つ置かれていた。ベッドというよりは担架だろう。救急車の中にあるあの担架。そこに寝かせられた加耶は、きっと麻酔を打たれたのだろう。意識がだんだんと遠のく中、瞼がとろんとした瞳の奥、耳から聴こえてくるのはジャズだった。ピアノの軽快にステップを切る音と突然スライディングでもしたのか伸びる音が相まっている。そのピアノに感銘を受けたのか、サックス奏者が混ざるように笛を鳴らした。二人は眼を見合わせながら楽しそうに指を、身体を、前後に横にしならせている。そんな二人の仲睦まじさに嫉妬したのか、フルート奏者が滑らかな優しい音色を漂わせた。今度はドラムスがチッチッとスネアとキック。バイオリンの音色が聞こえる。

 その一体した音色と美しさに酔いしれ、加耶は自ずと瞼を閉じてしまった――。


 しかし再び目覚めたとき、加耶は自分が目覚められたということに素直に驚きを隠せなかった。もう目覚めることはないと思っていたが、今自分は確かに目を見開いている。そこから見える景色は、意識を失う前の光景。ジャズ音楽は聴こえてこないが、ここが担架の上だということは確かに理解できた。昨日と違うのは、締め切られたカーテンの隙間から覗く(ほの)かな日差し。昨日のことを思い出そうと記憶をたどろうとすれば、廃れた繁華街も、接触不良のエレベーターのボタンも、ガタガタと揺れながら上昇するエレベーターも、そして担架に寝かせられた自分、麻酔を打たれた感覚も思い出せた。


 ……多分これは天国とか地獄ではなく、現実だ。だが、天国にも地獄にも行ったことはなく、死んだこともない加耶に、死後の世界がどんなものか定義するのは無理だ。だからもしかしたら目が覚めた世界が実は死後の世界だったりする可能性もなくはない。


 なんとなく頬をつねった。

 痛い。

 でも、天国や地獄、死後の世界にも痛みはあるのかもしれない。そう思うと、ここが何処で自分が何をされたのか不安になった。人身売買や臓器を売るために金になるものは根こそぎとっていくために手術されたのではなかったのか。でも、今の加耶は確かに生きている。でも生きていないのかもしれない。


 加耶は担架の上から降りた。よく見ると服が引き裂かれ、下着が露になっていた。ほとんど裸に近い格好をしていることに気が付いたが、寒さを感じなかったせいか気にせずにいられた。


 一、二時間その建物内を歩き回った。人は誰も見当たらない。


 ふとカーテンの隙間からの日差しが少ないような気がして、カーテンをまくって外を覗いた。

 驚いた。おそらく天気が曇りなのだろうと思っていたが、実際は違った。


 夕日が落ち切ろうとしていた。


 そんな馬鹿な、と思った。加耶は一、二時間しか歩いていないというのに、なぜもう日が暮れているのだ。


 そうか……これはどこかで聞いたことがある。あの神隠しというやつだ。ジブリでも見た気がする例のやつだ。加耶は昨日神隠しでどこかに飛ばされていたのだ。あの担架の上で。きっとおしゃれなジャズバーにでも飛ばされていたのだろう。


 素敵な体験をしてしまった。そう安堵する加耶の心臓が、車が急停車するように突然ドクドクと鳴り出した。階下から人が階段を上ってくるような音だ――だんだんと近づいてくる――。


 近づいてきたあの男は、加耶の腕を引っ張ってどこかへ連れて行くようだった。そこで加耶は気づく。臓器を売るために手術されたのではなく、避妊治療のために手術されたのだ。きっとこれから行く場所で売春させられるのだ。


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