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37―3 奇人と迷える羊 その3

 リーちゃんと二人、なす術なく意気消沈していると突然俺のスマホに着信が入った。

 発信者は「非通知」。外界と遮断されたこの空間で電話がかかってくるということは、この発信者も「内側」にいる可能性が高い。

 これ、電話に出ない方がいいのでは?ホラー映画だと電話の主は黒幕で、俺たちに更なる試練を与えようとしてくるのが定石で……


「ナガさん、とりあえず出ましょう。他に手かがりもないですから」


「でも……」


「不安ならわたしが代わってあげますから」


 リーちゃんは俺の左手を握りながら、堂々と言い切った。彼女の手は驚くほどに冷たい。

 本来なら俺がかよわいリーちゃんを守ってやるべきなのだ。その彼女にここまで言われて、電話ごときにビビるとは情けない。

 意を決して通話ボタンを押す。


「先輩、いま莉依ちゃんといるんでしょう。知ってますよ私は。まったく油断も隙もない泥棒猫……」


「なんだ椿か……」


 聞き慣れた声を耳にして、少し気持ちが落ち着いた。普段なら椿の声なんて聞きたくないが、今回ばかりは有り難い。


「それより先輩、どこにいるんですか?さっきから512回ほど電話をかけてたんですが、ずっと圏外で全然繋がりませんし」


 そんな強引な突破方法があったのか……椿の粘着質に救われた形だ。

 この状況を椿がどうこうできるとは思わないが、それでも「外」と連絡が取れたことは僥倖である。

 椿に状況を説明して、何とか助けをよこしてもらおう。もっとも俺たちもどうやってここにたどり着いたかわからないし、あまり期待はできそうにないが……







「ああ、それはおそらく『迷い家(まよいが)』の一種でしょうね」


 椿はこともなげに言い放った。何か知っている様子だ。


「『迷い家』?」


「柳田國男ですよ。普通は山の中にあったりするものなんですけどねえ」


「柳田國男って、あの民話で有名な人か?」


「そうです。東北だか関東だかが起源の民話で、割と有名なやつですよ」


「で、民話ってことは脱出できた人がいるってことだよな? どうやったら脱出できるんだ?」


「さあ?」


「さあ、ってお前……」


「だって本当にわからないんですよ。迷い家に入り込んだ人はたいていその場から走って逃げたら助かってますし……ただ」


「ただ?」


「一つだけ言えるのは、その空間にあるものは決して持ち帰ってはいけませんよ。触ったり運んだりするだけでもアウトかもしれませんね」


 椿のその忠告を聞いて背筋に寒いものが走った。もし空腹感に負けて近くの家から何か拝借していたら、俺たちは永久にここから出られなかったのかもしれない。

 リーちゃんが聞き分けの良い子で助かった……


「まあ、説によれば物を持ち帰った方が幸運になる場合もあるらしいですが……何なら試してみます?」


「そんな不安全なこと試せるか」


「ですね」







 脱出まで電話を繋いでおくつもりだったが、椿との会話が終わった直後、勝手に電話が切れてしまった。

 やはり不気味な空間ではあるが、脱出への手がかりを聞けただけでも幸いだ。

 体育座りで大人しく待っていたリーちゃんが俺を見上げる。


「どうでした?」


 リーちゃんはいつもと変わらぬ無表情のまま、俺の答えを待った。ソワソワと指が動いているので、リーちゃんなりに気にはなっていたのだろう。

 冷静だなんてとんでもない。彼女だって怯えながらもその感情と必死に闘っていたのだ。まったく己の鈍さが嫌になる。


「なんかわからんが……とにかくデカい家を探して、そこをぐるっと見てから何も持たずに出れば戻れるかも。本当かはわからんが」


「ああ、ありましたね。やたら大きい豪邸」


「えっ、そんなのあった?」


「はい。というか、ここから見える位置にありますよ」


 リーちゃんの指さす方を見ると、少し離れた場所に立派な門構えの庭を見つけた。その奥には豪邸があるようだ。このあたりの家と比べると明らかにサイズ感がおかしい。

 なんであんな目立つもの見落としてたんだろうか。


「とにかく行ってみましょう」






 豪邸の門扉は開かれていた。あまり気は進まないが、とにかく中に入ってみるしかないのだろう。やたら広い庭には紅白の花が咲き乱れ、ここだけ別世界のようだった。

 庭は高校のグラウンドほどの広さがあって、馬屋のような小屋までいくつか建っている。

 しかし馬屋には馬はおらず、赤べこのような木彫りの置物が区画ごとに配置されていた。


 置物をぼんやり見つめていると、それらをもっとじっくり眺めたくなってきた。ほとんど無意識に、置物に向かって手を伸ばす。


「痛っ!」


 急に手の甲に痛みが走ったかと思うと、かがんだ俺のすぐ横にリーちゃんの顔があった。


「ダメですよナガさん。二人で帰りましょう」


 どうやらリーちゃんが俺の手を叩いて正気に戻してくれたらしい。


「すまん。こんなところ早く出た方がいいな」


「まったくです」


 門扉の方へ戻る間、庭の奥にある豪邸から視線を感じた。背中越しだというのに、誰かに見られている気配がわかる。わかってしまう。

 リーちゃんと顔を見合せ、互いに後ろを振り返らないよう注意しあいながら、慎重に外へと向かった。






 くぐった門扉から一歩外に出ると、突然西宮(にしのみや)の町並みが目の前に飛び込んできた。遠くに駅の明かりが見える。

 踏み切りのサイレン、犬の吠える声、バイクがエンジンを吹かす音。すべてがクリアに聞こえてくる。

 そして俺たちの他に人がいる。車も通っている。そうか、俺たちは帰ってこれたのか……

 何とか、生きたままで……





 迷い家に入る前に通ってきた道を戻り駅まで行くと、改札の前に見慣れた髪の長い女がいた。


「私を差し置いてデートなんかしてるからバチが当たったんですよ。まったく」


「椿ぃぃぃぃ!」


「姐さんっ……」


 俺もリーちゃんも椿の姿を見るや飛びかかってしまった。

 椿の姿を見るまで、本当に現実世界に帰ってこられたのかまだ心配だったのだ。

 堰を切ったように安堵感が溢れ出す。


「わっ、なんですか二人して」


 二人から同時に抱きつかれ椿は狼狽していたが、やがて抵抗をやめてされるがままになった。

 尋常でない俺たちの様子を見て、とにかく落ち着かせるのが先決だと理解したのだろう。俺とリーちゃんの頭をポンポンと叩きながら椿は呟いた。


「怒るに怒れないじゃないですかもう……」







 椿曰く、「迷い家」の財宝に手をつけず帰った者は裕福になれるという言い伝えがあるらしい。

 「宝くじでも買ってみたらどうですか?」という椿の提案に乗せられて5枚ほどくじを買ってみたが、すべて外れた。いずれもまったく見当違いの番号で、当選にかすりもしてない。

 あの空間から脱出できたことは感謝するが、椿の言説は半信半疑に留めておいた方が良さそうだ。


 しかしあんな目に遭ったうえ、何の利得も無いとは……まさしく骨折り損のくたびれ儲けというか。

 やるせない気持ちを抱えて家でコーヒーを啜っていると、リーちゃんから電話がかかってきた。何かあったのだろうか。


「椿の姐さんの言う通りですね。当たりましたよ」


「えっ、マジで? いくら?」


「アイス一本です。今度一緒に食べましょう」


「うん……そうしような……」

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