43―4 白蛇と帰郷 その4
「そもそも千佳は高校生だろう? まだ早いというか何というか……」
「でも年齢的には結婚できる」
「条例とか色々厳しいじゃねえか、最近」
「親同士の許可があれば条例も問題ない。お兄はウチのこと嫌い?」
「いや、嫌いじゃないんだが……」
昔家庭教師をしていた頃からよく知っているが、千佳はなかなか聡明な子だ。年下と見くびって誤魔化しの通じる相手じゃない。
あんまりキッパリ拒絶もしづらいし、椿をいなすより難しいかもしれないな、これ……
「先輩は貴女のようなお子ちゃまに興味は無いんですよ。言われないとわからないんですか?」
「アナタにお兄の何がわかるの」
「全部ですよ? もちろん好きな異性のタイプだって」
俺、椿に全部わかられてるのか……なんかすごい嫌だな……
「先輩は癒しと大人の包容力を求めているの。まさに私のような人間をね」
「いや、お前は『癒し』じゃなく『卑しい』とか『いやらしい』だろ」
「似たようなもんじゃないですか」
「あと包容力じゃなくてホールド力だろうが。それも物理的な腕力だし」
「庇護と支配は同じことですよ。見方が違うだけで」
椿の屁理屈はともかく、癒しと包容力の持つ女性を魅力的に思うのは事実だった。もっとも、その点は椿よりずっとうってつけの人物が身近にいるが……
「ウチだってもう大人だけど。何なら、確認してみる?」
千佳はスカートの裾を少しまくりつつ上目遣いで俺の目を見つめた。高校生とは思えない扇情的な風貌だ。
俺だって男だから何も感じないわけではないが、今はそういうのはやめてほしかった。
何故なら。
「そういうところが子どもだって言ってるのよ、まったく」
椿は呆れ顔で千佳のスカートを元に戻した。
「どういう意味」
「お義母様の目の前よ? 見なさい、先輩の気まずそうな顔」
そうなのだ。何故だかはわからないが、母親の前で色気づいた雰囲気を出されるとどうにも気まずい。
今回ばかりは椿に助けられたようなものだ。あまり感謝はしたくないが。
「貴女には淑女としての振る舞いが不足しているの。わかる?」
「むぅ……」
「全裸で迫ってきた奴が淑女を語るなよ……」
何だかもう二人の諍いを見守るのも面倒になってきた。止める方法も無さそうだし、気が済むまでやらせておくか。流石にうちの母親の前で取っ組み合いまではしないだろうし。
色々あったせいでまだ次郎(実家の柴犬)にも会えてなかったし、ちょっと挨拶でもしてくるか。
「おーよしよし、いい子だ」
「ワフっ」
次郎は俺が帰ってくる度に目を輝かしてすり寄ってくるのでとても愛らしい。たぶん両親より次郎の方が俺の帰りを待ち望んでいるのだろう。
実家にいた頃は毎日一緒に散歩をしたものだ。俺にとっては、次郎はペットというより兄弟に近い存在だった。
俺が庭でひとしきり次郎を撫で回していると、いつの間にか隣に千佳がしゃがんでいた。
彼女はそのまま次郎の顎のあたりをわしゃわしゃと撫でる。
「そういや千佳も次郎とはよく遊んでたな」
「うん、次郎は賢い子。ウチのことも覚えててくれた」
なんとなく嫌な気配がして家の中を見ると、じっとりした目つきで椿がこちらを見ていた。
なんで庭に出てこないのかはわかるけど。
「あの人、犬が怖いんだね」
「ああ。ホラー映画の幽霊みたいな見た目なのに、中身ビビりなんだよアイツ」
「フッ」
千佳が椿の方を向いて勝ち誇った笑みを浮かべると同時に、椿の「くっ……一勝一敗ね……」と呟く声が聞こえた。何の勝負なんだまったく……
夕飯も実家で食べてから帰ることになった。別にそれは構わないのだが、ずっと気になっていたことがある。
「結局、祖父の弟の奥さんの従姉妹の娘の旦那さんの父の葬式はどうなったんだよ」
「ああ、あれ? 別に出なくていいわよ。父さんは行ってるけど、私も出るつもりないし」
俺は何のためにわざわざ帰省してきたのだろう……
そして夕飯時。今日は椿も千佳もいるので、うちにしては豪勢な食卓になった。柿の葉寿司を家で食べるのは久しぶりだ。
俺も付き合わされてオードブルっぽいものを作ったわけだが。
「あら、私もいただいて良いのですか? ああ、お義母様の美味しい料理をいただけるなんて幸甚の極みです!」
「大人を自称するだけあって媚びるのは上手なんだ。お嫁さんよりサラリーマンにでもなったら?」
「あん? いちいち突っかからないでくれる? まったく、なんでこの子もご飯食べていくつもりなの……身内でもないのに」
メシがまずくなるので夕飯の席でケンカするのはやめてほしいんだが……
「母さんもいいのかよ、もし万一どっちかが嫁に来るってなったら母さんも苦労すると思うが」
「そう? まあ、二人とも私には従順だから別に構わないわよ。宗介が頑張ればどうにでもなるでしょ」
なんてテキトーな母なんだ……完全に他人事だしな。
「とりあえず今だけでもこのケンカは止めたいんだが」
「そうねえ……宗介、アンタいっそ二人ともと付き合っちゃえば?」
「はぁ?」
それはあまりに非現実的な解決法だろう。俺が二人をはべらそうものなら、毎日が冷戦になることは火を見るより明らかだ。
「いいじゃない、こんなに熱心に想ってくれる子たちなんてそういないわよ。それとも何? アンタ他に気になる子でもいるの?」
「それは、まあ……」
母につつかれて思い浮かべるのは浅井先生のこと。しかし千佳もいる前でどこまで話をするべきだろうか。
「浅井さんはもう過去の女じゃないですか。ほら、なんかだんだん出番も減ってきてますし」
「お前の出番が多すぎるんだよ」
「まあ、この生意気な子よりは倒しがいありますけど」
「ウチだって大人っぽい美人になるし。その人に負けないくらい」
千佳の発言には妙に引っ掛かるものがあったが、余計なことは言わないでおこう。
今は椿と千佳の争いをなだめつつ、平和的に食事を終わらせることが大事だ。
「ならその子も含めて三人と付き合えばいいんじゃない?」
「いやいや、よく考えてみろよ。もし父さんが突然第二の妻を連れてきたらどう思う?」
「うーん、それは困るわね。あの人稼ぎは多くないし」
「気にするところそこ!?」
なんでこんなズレた母親に育てられて平凡な性格に育ったんだろうな、俺は……
姉さんのお陰かな。
「だいたいこの二人はセカンドワイフとか許容する性格じゃないだろ」
「そうですね。私以外の女性と睦まじくしようものなら切り落とします」
「何を……?」
千佳は椿ほど即答せず、考え込んでいる様子だ。
小皿の上に乗ったトマトをじっと睨んでいる。
「うーん……別にウチは気にしないけど。そもそもウチだって妾の子だし」
どこからツッコめばいいのかはわからないが、どうも千佳は椿ほど束縛欲は強くないらしい。
ヤンデレにも色んな種類があるんだなあ。
「あら、良かったじゃない宗介。お許しが出たわよ」
「でもこの人はイヤ」
「あ?」
千佳に指差された椿は、手に持ったフォークをグッと握った。
人の家の食器で何かするつもりじゃないだろうな、コイツ……
「ストーカーは良くない。お兄だって迷惑がってる」
「何よ……貴女だって同類じゃない、卑劣な蛇娘」
蛇? なんでここで蛇が出てくるんだ? まさか千佳が蛇だとでも言いたいのか? そんな荒唐無稽な。
千佳の顔色を伺うと、彼女は妙に居心地の悪そうな顔をしていた。




