49―2 石頭と逃避行 その2
例の不気味なメッセージは未だ俺のスマホに残っている。いっそ消してしまいたかったが、変に触るのも怖くてそのままにしてしまったのだ。
朝方、目を覚ました諸星とリーちゃんにも相談してみたが、「実害が出ていない以上悩んでも仕方ない」という結論に至った。
「俺もな、遊んだことある女の子から『刺されたいのか』って脅されたことあるけど、わざわざ警告してくる奴は大抵何もしてこないんだよなあ。刺すのが目的じゃなくて脅すのが目的だからな」
なんて諸星が慰めなのかよくわからん体験談を話してくれて、少しだけ気が楽になったのも事実だ。
俺が呪い殺されるより先に諸星が逆恨みを買って倒れるのが先かもしれんが……
椿の方はどうなっているだろうかと思い、改めてアイツにメッセージを送ると。
「私の身を案じてくださったのですね。嬉しい。貴方の椿は健在ですよ!やはり先輩のお家は安らぎますね。マイナスイオンとか出てるんじゃないでしょうか。先輩が普段吸っている空気を吸う。肺腑の底から幸福が溢れてくるような気持ちです。ところでベッドの下に興味深い書物が隠されていましたが、先輩はああいった痴態がお好みなのでしょうか。少し恥ずかしいですが、私もあんな肌着を買ってみようかと思います。楽しみにしておいてくださいね。ちなみに昨日はモアちゃんが遊びに来てくれました。夜中に少し盛り上がりすぎたのか、あの子が先輩のプレミアムなビールを飲んでしまって。いえ、私も止めようとは思ったのですが、やむにやまれずと言いますか。謝罪として一日私のことを使役する権利を差し上げます。先輩の望むままに私を貪ってください。先輩の欲求であればどんなものにも応える自負はあります。踏んでも蹴っても構いません。放置プレイは少し傷つくかもですが、私は……」
これ以上読むと頭がおかしくなりそうなので途中で読むのをやめたが、とにかく椿は元気らしい。
幽霊と共倒れになってくれたら……という気持ちも無いではなかったが、ここは素直に感謝しておこう。
大学での講義も何事もなく終わったし、バイト先に向かうとするか。
朝に来た不審なメッセージはやはり気がかりだったが、今日は浅井先生が出勤しない日だしな……
わざわざ電話して相談するまでもないかな。
バイト先に着くと、講師控え室には伊坂がいた。
話を聞いてみると、今日椿のお供になるのは伊坂の番であるらしい。
「今日は伊坂が俺の家に泊まるんだな」
「ええ、椿さんからご事情は伺っております。椿さんと婚約なされたため、部屋の鍵を明け渡したとか……」
「うん。それ全部嘘だから忘れてくれ」
やはり椿に留守を預けるのは心もとない……とは言え代役もいないのだから甘受するしかないのだが。
「あんま暴れたりすんなよ、隣室の吉本くんに迷惑かけないようにな」
「善処いたします。しかし物の怪にまで好かれるとは、武永様もずいぶんな色男ですね」
「贅沢を言うならまともな人間に好かれたいものだが」
「浅井先生とは仲睦まじくいらっしゃるではないですか」
「そう見えるなら嬉しいが……浅井先生がまともかどうかは議論の余地がありそうだ」
「私や椿さんと比べれば正気に近いかと思われますが……」
「お前らより狂ってる人間を探す方が難しいんだよ」
伊坂と雑談をしていると、いくらか気が紛れてきた。やたら虐げられたがる悪癖を除けば、伊坂もそんなに悪い奴じゃない。
今夜だって、幽霊に出くわす危険を冒してわざわざ俺の家に泊まってくれるのだ。感謝しない方が失礼だろう。
「悪いな伊坂、お前だって用事もあるだろうに」
「畏れ多いことです。主人の危機を肩代わりできるなど、しもべにとっては栄誉に他なりませんから……それにしても、物の怪の呪いとは如何ほど苦痛を伴うものでしょうか……ワクワク……いえ、恐ろしくて身震いが止まりません」
きっと伊坂も俺のためを思って行動してくれているのだろう。ちょっと本音が漏れていた気もするが、決して私的な興味とかではないはず。そう思いたい。
さて、今晩はリーちゃんと二人だ。異性の家に泊まる経験は滅多に無いので、いささか緊張する……という気持ちにはなれそうもない。
リーちゃんの見た目が幼すぎるのもあるが、それ以上に彼女の普段のテンションがなあ……
「今日はナガさんと『キセイジジツ』を作るために頑張ります」
「既成事実の意味わかってる?」
「おそらく。ところで『キセイ』とはどう書くのでしょう。規制? 寄生? それとも棋聖ですか?」
やっぱりその場の勢いでしゃべってるな……
まあリーちゃんに本気で迫られても反応に困るので、これぐらいの距離感がちょうどいいのだが。
それに、彼女の軽妙かつ珍妙なトークは緊迫感をなくしてくれる。
以前「迷い家」に入ってしまった時も、ずいぶん救われたものだ。
「しかし幽霊は現れそうにないですね。不意打ちが来ればカウンターで対抗するつもりだったのですが」
「闘う気満々じゃん……戦闘民族か?」
「こっちには瀬戸内海産の塩がありますからね。負ける気はしませんよ」
「塩に対するその信頼感は何なの……」
リーちゃんはお手製の「だんご汁」(ごぼうの旨味が効いている)を啜りつつ、机の上の塩に目をやった。
なぜ塩が魔よけになるのかはよくわからないが、ルーマニアとかでも採用されている由緒正しい退魔術なので、一定の効果はあるのだろう。
リーちゃんのように全幅の信頼を置くのは極端な気もするが。
食事の後は食器を洗い、少しダラダラして風呂に入り、二人でテレビを観るうちに夜は更けていった。
もう寝る時間だ。
「そろそろ寝るか」
「はい。作っときますか……既成事実」
「リーちゃん、ウブなのか耳年増なのかどっちかにしてくれ」
「ナガさんは純朴系かアバズレ系、どちらがお好みでしょう。それに合わせますが」
「そのままのリーちゃんが好きだよ」
「……不意打ちはいけませんね」
ぼそりと呟いたリーちゃんは俺に背を向け、そのまま明かりを消した。
真っ暗な部屋の中、手探りでベッドに潜り込む。
別に床で寝ても良かったのだが、「二人ともベッドで寝るか、二人とも床で寝るか。好きな方を選んでください」とリーちゃんが脅しのような二択を迫ってきたので、僭越ながら彼女の隣で眠ることにした。
リーちゃんの小さな身体でも、二人で寝るには少しベッドが狭い。
やはり俺は降りた方が良いのではないか?
「なあ、リーちゃん……」
話しかけた瞬間に気づく。もうリーちゃんは寝入ってしまったようだ。
うっすら見える彼女の両目はすでに柔く閉じられていた。
いくらなんでも早すぎるだろ。意中の異性が隣にいるのにそんなすぐ寝れるもんか?
俺に対する警戒心とかそういうのも無いんだろうか。無いんだろうな。
まあ、お陰で俺も気兼ねなく眠ることができそうだが……
真っ暗な部屋。ふと目を覚ますと、どこからか視線を感じた。
隣で眠るリーちゃんは静かに寝息を立てている。
今この部屋には俺たち二人しかいないはずなのに、視線? どこから? 誰から?
部屋をぐるりと見回すが、暗くて視界がはっきりしない。
ベッドから降り、対面にある壁を見ると違和感に襲われた。
慎重に、壁へとにじり寄る。壁との距離が近づくにつれ、違和感は確信へと変わっていった。
目だ。壁に、二つの目がついている。




