42―2 ヤンデレと白蛇 その2
白蛇は植栽の斜め下からじっとこちらを見つめている。奴は俺たちから1メートル程離れた場所にいた。飛びかかれば届く絶妙な位置取りだ。
「何なんだよもう……」
頭がクラクラしてきた。今朝玄関でこの蛇と会った時とは状況が違う。一度出くわしただけなら偶然で片付く話だが、二度目となるとそうはいかない。
この蛇は、おそらく何らかの意思を持って俺の目の前に現れている。あるいは、誰かに操られて俺を付け狙っているのか。
どちらにせよ嬉しい状況では無さそうだ。噛みつかれる前にこの場から離れないと……
「おーい、蛇さん。どうしてここにいるの?」
「って浅井先生!? なんで話しかけてんの!?」
「え? だってこの子、武永先生に用事があるんでしょ? それなら訊いた方が早いかなって」
まったくこの人は……天然ボケというか、お人好しというか。自分が襲われる可能性はあんまり考えていないようだ。
もちろん蛇が返事をするわけはない。それどころか、浅井先生の呼びかけを無視してキョロキョロと首を動かしはじめた。
「武永先生も話しかけてみる? 目がパッチリしてて案外かわいいわよ、この子」
「いや、言葉通じねえだろ……」
「そう言わずに」
何の意味があるのやら……と思いつつ俺も「おーい」と蛇に声をかけてみた。すると蛇はなぜか俺の声にだけ反応し、またこちらをじっと見つめはじめる。
「えっ! なんで武永先生にだけ反応するの? ねえねえ私にも反応してよ」
焦れた浅井先生が蛇に詰め寄ると、そいつは牙を剥き出して「シャー!!」と威嚇した。
とっさに腕を広げ蛇と浅井先生の間に割って入ると、蛇は途端に大人しくなり、静かに首をもたげた。
そしてまたとぐろを巻き、座るような姿勢を取りはじめる。
この蛇は何がしたいんだろう? とりあえず浅井先生の身を守れたから良いんだけど……
「大丈夫か? 浅井先生」
「ええ、ケガはしてないんだけど……別の意味で大丈夫じゃないというか……ドキドキして、その……」
「驚くと心臓に悪いよな。落ち着いて、深呼吸して……」
妙に赤面している浅井先生にゆっくり近寄ると、彼女は身を翻し、走り去っていってしまった。
「ご、ごめん! また今度ね!」
なんだかよくわからないまま取り残された。手持ちぶさたになりヘビの方を振り返ると、ソイツは舌をチロチロと出して、まるで俺をからかっているかのような素振りを見せた。
家に帰り、ベッドの上でぼんやり考える。
あの蛇、何を考えているのかはわからないけど、どことなく人間味があったな。俺と浅井先生を別の個体だとハッキリ認識してたし、仕舞いには浅井先生に逃げられた俺のことを嘲笑っていたようにも見えた。
まさかとは思うがあの蛇、椿が化けたものとかじゃないよな?
俺が和歌山出身だからだろうか。どうしても「清姫と安珍」の伝承が頭に思い浮かぶのだ。
安珍という名の美青年に惚れた清姫が、蛇に化けて逃げ出した男を追いかけるという、あの伝承。
神話に出てくる「イザナミ」や、源氏物語の「六条御息所」とも肩を並べる日本古来のヤンデレ物語である。
人間が蛇に化けるなんてお伽噺、以前の俺なら信じなかったことだろう。
ただ、浅井先生のおばあさんに会ったりリーちゃんと「迷い家」に入り込んだりした経験から、「絶対無い」とは言い切れないんだよな……
もしあの蛇が椿なら、俺の家やバイト先を知っていたこと、浅井先生にだけ威嚇行動を起こしたこと、すべてに辻褄が合う。
まあ、本人にあたってみるのが一番早いか。明日椿に会ったらじっくり問い詰めてやろう。
「おい椿。お前、蛇について何か知らねえか」
「蛇? 何のことですか? さっぱりわかりませんねえ」
椿はいつもの嫌らしい笑みを浮かべて、平然と答えた。
どうにも怪しい。しかし椿の態度を見ると、あくまでシラを切るつもりらしいので厄介だ。
「最近俺の身の周りによく蛇が現れるんだが、お前が関わってるんじゃないかと思ってな」
「何のことですかねえ。蛇と言えば先輩、蛇の交尾って見たことありますか? すっごいですよ。二匹がグネグネと絡み合って、いやらしいの何のって」
「突然キモいことを言うな。しかしお前、犬は怖いくせに蛇は平気なんだな」
「蛇は吠えないですし、何より追ってこない賢い生き物ですからね。犬のような畜生よりはいくぶんかマシですよ」
「ふーん、ずいぶん詳しいんだな……」
「……何を疑っているのかわかりませんが、私は何も知りませんよ。先輩にまとわりつく白蛇のことなんて」
「ちょっと待て。俺は一度も蛇が白いことには触れてないぞ」
椿は「しまった」という表情を一瞬浮かべた後、妙に素早い動きでスルスルと逃げ去っていく。引き留める隙さえ無い。
その不気味な動きは、人前から逃げ出す蛇に似ていた。
しかし、やっぱりアイツが元凶だったか。蛇に化けるなんていよいよ人外じみてきたな……あの野郎。
家に帰ると、またしても白蛇が玄関前で待ち構えていた。得体の知れない蛇にビビっていたが、コイツの正体が椿だと思うと別段怖いこともない。
恐れが萎むにつれ、だんだん腹が立ってきた。椿がしつこいのはいつものことだが、こう回りくどいとどうにも苛立つ。
「いい加減にしろよテメェ!」
持っていたペットボトルを投げつけると、蛇はそれを器用にかわし、そのままスルスルと逃げ去っていった。
まったく……はた迷惑な話だ。あの細い身体を活かして家の中に侵入とかしてこなきゃいいが……
ため息をつきながら玄関の鍵を開け、ようやく家に入る。
暗い玄関の中、電灯のスイッチを探していると、なんとなく嫌な感じがした。ざらつくような気配。言い知れない異物感というか……
電灯をつけないまま部屋の奥にある気配の正体を探っていると、ゆっくり影が近づいてきた。人のシルエットだ。髪の長い女の姿……
「おかえりなさい、先輩」
「椿!? なんで、お前……」




