47―1 ロリィタとマゾヒスト その1
「最近、ずいぶん伊坂先生と仲が良いのね」
バイト前、講師控え室で荷物を整えていると浅井先生に声をかけられた。
冷たい汗が腋を伝う。伊坂と「親しく」している以上、いつかこうなることは予見できていたのだが。
「そ、そうかな……はは……」
「ええ、時々帰る時間も合わせてるみたいだし。やましいことしてるわけじゃないんだし、講師のみんなにも公表すればどう?」
「公表って……別に、俺たちは……」
どうやら浅井先生は俺と伊坂の間柄を誤解しているらしい。しかし本当の関係なんて教えられるわけがない。「昨日も夜更けまで緊縛プレイしてました」なんてどんな顔で言えばいいんだ。
「……出過ぎたこと言ってごめんなさい。今のは忘れて」
浅井先生は申し訳なさそうな顔で俯き、そのまま黙ってしまった。
隠し事をしてる以上、むしろ謝るべきはこっちなのに……どうにも胸が痛い。
かと言って伊坂との歪な関係をうまく説明できる自信はないし、説明したところでなおさら拗れるかもしれないし。
二人だけの空間に気まずい沈黙が流れる。
誰か、誰かこの重たい雰囲気を変えてくれ。誰でもいいから……
ガチャリ、とドアノブの回る音がする。
「お疲れ様でございます……」
頭を下げた伊坂がしずしずと控え室に入ってきた。思わず「よりによってお前かよ!」と叫びかけたが、すんでのところで堪える。
「お疲れ様、伊坂先生。今日はシフト入ってる曜日だったかしら」
「いえ、本日は代勤で参りまして……」
浅井先生は何事も無かったかのように気さくな態度で伊坂に話しかける。
やはり人間ができている。そんな人に対して秘密を抱えている自分が情けなくなってくる。
いっそ洗いざらい説明してしまうべきか? でももし、言い訳だと誤解されたら……
俺が悶々と悩んでいる間も浅井先生と伊坂は他愛のない雑談に花を咲かせていた。
それはそうと伊坂は意味深な目つきでこっちをチラチラ見るな。蹴り倒すぞ。
「あら、伊坂先生。腕どうしたの? アザができちゃってるような」
「ああ、これは昨晩武永様が……あっ」
「あっ」じゃねえよバカが! 何漏らしてんだよ!
「武永先生と何かあったの?」
「いえ、その……何と申し上げましょう、ちょっとした過ちと言いますか……」
伊坂は言葉に窮し、助けを求めるような目でこちらを伺う。
ちくしょう。助けてほしいのはこっちの方だよ。
浅井先生は伊坂と俺を交互に見比べた後、小さくため息をついた。
「ふぅん……そう。人のことを詮索するのは野暮ね。お幸せに」
明らかに落胆した様子で、浅井先生は講師控え室を出ていった。
間もなくバイトの開始時刻だ。こうなってはもう弁解もできない。
「伊坂テメェおい」
「申し訳ございません……愚かな従僕をどうぞ罰してください」
「お前わざとやってない?」
「そんな……滅相もない。心より反省しております」
言葉とは裏腹に伊坂の目は期待に満ちた色を湛えている。おそらく俺に叱ってほしいのだろう。
コイツ、やっぱり椿並みにタチが悪いのでは?
「もういい。お前とは関わりたくない」
「そ、そんな……しかしそれもまた善し……」
俺に突き放された伊坂は、それさえも快感であるかのように身を震わせた。
やっぱり一発ぶん殴ってやるべきか? でもそれはそれで喜びそうだしな……
結局その日浅井先生はバイトが終わるなりすぐに荷物をまとめて帰ってしまった。
心なしか彼女の受け持つ授業にもハリが無かったように思える。
今さら俺が伊坂との関係をあれこれ説明しても、苦し紛れの言い訳としか思ってもらえないだろう。
クソッ、一体どうすれば……
「で、なんでボクのところに来るのかね」
「そりゃあ村瀬以上に頼れる人なんていないからな」
「そ、そうかな?」
「ほら、学校で起こる問題とかってだいたい人間関係のこじれだろ? 教員への適正が高い村瀬なら何とかしてくれるかなって」
「ま、まあそこまで言うなら話くらいは聞いてやるが……」
チョロい。チョロすぎて心配になる。
皮肉とかじゃなくいい奴なんだよな、村瀬は……それが本人にとって良いか悪いかは別にして。
とは言え、村瀬以外の人物を頼ることができないのは事実だった。
村瀬が有能というよりは、他の連中が頼りにならなすぎるだけだが……
これまでの経緯を語ると、村瀬は徐々に難しい顔をし始めた。
やはりどうにもならないのだろうか。俺だって今回の件をどう収めれば良いかわからないのだから仕方ないのだが。
「やっぱり解決は無理そうか?」
「いや、無理ではないんだが……あんまりやりたくない方法なら、ある」
「えっ! 何かいい案があるのか!?」
「良子ちゃんを騙すことになるし、キミもボクもあんまり幸せにはならないやり方だが……」
「とりあえず聞かせてくれ、やるかは別として」
「いいかい……まずはだね」
村瀬の語る「作戦」は確かに効果がありそうに思えた。他の人相手なら通用しない気もするが、お人好しの浅井先生なら十分納得してくれるだろう。
その代わり別の部分で色々と話が拗れそうだが、それはそれだ。
まずは伊坂との関係を誤解されていることを何とかしたい。
「しかしいいのか? 村瀬まで浅井先生から変な目で見られることになるが」
「気にするな……と言いたいところだが、タダ働きというのは互いのために良くない。代わりに少しボクのお願いも聞いてくれないか」
「もちろん。今回の件が解決するなら何でもやるさ」
「何でも、と言ったね? その言葉、よく覚えておきたまえ」
「お、おう……なんか不安になってきたから一応内容を教えてくれないか。さわりだけでも」
「なに大したことじゃない。ボクのコスプレにちょっと付き合ってくれればいい。それ以上は望まないよ」
「それくらいなら、まあ……」
コスプレに付き合う、ねえ。村瀬がお姫様のドレスを着て、俺が王子様の格好でもすればいいのだろうか。
少し気恥ずかしい気もするが、その程度で済むなら安いものだ。
いずれにせよ、村瀬のことだから無茶苦茶な願いは言ってこないだろう。
とにかく問題解決の手段が得られたのは良いことだ。物事がうまく進むかどうかは別にして……




