47―3 ロリィタとマゾヒスト その3
「えっ、何? 何これ? どういう状況?」
浅井先生の困惑はわかる。この状況を作った俺ですら戸惑ってるわけだし。
もっとクールなやり方は無かったのかとだんだん後悔してきたくらいだ。
「武永くんと伊坂くんがコソコソしていた理由がこれさ。大っぴらにできることじゃないだろう?」
「そうなのね……でもこれは……」
浅井先生が気まずそうに目を逸らした瞬間、村瀬がムチを手に取り、そのまま伊坂に勢いよく叩き込んだ。
バチンッ!と伊坂の肉が悲鳴をあげる。
「ヒッ」
凄惨な光景を目の当たりにした浅井先生は、引きつった声を漏らした。
実はこのムチ、打音が派手なだけでそこまで痛みはないのだが、素人には見抜けるわけがない。
「実はボクも仲間の一人なんだ。驚いたかな?」
「ええ、そうね……」
浅井先生は所在なさげにチラチラとドアの方へ視線をやる。
今すぐにでもここから逃げ出したいのだろう。誰だって変態集団とは関わりたくないものだ。
「軽蔑したかい?」
「いえ、ただ、少し驚いてしまって……」
「そうだろうね、ボクらはいわば日陰者だ。なあ武永くん」
「ああ……俺たちのような逸脱者が素知らぬ顔で浅井先生に接していたこと、今では恥ずかしく思うよ」
「そうだな。良子ちゃんには悪いことをした。どうかボクらを蔑んでくれ。悲しいことだが、たとえ縁を切られても仕方がない……」
村瀬は悲痛に沈んだ表情のまま肩を落とした。
普段から芝居がかった話し方をする奴だなとは思っていたが、その奇癖が今の状況ではありがたい。
村瀬が演技をしていることを知っている俺ですら騙されそうなほど迫真のアクトだった。
「いや、私はそんなつもりじゃ……それより伊坂先生、痛くないの?」
「痛くなければ意味が無いというもので……あっ!」
次は俺が伊坂の顔に冷水をぶっかけた。痛みは無いだろうが、驚きや屈辱感はぶたれた時以上だろう。
伊坂は顎から水を垂らしながら卑しい笑みを見せた。
「ちょっと武永先生、それはひどいんじゃ……」
「止めないでいただけますか、浅井先生……粗雑に扱われることが私にとって無上の悦びなのです……」
縛られたまま床を這い、伊坂は浅井先生の靴を舐めた。その異様さに驚いた浅井先生は思わず脚を引っ込めようとし、その爪先が伊坂の顎に命中した。
「あっ、ごめんなさい! つい……」
「いえいえ、僥倖にございます……」
心底嬉しそうな表情の伊坂を見て、浅井先生は完全に凍りついていた。
いくら何でもやりすぎなんじゃ……
「ごめんね、良子ちゃんおどかすつもりはなかったんだ……それに」
「それに?」
「今日でこういうのもやめようと思うんだ。これからは真っ当に生きていこうと思う」
「えっ、でもそれは……」
「いや、いや。いいんだ。こんな歪んだ嗜癖よりもボクらは良子ちゃんとの友情が大事だからね。今日はただわかってもらいたかっただけさ。これから捨てるボクらの趣味を」
村瀬は手に持ったムチを名残惜しそうに机の上へと安置した。
さらに「ふぅ」とため息を一つ。それはまるで、何か大切なものに別れを告げた人の仕草で。
伊坂もまた、床に這いつくばったままグスグスと涙を流している。
忘れていたがコイツも結構演技派なのだ。その才能をもうちょっと社会に役立ててほしいものだが……
重苦しい空気が部屋を支配する。どうしても沈黙を破りたくなってしまうが、ここは我慢だ。
もう少し、もう少しだけ耐えて……
「あの……」
おずおずと浅井先生が手を挙げた。
「どうしんだい良子ちゃん。安い同情ならやめてくれよ」
「いえ、その……確かにビックリはしたのだけれど、別にそれで姫子ちゃんや武永先生を嫌うつもりはないというか……」
来た。村瀬の読み通りだ。浅井先生は良くも悪くも善人なのだ。よしんば俺たちが真性の変態だったとして、それで見捨てるほど冷淡な人間じゃない。
「良子ちゃん……」
「うん、私なんかの浅薄な価値観で人を測っちゃダメね。きっと皆にとっては大事な儀式なのよね」
「然り、命より大事でございます」
それはお前だけだろ……と伊坂を諫めたくなったが、余計なことは言わないでおこう。
今の流れを途切れさせるべきじゃない。
「それと、ごめんなさい武永先生。私、また変な勘違いしちゃってて……伊坂先生と特別な仲なのかと」
「いやいや、コイツには異性としての興味は一切無いから。どうしようもない変態だし」
「武永様、そこまで辛辣に言われては……興奮してしまいます」
「ちょっと黙っててくれ」
荒療治ではあったが、伊坂との仲を誤解されている状況が改善されたこと自体はありがたい。
色々と粗はあるものの、最低限の目的は果たせた。
「でも武永先生と深い仲になるためにはこういう方面への理解も必要なのよね……」
「あー、いや……別にそういうわけじゃ」
「ううん、もう気をつかう必要は無いのよ武永先生。私もちゃんと勉強してくるから、待っててね」
……なんだかまた浅井先生が暴走しそうな気もするが、その時はその時で何とかするしかないか。
後日。村瀬に借りを返すために今日も彼女の家に行くことになった。
どんなコスプレをさせられるか聞いていないので少し不安はあるが、投げ出すわけにもいかない。
村瀬の家に着き呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開かれた。
ドアノブを掴んでいたのは……伊坂? なんでまたコイツがいるんだ?
そして、部屋の奥にはタキシードに身を包んだ村瀬が堂々と座っていた。
伊坂が来るという話も聞いていなかったのだが、何より驚いたのはやはり村瀬の格好。
男装の麗人というやつだろうか。昔母の読んでいたベルサイユのなんとかって漫画を思い出した。
結構似合ってはいるのだが、いまいち彼女の意図が読み取れない。
「待ってたよ、武永くん」
「お、おう……」
どうにも気持ちが落ち着かず周りをキョロキョロと見回すと、綺麗に畳まれたロリィタ服が目に入った。
なるほど、これを伊坂に着せて俺はカメラマンということか。
それならそうと言ってくれればいいのに……
「ふーん、村瀬は男装してロリィタ服の子と一緒に写真を撮りたかったんだな」
「ああ。ずっとこういう機会を待ってたんだ」
「それは結構なこった。で、伊坂はいつ着替えるんだ?」
「ん? 何を言っているんだい? それはキミが着るんだよ」
「は?」




