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45―5 ヤンデレと琴の音 その5

「それでは私は買い出しに行って参ります……」


「ええ。帰ってきていいと言うまで戻ってはダメよ。私はこれから先輩と濃厚接触をするの」


「はい……はい……重々承知しております」


 椿は伊坂のおだんご髪を掴み、上下に揺さぶりながら言い聞かせた。

 不気味な光景ではあるが、その姿から目を逸らしてはいけない。

 俺は伊坂という人間を理解しなければいけないのだ。奴が何を喜び、何を尊ぶか。


 揺すぶられすぎて伊坂の口からよだれが垂れてきているが、それでも椿は容赦しない。

 見ているだけで三半規管がおかしくなりそうだ。

 それでも、目を背けてはならない。







「では、武永先生も御機嫌よう。いい子でお待ちくださいね?」


 ようやく椿のミキシングから解放された伊坂が、焦点の合ってない目で俺の頭を撫でる。

 奴隷仲間が出来たとでも思っているのだろう。


「椿さんの言うことをよく聞き、忠実でいるのですよ? こんな素敵な方に飼っていただける幸せを噛みしめ、神に、世界に、椿さんに感謝して過ごしましょう」


 伊坂はしゃがんで俺の頭から顎にかけてゆっくりと撫で回した。

 仲間どころじゃない。コイツ、俺のことをさらに一段下に見てやがる。

 こんな奴らに見下されるとは……悔しくて涙が出そうだ。しかしまだ我慢。もう少しだけ、我慢しろ。


 黙って伊坂をにらみ返してやると、返事が無い俺に興味を尽かしたのか、そのまま奴は俺に背を向け立ち上がった。

 ここだ! このチャンスを逃がすな!


「どこ行くつもりだクソブス女!」


 歩み出した伊坂の左足首を勢いよく掴むと、奴はバランスを崩し盛大にすっ転んだ。


「な、何を……」


 倒れた伊坂が仰向けに振り返った瞬間を狙い、みぞおちに踵をぶち込む。

 まだ温かい鳩の死骸を踏んだような、嫌な感触がした。


「ぐえっ……」


「偉そうに指図しやがって! よくも人をハメてくれたなこのゴミクズ! ナメやがってクソ! クソ!」


 立ち上がった俺は伊坂の脇腹やら背中やらをめちゃくちゃ蹴りまくった。

 人を蹴ったことなんて無いし、どうしても及び腰の蹴り方になってしまうが、それでもある程度のダメージはありそうだ。


 蹴られるたびビクビクと身体を震わす伊坂の姿を見て胸が痛い。

 しかしやるしかないのだ、俺は。


 これで椿が俺に恐れを抱くか、せめて少しでも引いてくれれば……

 チラリと椿の表情を盗み見る。


「あらあら先輩、はしゃいじゃって」


 ダメだ……椿は自分の友人が殴打されているというのにヘラヘラ笑っている。

 俺と一緒に立ち上がったきり伊坂を見下ろしているが、動じる気配はない。


 ちくしょう……この程度は椿の想定内だというのか。それならプランBだ。

 這いつくばる伊坂の顔を踏みつけ、苦痛にゆがむその顔を床に擦り付ける。


「おうコラ黙ってんじゃねえぞ。俺になんか言うこと無いのかコラ」


「す、すみませ……」


「声が小せぇんだよ!」


「申し訳ありません!!」


「うるせえ! 人の家で大声出すな!」


 再び伊坂の顔面に蹴りを入れる。吹き飛んだまま動かない伊坂の鼻からゆっくりと鼻血が垂れてきた。


 ああ、ちくしょう、嫌だ嫌だ。尊敬していた小学校の先生には「女の子に暴力を振るってはいけません」と口酸っぱく言われたっけ。

 結局言いつけを守れなかったな、俺。


「らしくないですねえ、先輩。ずいぶん焦ってるみたいですけど、何か嫌なことでもありましたか?」


 鼻血を垂らしてうずくまる伊坂を見てもなお、椿は奴を介抱するつもりはないらしい。

 別に伊坂を見捨てているというわけではなく、この程度の暴力はコイツらにとって日常茶飯事なのだろう。

 椿の純粋な暴力を上回るにはもっと苛烈にならないといけないのだろうが、どうしても躊躇いが出てしまう。


「慣れないことして……本当は怖いんでしょう? 腰が引けてますよ」


「うるせえ」


「もっと鋭角に蹴り込まなきゃ。 折角ですしお手本でも見せてあげましょうか?」


 椿の言葉を無視し、さらにもう一発伊坂に蹴りを打ち込む。

 ビクン、と伊坂の身体が活け締めの魚のように跳ね、俺たちに背を向ける格好になった。


「さあ、さらちゃん。いつまでも寝てないで買い出しに行きなさい。これ以上私を退屈させないでちょうだい」


 椿は氷のように冷たく命令を言い放ったが、伊坂が動く気配は無い。

 さて、どっちだ。痛みで動けないだけか。それとも……


「さらちゃん?」


 焦れた椿が伊坂の身体を裏返しこちらに向けると、恥じらうような表情の伊坂が俺たちの瞳に映った。




 なるほど……やはりか。




「ちょっと、さらちゃん。何その顔は。私の言うことが聞けないっていうの?」


「いえ、その……」


「返事は『はい』か『イエス』でしょうが」


 椿もまた、伊坂のみぞおちに蹴りを打ち込む。ボグッ……と嫌な音がした。俺の時よりずっと痛そうだ。

 しかし、それでも伊坂は俺に対して熱視線を注いでいた。


「何なの? 私より先輩の蹴りの方が良かったっていうの? あんなヘナチョコキックが?」


「は……」


「は?」


「はい……」


 椿の鋭い蹴りが再び伊坂の腹を捉える。その容赦なさを見るに、俺の蹴りとは比べ物にならないダメージだろう。

 それでも伊坂は俺から視線を外さない。紅潮した頬、蕩けた眼差しで俺からの下賜を待っている。


 やはり俺の読み通りだ。

 椿では伊坂の「ご主人様」としての資格が致命的に欠落している。


「何よ……私の何が気にくわないっていうの……」


 従僕の突然の反抗に、椿は明らかに狼狽している。

 それもそのはずだ。椿は主人として申し分ない働きをしてきた。

 伊坂の望むように苛烈な暴力を振るい、理不尽な動機で責め立て、時に無視さえした。

 「友達」に対する義理立てだろうか、椿はこれまで一切手抜きしなかったのだろう。


 それでも駄目なのだ。椿は伊坂の本当のご主人様にはなれない。

 何故なら……


 しゃがみこんだ俺が伊坂の顎を掴むと、彼女は「ひゃっ」と声を上げた。

 その反応は、初めて男に触れられた生娘のようで。


「ああそういうこと……まるで発情期の雌豚ね」


 すべてを悟った椿がため息をついた。


 そう、伊坂は本心では男の「ご主人様」が欲しかったのだ。






「で、どうするんですか? さらちゃんは先輩の言うことを聞くでしょうけど、その子は鍵持ってませんよ」


「えっ……マジか」


「当たり前でしょう。友情より快楽を優先する変態ですよ。信頼できるわけないでしょう」


「へ、変態だなんてそんな……」


「なんで嬉しそうなんだよ気色悪いな……それより伊坂お前、椿をふんじばって鍵を出させろよ」


「いえ、それはできません……」


「あぁ?」


「椿さんはご主人様ではなくなったので、私にとって友人と相成りました……ご主人様は鞍替えできますが、友人を裏切ることはできませんゆえ……」


 意味のわからん理屈だが、コイツの中では筋が通っているのだろう。

 変態の理屈をねじ曲げることは不可能に近い。椿と何度もやり合った中でよく学んだことだ。


 ひとまず伊坂をこちらにつけたのはいいが、これじゃ膠着状態じゃねえか。クソッ……



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