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46―3 白蛇とハーブ園 その3

「大丈夫。ウチがお兄を幽霊さんから解放してあげるから」


「だから俺はそういうのは望んでないんだって……!」


「どんな方法がいいかな? 苦痛は少なくしてあげた方がいいよね。せめてもの情けで」


「千佳!」


「……なんて、冗談。ビックリした?」


 千佳を止めようと慌てて立ち上がった俺を横目に、彼女はクスクスと笑った。


「お前……そういうのやめろよもう……」


 思わず力が抜けてイスへと身体を沈める。昔はこんな剣呑な冗談を言う子じゃなかったんだが……

 やっぱり、俺と会わなかった数年間のうちに何かあったんだろう。いつか千佳の抱えるものとも向き合わなければいけないのかもしれない。


「作戦会議はここまでにして、再開しよっか。デート」 


「そんなすぐ切り替えられねえよ……」


「ならもう一回幽霊さんを闇討ちする方法考える?」


「あーわかったわかった。最後まで付き合うよ」


 そもそも折角遠くまで来てくれたのだ、千佳には楽しんでもらわないと悪い。

 たとえどれだけ変わったとしても、彼女は俺の大切な生徒なのだから。






 二人で坂の上から見下ろした花畑は、花に興味の無い俺でも目を奪われるほど壮観だった。

 赤にオレンジ、黄色にピンク、紫から白っぽい花まで、この世にある明るい色をすべて揃えたかのような構成で、心が弾む。

 地平を埋める鮮やかな彩りは、まるで神様があつらえて調和させたみたいだ。

 

 千佳は大小さまざまな植木鉢から立ち上がる花々に目を奪われている様子。

 特に群生するイベリスは彼女の持つ透明感にうってつけで、その絵画のような情景に思わず俺はカメラを構えていた。


「撮った?」


「あっ、悪い。思わず」


「ううん。でも、こうしたらもっと良い」


 千佳は俺の手からスマホを取ると、俺の肩にぐっと首を寄せ、そのまま内蔵カメラのボタンを押した。

 撮れた写真を見て、千佳はうんうんと頷き、スマホを俺へと返した。


「後でウチにも送ってね。プリントアウトして部屋に飾るから」


「お、おう……」


「A1サイズで」


「デカくない……?」


 発言の内容はともかく、振る舞いは年相応の女の子で少し安心した。たぶん自撮りなんかも友達とよくやっていて、こなれてるんだろう。うん、いたって普通の女の子だ。


 と思っていたのも束の間、千佳は四方八方から俺の写真を撮り始めた。

 何これ撮影会?


「きゅ、急にどうした?」


「撮影行為が解禁されたかと思って」


「そんなに俺を撮って楽しいのか?」


「楽しいよ。蛇の脱皮を眺めてる時の倍くらい」


「それ本当に楽しいのか?」


「それはもう、ものすごく」


「そうか……それならいいんだが……」


 ひとしきり写真を撮った千佳はカメラロールを眺めて、満足そうにぎゅっと目を瞑った。

 表情自体は愛らしいんだが、そこに至るまでの振る舞いがちょっと重い……







「お兄、大学って楽しい?」


 何十種類とアロマの小瓶が並べられた部屋でそれぞれの匂いを試していると、ふいに千佳が尋ねてきた。

 順当に行けば彼女も来年には大学生なのだ。気にならない方が不思議なくらいだろう。


「俺は結構好きだよ。色んな奴がいるしな」


「ふーん、どんな人がいるの?」


「どうしようもない女好きとか、常にツッコまないと会話が成立しない子とか、情緒が安定しないロリィタとか……」


「それ、本当に楽しいの?」


 もっともな疑問だ……確かに、言葉で説明するとあんまり愉快そうには思えないか。俺からすればそこそこ充実した日々なのだが。


「そりゃ楽しいだけじゃないけど……それでもアイツらとつるんでると退屈しないで済むんだよ。ありがたいことだ」


「ふーん……羨ましいな、お兄と一緒に過ごせて」


 千佳はぼそりと呟いた。その言葉は独り言であるからこそ、なおさら彼女の本心のように聞こえた。


 何故だか千佳は俺に執着しているようだが、俺なんぞがいなくても幸せになってほしいものだ。

 突き放すつもりはないのだが、千佳とは適切な距離感でいたいというのもある。

 まあ、高校生相手に下心を出すのは倫理的にもマズいしな……


 黙っていると間が持たないような気がして、アロマの小瓶を手に取る。「ネロリ」という名前のアロマだ。

 精油を試し紙に垂らすと、上品なオレンジのような香りがした。

 そのまま紙を鼻まで持ってくると、なんだか気分が安らいでくる。


「それ、いい香りする?」


「結構好きな感じだ」


「ふーん」


 千佳は突然背伸びをして、俺の眼前まで顔を近づける。

 ほとんど二人の鼻が触れあわん距離。しかし面食らったのも束の間、彼女は元の位置まで戻っていた。


「うん、ウチも好き」


 わざとやっているんだろうか、この子は……






 帰りのロープウェイでも千佳は俺の隣に座った。行きに乗った時よりも距離が近い。アロマとはまた違う華やかな香りがするし、どうにも落ち着かない。


「千佳……言いにくいんだけどちょっと近いような……」


「嫌だった? お兄の隣にいると安心するからつい」


「嫌ではないんだが……」


 椿と違って身を寄せられても不快感はないんだが、これはこれで対処に困るというか……

 そりゃ千佳は綺麗な子なんだけど、幼い頃の彼女を知っている分、下心を持つのは罪悪感があったりとか……


 俺の自惚れでなければ、千佳は俺に好意を持ってくれているのだろう。

 多少ヤンデレっぽさはあるにしても、こんなに器量のよい子に好かれるなんて滅多にない幸運ではある。


 ただ、彼女が真剣だからこそ俺も中途半端なことはできないと思ってしまう。

 こういう時、諸星だったら悩まないんだろうか。

 意気地のない自分が恨めしい。






 下山した後は元町駅まで電車で行き、中華街をブラブラと歩いた。

 ごま団子を分けあったり、パンダの彫像と写真を撮ったりと、千佳の望む「デートらしさ」は出せたような気がする。

 彼女自身も終始ご機嫌で、ハーブ園で見せた不穏さはすっかり息を潜めていた。


 そして、日が傾きはじめた頃ようやく二人で駅まで戻った。

 千佳は帰りたくなさそうだったが、未成年を遅くまで連れ回すわけにもいかない。

 教員志望の人間としてもそこだけは譲れないところだ。


「もうちょっとお兄といたかったな」


「また今度な。いつでも歓迎はするから」


「うん、また来るね。来週とか」


「スパンが短すぎない?」


「再来週の方がいい?」


「そうじゃなくてだな」


 千佳が言うといまいち冗談に聞こえないから少し怖い。


 戯れか本気かわからない千佳の弁に付き合っていると、電車が来るアナウンスが流れた。

 さすがに千佳も諦めたのだろうか、改札へと向かい始める。

 俺も見送るために彼女と歩調を合わせると、思い出したかのように千佳が振り返った。


「最後に一つだけいい?」


「ん? どうした?」


「もし、どうしても幽霊さんに我慢できなくなったら、いつでもウチのこと利用してね……」


 千佳は耳元でそう囁いた後、小走りで新快速に乗り込んでいった。





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