アルゴナウティカ⑥
次の日、ヤエの国外追放は呆気なく進行し、荷物をまとめた彼が今頃エントランスにいる頃だろう。
お父様に頼み込み、ある程度の食事と路銀を持たせることは説得できたが、やはり気持ちは変わらないらしく、ヤエの国外追放は免れないものとなっていた。
「スピカ、大丈夫? 見送り、行かなくてもいいの?」
「……大丈夫ではないです。ですがそれよりも、昨日ヤエが言ったことがどうしても気になってしまって」
「アルゴナウティカを、見ろ、だっけ?」
「ええ、あの時のヤエ、なんだか雰囲気が違っていたような気がして」
「うん、私も、思った」
ツキコにも聞こえるように言ったのか、昨日の最後の言葉は彼女にも伝わっており、私たちは起きてすぐにアルゴナウティカが所蔵されている宝物庫へと足を進めた。
しかし早朝からヤエが出発するというのを先程聞いたために、本音ではすぐに彼の下へ駆け出したい一心なのですが、それよりも昨日の違和感は大きいもので、言葉の意味を知るために早足で宝物庫に向かい、そして扉に手をかけた。
「アルゴナウティカ、英雄様の世界からの評価や今まで生きてきた道のり、それらすべてが書かれている聖典」
「私は、なんて書かれて、いるの?」
「誰の傍にでも寄り添える心優しき広き大海の英雄。まさにそのとおりだと思いましたよ」
ツキコが照れたようにはにかみ、私は彼女に笑みを返す。
彼女との会話で私は緊張から肩に力が入っていることを知り、深呼吸をしてアルゴナウティカに近づく。
「どうしてだか、緊張してしまいますね。ヤエのアルゴナウティカを見るのは初めてではないのですが」
「大丈夫、私が、いるから」
ありがとうとツキコに礼を言い、私はその聖典を開く。
「――って、別に変わったことはなにもないですね」
何か重大な情報が隠されているのかと思いきや、書いてあることは別段変なものはなく、首を傾げる。
『かの者は英雄と呼べるほどの力を持ち合わせていないが、こと臆病さにおいては他の英雄が感心するほどの生への執着で生きることに特化した英雄。
産まれてから17年、常にあらゆることに怯えながら生きてきた。
そのために危機察知能力がずば抜けて高く――』
「待って」
「ツキコ?」
読み進めていくと突然ツキコがある箇所を指差した。
「産まれてから、17年? 25って、言ってなかった?」
「え?」
彼女の指差した箇所には確かに産まれてから17年と書かれていた。
しかし彼は自分で25だと言った。彼が嘘を吐く理由もなく、それならばこのアルゴナウティカが誤っているということになるのだが、本来ならそれはありえない。
私はアルゴナウティカを次々とめくっていき、最後のページにたどり着いた。
そこには――。
『ここまで読んでくれたのは相当な暇人かな? それとも姫さまかな? 月子ちゃんかな? ありがとうね。
別にここに記す意味もないんだけれど、せっかくあんな個人情報暴露本があるんだし、少しは触れておきたいよね?
というわけでここから先には原文の一部を載っけちゃいます。
ああそうそう、この本、最後まで読むとだね』
私は彼が書いたと思われる文章を読み、すべての文章を目に入れて頭で理解しようとした。
しかし脳がその情報を処理できずに、ただただ顔を引つらせてしまう。
そうして戸惑っていると突然本が発光した。
「スピカ!」
「っ!」
ミツルギ ヤエのアルゴナウティカから火が吹き、赤い炎を轟々と鳴らす。
アルゴナウティカが、英雄の本が、燃えて灰へと変わった。
しかし、しかしそれ以上に、私の足は自然と駆け足になり、宝物庫から飛び出すとあの嘘つきがいるだろうエントランスへとただ一心に走った。
「――」
エントランスへたどり着くと彼を見送っている人間はまばらだったが、それでも彼へとたどり着くまでのルートを妨害する程度の数はいて、私は人をかき分け、彼の下へ進む。
彼を見送っている人間の殆どは彼を蔑むための行動で、下卑た笑いを浮かべているものがほとんどだった。
そしてついにヤエの近くまでたどり着いたのだけれど、それは最早遅く、彼が城門をくぐり、兵士たちが門を閉じようとしていたところだった。
「ヤ――」
彼を呼ぼうとした。
しかし、それはあまりにもかけ離れたその表情に遮られることになった。
「――」
門が閉じるその瞬間、彼が、ミツルギ ヤエが浮かべた顔は。
まるで獣のように獰猛なそれで、口角を釣り上げ、嗤っていた。
『彼は幼い頃から自分を殺し続けた。故に中身は何もなく、それ故に何者にでもなれた。
英雄としての素質もその何もない故に、英雄となれる素質があるかもしれないという不確定要素。
目に見える彼はすべて偽り、囁く声はすべて偽り、放たれる甘い香りはすべて偽り。
彼こそは英雄、世界すら謀る混沌より這い寄る無貌の英雄』