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43―5 白蛇と帰郷 その5

「ごちそうさま」


 まだテーブルにはかなりの量の料理が残っていたが、それでも千佳は箸を置き、席を立った。


 明らかに尋常な雰囲気でない。何がそこまで気に障ったのかはわからないが、とにかく追いかけないと。


「あら、先輩。もうお腹いっぱいですか?」


「お前も来るんだよ。千佳を追いかけるぞ」


「えー、料理冷めちゃうじゃないですか。あんな子は放っといて、家族三人仲良く食事をですね……」


 ぐずる椿を引きずり、千佳の姿を探す。大して広い家じゃないし、彼女が家を出ていない限り探すのは難しくないはずだ。


 家中を見て回りながら、椿に問いを投げ掛ける。


「なんで千佳が蛇に関係あると思ったんだ?」


「勘です……っていうのは冗談で、ちょっとした推理ですね」


「確証があったわけじゃないのか。で、どういう根拠なんだ?」


「理由は3つくらいあります。まず私とのファーストコンタクト。こんな可憐で無害な私にいきなり喧嘩腰で向かってきたのがおかしいんですよ」


 可憐かどうかには強い疑いが残るが、確かに千佳の態度には違和感があった。

 いくら椿が不吉な容姿をしているからといって、それだけで攻撃するのは過剰反応というものだろう。

 ファーストコンタクトで椿の異常性を見抜いた可能性もあるが、それでも普通は様子見から入るものだ。


 それに、あれだけ俺を慕ってくれている千佳が俺の知人であろう人物にいきなり失礼かますのも不自然ではある。


「2つ目は浅井さんの話が出た時。浅井さんの容姿なんて誰も言及してないのに、あの子は『大人っぽい美人』だと知ってました。これもおかしくないですか?」


「言われてみれば……」


 どういう訳かは知らないが、千佳が俺の人間関係をある程度把握しているのは事実のようだ。

 しかし俺が今住んでいる神戸近辺で千佳らしき人物を見かけた覚えはないし、そもそも俺の動向を探る人物がいれば椿が黙っていないだろう。

 となると、千佳は俺にも椿にも見つからない特殊な方法で俺の生活を覗き見していたとしか思えない。


「それで、最後の根拠はなんなんだ?」


「3つ目は名字ですね」


「名字?」


「あの子の名字、『加々美(かがみ)』っていうんでしょう。蛇を表す昔の言葉、『かがち』とよく音が似ていますよね。それに和歌山って蛇神信仰が点在してるみたいじゃないですか」


 なるほど。蛇を「かがち」と呼ぶのは初めて知ったが、「ヤマカガシ」なんて種類の蛇もいるし、そういう呼び方があるのも事実なんだろう。


 確かに、千佳の佇まいには美しい爬虫類を連想させるものがある。

 滑らかな白い肌、体温を感じさせない冷たい雰囲気、そして鋭いあの目つき。


 あまりにも辻褄が合いすぎている。

 ただ、それでも俺は、千佳のあの時の発言を信じたかった。


「でもなあ……千佳は自分が蛇じゃないって言ってたんだよ」


「そんなでまかせ信じたんですか? 先輩は本当に人がいいですねえ」


「誉めてねえだろそれ。遠回しにバカにするくらいならストレートに言え」


「先輩はアホですねえ」


「ごめんやっぱ傷つくわ……」


 俺のしょげた表情を見てクスクスと笑う椿。そのいやらしい相貌を見たくなくて目を逸らすと、暗い庭に人影らしきものが見えた。


 もしかして、あれは?


「千佳! 急にどうして……」


 庭に出て、ぼうっと佇む千佳に近づくと異変に気がついた。

 千佳の身体がやけに太い。何かまとわりついているように見える。身体にしめ縄でも巻き付けているのか? いや……よく似ているが縄じゃない。


 あれは……蛇だ。


「驚いた? これがウチ。人間未満の、蛇のお仲間」


 千佳の身体には体躯数メートルはあろうかという大蛇が巻き付いていた。








 千佳の身体は大蛇に巻き付かれているものの、襲われているわけではないようだ。何なら千佳は余裕の表情で蛇の頭を撫でている。千佳と蛇、その主従を判別するのは容易だった。


「怖い?」


「そりゃ蛇は怖いけど……それより人間未満ってどういう意味だ? 千佳は蛇じゃあないんだろ?」


「ウチが蛇じゃないのは本当。蛇なんかよりもっと狡猾で、浅ましい生き物。そういう家系」


 千佳の言っていることは要領を得ないが、どうも椿の推理は当たっていたようだ。

 あの白蛇を操っていたのは千佳であるらしい。だから白蛇は、俺に近づく異性である浅井先生を威嚇したり、俺に対し危害をなす椿に噛みついたりしたのだろう。


「本性表しましたねえ」


 続いて椿も庭に降りてくる。次郎が蛇に恐れをなして犬小屋に隠れているため、ためらいなく外に出られたのだろう。

 犬は怖いのに大蛇は平気なのか、コイツ。


「こんな姿、お(にい)には見られたくなかったけど……でもウチの家系と蛇は切り離せないから。お兄にやったみたいに蛇を使って人のことを調べあげて、財を築き上げてきた。セコい一族でしょ」


 千佳は自嘲気味に笑う。暗くてその表情はハッキリと見えないが、愉快な笑みでないことだけはわかる。


「千佳……」


「あら本当に不気味ですね。なんで蛇に巻き付かれてるんです? サーカスでも始めるんですか?」


「お前はちょっと黙ってろ」


 椿が余計なことを言って煽るから千佳もヤケを起こしたのだろうか。

 それなら、コイツを連れてきてしまった俺にも責任の一端がある。


「なあ千佳、椿に言われたことは気にすんなよ。コイツは頭おかしいからさ、あんまり真面目に相手しなくていいっていうか」


「ううん。これはウチが決めたこと。こんな大事なことを秘密にしてたら、お兄を騙してるみたいで気分悪いし」


「そうですねえ、隠し事はダメです。正々堂々向かってきたうえで、私に敗れるのがお似合いなんですよ」


「だからお前は黙ってろってのに」


 シリアスな場面のはずなのに、椿が茶々を入れてくるせいでいまいち緊張感が出ない。


 大蛇は千佳の身体に巻き付いたまま、うぞうぞと蠢いている。じゃれているだけなのか、それとも。

 いずれにしてもかなり不気味な光景ではあった。


「失望したでしょ、こんな姿。ごめんね、もうお兄の前には現れないから。安心して、幸せに生きてね」


「えっ? 待てよ、千佳」


 俺の制止も聞かず、千佳は背を向けて去ろうとする。

 大蛇に気圧された俺の表情が、千佳にとってはショックだったのだろうか。だとすれば、ちゃんと謝りたい。驚いたのは事実だが、千佳を傷つけたくはなかった。


「来ないで」


 千佳は後ろを向いたまま、近づこうとする俺を牽制した。


「来たらこの子が噛む」


 相変わらず千佳は振り向かないままだが、大蛇だけがその恐ろしい面貌をこちらに向けた。

 あれだけ大きな口であれば、人間一人を丸呑みすることもたやすいだろう。

 千佳に近づきたいが、どうしても足がすくむ。


 どうすればうまく近づけるか悩んでいると、俺の横をふいに影が通り抜けた。


「椿!?」


 椿はためらわずどんどん前へ進んでいく。千佳との距離はもう1メートルもない。

 なんだコイツ。自殺志願者か?


 椿が千佳に触れる距離まで近づくと、大蛇は大きく牙を剥いた。以前の白蛇相手と違って、今度は「痛い」じゃ済まなさそうだ。

 しかし椿にひるむ気配はない。


「待ちなさい、この負け犬。いえ……負け蛇」


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