44―3 石頭とそれぞれの家庭環境 その3
「ま、自分を不幸だと思ったことはねえがなあ。金には不自由してねえし、何か束縛されるでもない。期待されないってのも気楽なもんだからなあ」
諸星は立ったまま伸びをして、続けて「ふあ~ぁ」と長い欠伸を行った。
のんきに見えるその所作も、いつもとは違ってどこか寂しそうで。
「そうか……諸星くんも苦労してたんだな」
「そうそう、俺ってば可哀想なの」
「自分で言うと説得力が失せるな……」
「ちなみにこの話を女の子にするとウケがいいんだよなあ。ナンパについてくる子って大好きだからよ、『ストーリー』みたいなの」
「なんだろう……同情して損した気分だな」
「つらい生い立ちすら利用していく胆力は立派だが……あまり尊敬はできないね」
「ヒャヒャヒャ! ひでえ言われようだな!」
ヘラヘラ笑う諸星の態度に、村瀬が肩をすくめる。
過酷な半生の割にどうにも悲愴感が無いのは良いことなのか悪いことなのか。
「それはともかく、リーちゃんはなんでまた俺の膝で寝てんの……」
「あ、ボシさんの話終わりました? あんまり興味が無かったもので」
「何気にリーちゃんが一番ひでえなオイ」
「そうだぞリーちゃん、いくら諸星相手だからってそれは流石に……」
俺たちの詰問に対し、リーちゃんは不思議そうに首をかしげて答える。
「興味を持たないとまずいですか? ボシさんがどういう育ちであろうと、私にとって敬愛する先輩であることに変わりないんですがね」
場に沈黙が流れる。中でも諸星はポカンと口を開けたまま間抜け面を晒していた。
リーちゃんの答えはあまりに簡潔で、合理的なものであった。
よくよく考えてみれば俺だって同じだ。諸星がたとえ何者であろうと、コイツが俺の悪友であることに代わりはない。
俺たちが諸星に向けるべき感情は同情とかそんな安っぽいものじゃなくて、もっと単純で、もっとありふれた……
「まったく可愛い後輩だなお前はよお」
「そうでしょう。可愛い後輩には焼肉をおごるべきだとは思いませんか」
「ごめんよく見たらあんま可愛くないわ」
「もっと凝視すれば可愛く見えるかもしれませんよ。メイラード反応というやつです」
メイラード反応が果たして何なのかはわからないが、リーちゃんがまたテキトーなことを言っていることだけはわかる……
その後も四人で他愛もない話を続けていると、遠くに黒い人影がぼんやり見えた。
その影はまっすぐこちらへ向かってくる。
……嫌な予感がする。
「あらあらあら莉依ちゃん、ずいぶん楽しそうなことをしてるのね」
「ご機嫌よう姐さん。今日も前髪が長いですね」
現れた椿は明らかに不機嫌な表情であった。理由はまあ……聞かなくてもわかるが。
「先輩も何やってるんですか? 浮気ですよねこれ? 民法上の不貞行為ですよね?」
なんでまた俺が責められるんだ……という真っ当な疑問は椿には通じない。
「いやこれは……リーちゃんという19歳の幼児に対する情操教育の一環で……」
「言い訳は無用です。私に許してもらいたければ……おわかりですね?」
くっ……何をさせられるんだ。理不尽な懲罰か、法外な不当労働か。
おぞましい想像が次々に頭をよぎる。そう簡単なペナルティで許してもらえるとは思えないが……
「私も寝させてください!」
最悪の予想のうちの一つが的中した。
「ああ、良いですねこれ……もうここに住居を構えようかな……あっ、莉依ちゃんそっち詰めてもらっていい?」
「了解です」
俺の右太ももの上にリーちゃんの頭が、左には椿の頭が乗っている。なんか前にも見たことあるな、この光景……
「なあ姫ちゃん、俺たちは何を見せられてるんだろうなあ」
「さあ……両手に花、いや両足に花の武永くんが羨ましいね」
「違いねえや」
立ったまま気の毒そうな目線を向けてくる諸星と村瀬が恨めしかった。
ここが大学のベンチである以上、当然人の目もあるのだが、通行人は皆俺たちの異様な姿を見ては気まずそうに去っていく。
だいたいのトラブルは主に椿のせいなんだけど、そろそろ大学当局に怒られたりしないかこれ?
「それで、皆さん今日はどんなお話をされてたんですか?」
「みんなの家族がどんな感じかって話をしてたんだが……意外と盛り上がったな」
「へえ……」
「姐さんのご実家はどんな感じですか? 豪邸ですか? 8LDKですか?」
「別に普通の家ですよ。親だって普通の建築士と専業主婦です。きょうだいもいないし、特段面白いことは……」
「ご両親の夫婦仲が良さそうな気がするね。なんとなくだけれど」
「それも普通ですよ。まあ今でも二人で旅行に行ったりしますから、仲が悪いってことはないんでしょうが」
椿の言葉に嘘はなさそうだ。本当に、ごく普通の家庭に育ったのかもしれない。
しかし、普通の家庭からこんな異常者が生まれるか? それはそれで言い知れない不気味さがあるのだが……
「へえ。ちなみにご両親はどちらへ旅行に行かれるんですか? コートジボワールですか?」
「二人だと全国の神社にお参りに行くことが多いみたいですねえ。別に神道に篤いわけでもないんですが。あっ、私の名前も三重県にある神社が由来なんですよ。知ってました先輩? ねえ知ってました?」
「知らん。しかしそんなに神社に通って何をお祈りしてるんだろうな」
「縁結びですね。ずっとずっと離れないように。まあ普通ですよね、夫婦なら」
……何だか不穏な気配がしてきた。
「いや、縁結びって普通カップルとかが行くもので、すでに結ばれた夫婦で行くものではないだろ。普通なら家内安全とか……」
「でも両親の結びつきが強ければ結果的に家内安全に繋がりませんか?」
「それはまあ……一理あるけど」
「行き先は椿ちゃんのお母さんが決めてんの?」
「そうですね。お父さんは振り回されてる感じです。でも幸せそうですけどねえ」
「……」
不穏な予感がどんどん実感に変わってくる。椿の実家がどんなものか、その輪郭が見えてくるようだ。
「椿ちゃんも独り暮らししてるわけだし、お母さん寂しがってないか?」
「そうでもないですよ。お父さんは在宅でできる仕事をやってますし、いつもその仕事ぶりをじっと見てますから」
「気が休まらなさそうだなオイ……」
「え? だって夫婦であれば24時間一緒にいたいと思うのは普通ですよね? お父さんは照れ隠しで『たまには一人になりたい』なんてぼやいてますが、本心ではないでしょうし」
「それお父さん鬱にならないか? 大丈夫かい?」
「どうしてですか? あんなに愛されていれば病にかかることなどあり得ないと思いますが……」
椿がなぜ「こう」なったのか、その一端が見えたような気がする。
最後に一つだけ、どうしても気になることを聞いておこう。
「ちなみに椿のお父さんはどんな人なんだ?」
「うーん、普通の人なんですが……一言で表せば」
「表せば?」
「先輩みたいな人ですね!」
……聞かなければ良かったかもしれない。




