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40 ヤンデレと夜景

 大学の総合図書館から外に出ると、もう辺りは真っ暗になっていた。夕食は食堂で済ませたので腹は減っていないが、ずっとレポートを書いていたせいかどうにも疲れた。閉館時間ギリギリまで粘るものじゃないな。

 とはいえ、頑張った甲斐あってもう明日にはレポートを出せそうだ。今日はのんびり帰ってもいい。どうせなら夜景でも見て帰るかな。


 うちの大学は六甲山(ろっこうさん)の登山ルートの中途に位置しており、椿の所属する文学部で標高100m前後、俺の所属する教育学部は標高200m以上にもなるらしい。

 こんな立地に大学を設立するなんて、創設者はよっぽどの登山好きかあるいは倒錯したサディストか。

 駅から教育学部の本部まで歩くと40分ほどかかるため、毎日の通学がちょっとしたスポーツになる。

 夏は翳りない日差しがうだるように暑く、冬は六甲おろしと呼ばれる強風で凍えるように寒い。


 しかし何事も悪い面と良い面は鏡写しなものだ。

 異様な標高のお陰でうちの大学からは神戸の港が一望でき、中でも夜景は素晴らしい眺めを誇る。

 きらきらと光る夜の街はまるで銀河のようで、自分が星の一端になったような感覚を味わえる。遠くかすかに見える埠頭のクレーンもなかなか乙なものだ。


 大学構内でも美しい夜景を見れる場所は多様にあるが、俺としては「百年記念館」のエントランスから見る夜景が一等お気に入りだ。

 ロマンチックな景色ゆえに、折角なら恋人と眺めるのが一番なのだが……


「うふふ……お呼びですか先輩」


「呼んでない」


 石段に腰かける俺の後ろから、痩せこけた亡霊が現れた。

 いつもいいタイミング……いや、悪いタイミングで現れるなコイツ。


「なんでお前こんな時間までいるんだよ……」


「さっきまで図書館でレポートを書いていたので」


「なんだ、お前もか。どんな内容のやつ書いてたんだ?」


「先輩の生体観察記録を……」


「それ提出すんの? 大丈夫? 教授に呼び出し食らわない?」


「大丈夫ですよ。提出先は先輩ですから」


「ああそう……読まずに『不可』つけるわ」


 椿の気色悪さはいつも通りで、夜景を見ながら醸成したセンチメンタルな気分が台無しになった。

 椿が石段に座り身を寄せてきたので、半歩離れた場所に逃げる。すると椿も半歩移動し、距離を詰めてくる。その辺にある崖から突き落としてやろうか、まったく……


「先輩と夜景を見られるなんて最高の気分ですねえ」


「俺は最低の気分だよ。だいたい、これまでも夜中に鉢合わせたことなら何度もあるだろ」


「これで86回目ですよ。あと3,000回くらいは一緒に見たいですね、この景色」


「その前に大学卒業してるだろ……」


 椿と一緒に美しい夜景を眺めたところで何の感慨も起こらない。

 やはり景色は「何を見るか」以上に「誰と見るか」が重要なようだ。

 そう、どうせなら椿なんかじゃなく……


「浅井さんと見たかった、とか思ってるんでしょう」


 ニタニタと笑いながら椿は核心を突いてくる。恋敵に敗北寸前でありながら、この余裕の表情は何なんだろう。


「うるせえな。俺が誰と(ねんご)ろになろうと勝手だろ」


「それもそうですね。いいんじゃないですか?浅井さんと一度付き合ってみれば」


 珍しく椿は寛容に振る舞って見せる。これはただの強がりか、あるいは別の意図があるのか。

 いずれにしても俺を諦めたわけではなさそうだ。そうでなければ、わざわざ「一度」なんて勿体ぶった言い方はしないだろう。


「いいのか? そのまま俺が浅井先生と結婚とからしたらいよいよお前の出る幕はなくなるが」


「そんなうまくいきませんよ。どうせ2年付き合ったぐらいで『なんか違うかも』って別れるんでしょう?」


「リアルな想定をやめろ」


「その点私は安心ですよ。永久保証ですから」


「元から壊れてる時点で保証も何もないだろ……」


 それにしても今日の椿は上機嫌に見える。石段に座り足をパタパタと動かす様子など、普通の女の子がやれば可愛らしい仕草なのだが。

 コイツの場合は下手すりゃ不機嫌な時以上に面倒くさいので楽観視はできない。


「本当に俺が浅井先生と付き合ったらお前は発狂するだろ」


「もちろん一時的には荒れるでしょうが……最後に勝つのは私ですから」


「その自信はどこから来るんだ……」


「自信ではありません、これは覚悟です。愛とはすなわち『覚悟』ですよ。愛する人と一緒になるためなら如何なる犠牲も厭わない、崇高な信念です」


「じゃあ俺が『結婚してやるから籍入れた後に死ね』って言ったらお前は死ぬのか?」


「死にますよ?」


 椿の細い眼孔、その中からわずかに見える黒目には異様な輝きが宿っていた。濁った暗闇が俺の奥底を真っ直ぐに見据えている。

 本気だ、コイツ。


「この美しい夜景をバックに、空を飛んでみるというのもロマンチックですもんね。どうです? 試してみます?」


 椿は立ち上がり、挑発するように手をパタパタと振ってみせた。真っ黒なワンピースを着たその姿は、まるで不吉なカラスのようで。


 もし俺が、戸籍に傷がつくことを気にせず椿と入籍し、死ぬことを命じたら……ようやく椿の呪縛から解放されるわけか。

 それも悪くないかもな。コイツに一生つきまとわれるデメリットに比べれば、戸籍に痕跡が残るくらいは蚊に刺された程度の痛みしかない。

 実のところ俺は結構運のいい人間で、目下の悩みなんて椿の存在くらいしかない。唯一の悩みが消えれば、しばらくは安寧を得られるだろう。

 ただ、なあ……


「間違っても俺がお前と結婚することなんてないよ。だからお前も死なないし、できれば俺と関係ないとこでひっそり生きてろ」


「いいんですか? 私を葬るチャンスですよ?」


「別に……俺はお前が目の前から消えてほしいだけで、この世から消えてほしいわけじゃないし」


「そうですか。先輩は優しいんですねえ」


「あと一瞬でもお前と入籍するのが嫌すぎる。それこそ死んだ方がマシだ」


 俺のわざとらしいしかめっ面を見て、椿はクスクスと笑った。


 だいたい、ただの大学生が生きるだの死ぬだの大袈裟なんだよなあ。そんな大儀なことより目の前の単位取得に必死になる方がよほど有意義だ。

 俺は普通に生きて普通に幸せになれりゃそれでいいし、他の人にもそうあってほしい。ぼんやり生きて、ぼんやり老いて、死ぬのはそれからでも遅くない。






「まあ、お前が一人で消えてくれるってのは魅力的な選択肢だったがな」


「一人? 何言ってるんですか?」


「えっ」


「先輩と私は運命共同体なんです。どちらか片方だけが死ぬなんて認められませんよ」


 椿の言っている意味を飲み込むにつれ、背筋が寒くなってきた。

 考えてみりゃ当たり前だ。椿が素直に一人で死ぬわけがない。黄泉の旅路は長いと聞く。道連れが欲しくなってもそれは自然なことだろう。


「ちなみにさっき俺が本気で『死ね』って言ってたらどうなってた?」


「死んでましたね。私と、先輩が」


 ……選択肢を間違えなくて良かった。




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