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45―2 ヤンデレと琴の音 その2

 気づけば時刻は23時を回っており、そろそろ歓迎会もお開きの時間だ。

 なぜか妙にすり寄ってくる伊坂先生と離れるのは名残惜しいが、また機会はあるだろう。バイトに行く楽しみが増えたな。


「さて、そろそろお開きにしないとだけど……そう言えば伊坂先生は大阪から大学に通ってるんだよね? 終電は大丈夫かい?」


「終電……ああ……すでに過ぎておりますねえ」


 伊坂先生はほわほわした笑顔で塾長の問いに答えたが、大丈夫この子。

 バイトの時はしっかりしているように見えたが、意外と天然気味の性格なのかもしれない。

 こんな無防備に酔ってるところといい、見ていて心配になるな。


「それはいけない。誰か泊めてあげてられないかな?」


「うちは彼氏いるんで無理でーす」


「俺も女の子泊めたら彼女に怒られるしなー」


 同僚が口々にNGを唱える。というか、俺以外みんな恋人いんの? これが普通の大学生なのか? なんか悲しくなってくるな……


「じゃあしょうがない……武永先生、お願いできるかな?」


「えっ、俺ですか? いや、でも異性を泊めるなんて何かあったら……」


 しかし俺の躊躇を物ともせず、「武永なら大丈夫だろう」「問題ないね」「草食動物だし……」「むしろ植物では?」などみんな勝手なことを言い合っている。

 信頼されていると思うべきか、一端の男とすら見られてないだけか。

 単に面倒事を俺に押し付けたい、という意図もあるのかもしれない。

 ここで強く断れない俺も俺なんだが……


「伊坂先生はどうしたい?」


「武永先生が宿を貸してくださると言うなら是非に……」


 「ご指名じゃん!」「よろしく武永先生!」など一通り盛り上がって、結局伊坂先生を泊めることになった。

 この場に浅井先生がいたら俺ももっと抵抗していただろうが、そこまで拒否する口実が無いのも事実だった。





 店を出て、俺の家へと向かう道すがら。伊坂先生は気分よく酔っているのか、ふんわりとした笑顔で俺の隣を歩いている。

 やましいことをするつもりはないんだが、ちょっとドキドキしているのも本音だ。こうまで信用されていると罪悪感を覚えるな……

 一応、最終確認はしておくか。


「本当にいいのか、伊坂先生。今からでも誰か女友達の家に泊まったら……」


「もしかして、ご迷惑でしたでしょうか?」


「いやいや、俺は構わないんだけど……ほら、伊坂先生自身が不安にならないのかなって」


「武永先生はとても誠実な方だとお伺いしておりますので……」


 浅井先生か、他のバイトメンバーから俺の人柄を聞いていたのだろうか。

 正直買いかぶりだろうとは思うが、誉められて悪い気はしない。


 ただまあ、自分から何かするつもりはないが、もし伊坂先生から誘われたら?

 そりゃ浅井先生のことは気になるけど、別に付き合ってるわけじゃないし、操を立てるなんて大袈裟な気もする。

 伊坂先生がどういうつもりで俺についてきたのかはわからないしな……

 こう見えて遊んでるタイプなのかもしれないし……


 いかん、余計な妄想をしまいそうだ。下心が顔に出るといけない。

 そう、俺は紳士。どこへ出しても恥ずかしくないジェントルとして、客人をもてなさねばならないのだ。


「武永先生、お顔が緩んでおられるようですが……」


「へっ!? ああいや、さっきの飲み会が楽しかったなー、って思ってさ」


「まったくです。皆様あたたかい方ばかりで、新参者の私などにも優しく……」


 危ない危ない。スケベ心を見抜かれたかと思った。

 伊坂先生が顔を近づけてきた時、なんか花みたいな香りもしたし、油断すると本当に理性が飛びそうだ。

 落ち着け、大学生なら友人知人を泊めるくらい珍しいことじゃない。

 普通普通、ごく当たり前のことなのだ。俺は断じてやましいことなど考えていない……今のところ。





 家に着くと、伊坂先生はフラフラと部屋のビーズクッションに倒れ込んだ。そのままへにゃりと脱力している。

 いや本当に、俺がもし悪い男だったらどうしていたんだろう。むしろ誘ってるのか? ここで気概を見せるべきなのか。


「伊坂先生、眠いのか? 風呂も入れないならそのままベッドで寝てくれていいけど」


「いえ、お風呂はお借りできると幸いです……しかし、しばしの猶予をいただきたいのです……」


 クッションに顔を埋めたまま伊坂先生がもにょもにょと話す。

 大和撫子然とした雰囲気はどこに行ったのだろう。これはこれで愛らしいが……


「そうか、じゃあゆっくりしててくれ。俺は……どうすっかな」


「私に遠慮なさらず……武永先生は先にシャワーを浴びおいてください……」


「お、おう……」


 「先にシャワー」か。なかなかいい響きだ。彼女の言葉に他意は無いだろうが、それでも。


 着替えの用意をしつつ、クッションに埋もれた伊坂先生の方を見ると、彼女はうっすら目を開けて微笑んでいた。

 なんなんだろう、この意味深な笑みは。何かを期待しているのだろうか。

 ダメだ、また妄想が膨らんできそうだ。とにかくシャワーを浴びよう……






 シャワーで1日の疲れを洗い流しながら考える。

 そう、俺が望んでいたのはこういう大学生活なのだ。

 友人だか知人だかわからない異性と、(よこしま)な意図なく一夜を明かしたりとか。


 思えば今までの大学生活が異常すぎたのだ。異様に執念深いヤンデレ女に追い回され、まともな恋愛をしようにもことごとく邪魔され、ちょっと遊ぶ隙すらも与えてくれない。

 今までの苦労を思えば、たまに報われるくらいあってもいいだろう。


 機嫌よくシャワーを浴びていると、風呂ドアのすりガラス越しに人影が見えた。

 えっ、もしかして伊坂先生、一緒に入ろうとしてる?


 いやいやいや、そりゃ少しも期待しなかったと言えば嘘になるけど、それは順序を飛ばしすぎじゃないか?

 バイトの同僚になったとはいえ初対面でそんな……


 いや、でも、俺の頭が固すぎるのかもしれない。

 世の中には初対面で同衾する男女もいると言うし、だからこそ「ワンナイトラブ」という言葉がある。

 俺にとってはファンタジーのような話だが、しかし現に諸星はそういうことをしてるらしいし、本当に起こりうることなのだろう。


 チャンスというのは突然降って湧いてくるものだと聞く。

 しかし落ち着かない。とりあえず声をかけてみるか。


「どっ、どうした、伊坂先生。な、何か用か?」


 平静を装ったつもりだが声が上ずっていた。クソッ、慣れてねえんだよこういうシチュエーション。


 返事は無い。人影が揺らいだ気はするが、もしかしすると伊坂先生も何かきっかけを待っているのかもしれない。

 落ち着け。冷静に考えろ。こういう時、諸星なら何と声をかけるだろう。

 想像しろ。何か、何か声をかけないと。


「えーっと……一緒に、入るか?」


 ドア越しにクスクスと笑う声が聞こえる。冗談だと思われたのだろうか。

 己の言葉を思い出して恥ずかしくなってきた。もうちょっとスマートな誘い方は無かったのだろうか。

 まあ、笑われたとしてもドン引きされるよりはずっとマシだが。


 嫌がられたわけではないのだろうか。からかわれている?

 悶々とした頭にシャワーの音だけがうるさい。


 ドアをひねる音がして、少しだけ隙間ができる。

 マジか。マジで入ってくるつもりなのか。いや、まだ、心の準備が。


「それでは、失礼します」


 淑やかな声とともにドアが開かれ、そこにはタオル一枚だけの伊坂先生が……








 いたわけではなく、入ってきたのは椿だった。



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