37―1 奇人と迷える羊 その1
「ホラー映画?」
「そうです。デートの定番と言えばホラー映画でしょう」
リーちゃんはチケットを見せつけながらこちらにズンズンと迫ってくる。
彼女の方がだいぶ背は低いのでそれほど威圧感はないのだが、あまりに迫られると一歩引いてしまう。
明日はバイトもないし、別に行ってもいいんだが……椿の邪魔が入らないかが心配ではある。
「椿の姐さんの存在が懸念のようですね。しかしご心配なく。姐さんがバイトしてる時間を狙えば逢い引きは可能です」
淡々と述べながらまだリーちゃんは前進を続けてくる。
オイどこまで迫ってくるんだ? 近い近い近い近い。もはや俺の胸骨とリーちゃんの鼻がぶつかるほどの距離だ。
「わかった! わかったから一端離れてくれ!」
「ミッションコンプリート」
ほとんど脅迫に近かったが、とにかくリーちゃんとホラー映画を観に行くことになった。
表現の仕方は独特だが、彼女なりの強い要望なのだろう。
別にデートの定番とは思わないが、実のところホラーは嫌いじゃない。
ストーキング癖のある異常者が部屋に侵入してくるリアルホラーは迷惑極まりないが、フィクションとして楽しむホラーは良いものだ。
バンジージャンプにしてもパラシュートにしても、安全装置がある限りは愉快なのである。
そう、安全装置があればの話だが。
さて日曜日。待ち合わせ場所に行くと、薄紫のワンピースにサンダル姿のリーちゃんがいた。
いつもの服装に比べるといくぶん大人びて見える格好だ。デートに合いそうな服を選んできたのだろう。
何となく髪にも艶があるような気がする。いつものボブカットではあるが、何だか普段より整っているような。
彼女なりにデートを楽しみにしてきている様子だ。
「なんかいつもと雰囲気違うな」
「そうでしょう。昨日は爪を切ってきましたから」
「それは絶対関係ないだろ……」
中身はいつも通りらしい。ちょっと安心したような、拍子抜けしたような。
今日のデート場所は西宮。より大学に近い三宮の映画館に行ってもよかったのだが、椿がどこでバイトしているかわからない以上、奴と会う確率は少しでも下げたいのだ。
西宮と言えば高級感あふれるショッピングモールで有名な駅で、そこに映画館も内蔵されている。
映画まで時間もあるし、ショッピングモールを散策でもするか。
「ではベッドでも見に行きますか。フランスベッドがいいですね」
「なんで? ベッド買い換えたいのか?」
「将来的に二人で寝るベッドが必要かと考えまして」
「うん……毎回思うんだけど色んな順序をすっ飛ばしてない?」
「そうですね、まずは新居を探さないと。ナガさんは戸建て派ですか? マンション派ですか?」
「戸建てがいいけどリーちゃんと住むとは限らんからな?」
こういう無益なやり取りは嫌いじゃないが、丸一日同じノリで付き合うのは大変そうだ。程々に体力配分を考えていこう。
ここのショッピングモールに来たことはあまりなかったが、壮麗ながらも落ち着いた雰囲気でずいぶん感じがいい。
見るからに庶民的な大学生二人が歩いていては場違いかと思ったが、意外に家族連れなんかも多いようだ。
幼く見えるリーちゃんと歩いていては通報されるおそれもあるかと不安だったが、それは杞憂で、不審な目で見られることもなかった。通行人からは兄妹だと思われているのだろう、たぶん。
さっきも店員さんに「妹さんの方は……えっ、きょうだいではないんですか!?」と驚かれたところだ。(さらにリーちゃんが「実質妹みたいなものです」と言い出して余計に店員さんを混乱させた。申し訳ない)
楽しんでくれているのはリーちゃんも同じなようで、店先の小物雑貨やドライフラワーなんかを眺めては興味深そうにぴょこぴょこ首を動かしていた。
態度や言動が奇妙なだけで、美的感覚は普通の女の子なのかもしれない。
「そういやリーちゃん、結構花とか好きなんだな」
「ええ。わたしは花も動物も好きなんです。嫌いなのは人間だけです」
「突然闇の深いこと言い出したぞ……」
「まあ冗談ですが」
リーちゃんの冗談はいつも真顔で繰り出されるため時々心臓に悪い。
映画自体はなかなか面白いものだった。
主人公カップルが人気のない町に迷いこむストーリーなのだが、ところどころ挟まれる不気味な描写に引き込まれてしまった。ボロボロになった人形、朽ちた看板に腐った果物、カラスの死体。
人がいない町が舞台のため登場人物は主人公二人だけなのだが、この二人が極限の精神状態で追い詰められていく様子が迫真の演技であった。
映画のラストでは主人公二人がその不気味な町を脱出するのだが、実は別の不気味な町に移動しただけで振り出しに戻る……という何とも救いのない話だった。
この沈鬱な話をデートに選ぶリーちゃんのセンスは謎だが、とにかく俺自身は楽しめたので有り難い。
「いやー、面白かったな」
「そうですね。何回か失禁しかけました」
「突然横で失禁される方がホラーだわ……というかリーちゃん、怖い映画苦手なのか?」
「はい。ですが、ナガさんがホラー好きだとお聞きしまして」
なるほど……リーちゃんは俺のためにわざわざ慣れないホラー映画を選んでくれたのか。
何とも健気な子だ。俺も彼女の心配りに応えてやらねばなるまい。
「よーし、今日はおじさんがご飯をおごってあげよう」
「パパ活ですか?」
「本気でオッサン扱いされるとヘコむからやめて」
「私のパパは浩一郎だけですよ」
「いや誰その人」
「実父です」
「そう……」
ショッピングモールから外に出るともうすでに日は落ちていた。この周辺は電飾で明るいが、少し道を外れれば真っ暗になっていそうだ。
それにずいぶん腹も減ってきた。食事には良い時間帯である。
「じゃあ中華でも食べに行くか。辛い料理好きだったよな?」
「行きますか……北京に」
「いや国内でな!?」
「甜麺醤が食べたいですね」
「それ調味料だけどそのまま食うの……?」
詮の無い会話を繰り広げている間に目的の場所近くまで来ていた。あそこの曲がり角を左に行けば店があるはずだ。
「確かこっちに行けば中華料理屋が……」
無い。
中華料理屋が無い。
いや、でも地図上ではこの辺に……あれ?地図が動かない。
「おかしいな……スマホも圏外になってるし」
「そうですね、さっきからわたしも気になっていました」
「えっ、何が?」
「全然、人とすれ違わないんですよ」




