36―1 想い人と居酒屋デート その1
ようやくこの日が来た。
やっと、ついに、浅井先生と二人で飲みに行けることになったのだ。バイトの帰りだし予約も取っていない安居酒屋に行くだけだが、この際贅沢は言ってられない。
どうしても今日行かねばならない理由が俺にはある。
そう、今日は椿がいないのだ。
あれは一昨日のことだったか。例のごとく椿が俺に求婚を迫ってくる最中、奴のスマホに着信が入った。
どうやら実家の親御さんからであり、土曜に法事があるから帰ってこいとの用件だったようだ。
電話が終わると椿は「未来の夫として貴方も出席するべきだ、将来の親戚付き合いも視野に入れて云々」などと意味不明な主張をしてきたのでそこから何を言われても無視し続けた。
無視されるのをいいことに椿の身体的セクハラが始まったので、結局俺も反応してしまったのだが……(何が楽しくてアイツは俺のケツを触るのだろう)
とにかく今日、またとないチャンスが巡ってきたわけだ。
欲を言えば三宮のオシャレなバーでムーディーかつロマンティックに決めたかったが、もう時間も遅いし近場で済まさざるを得なかった。
まあ、いきなり小綺麗な店に連れていかれては浅井先生も面食らうだろ。
今日はくつろいだ感じでゆっくり仲を深めていくのが良さそうだ。
まったく邪魔が入らず浅井先生と過ごせるチャンス、これを活かさずしては男が廃る。
そのはずだったのに。
「あれ、武永さん奇遇っすね! この前はすんませんっした!」
なんでいつもこうなるのか。
「いやー、アタシのバイト先に武永さんが女連れで現れるなんて。つばっちに怒られるっすよ」
モアちゃんはニヤニヤしながらバシッと俺の背を叩いた。
居酒屋のバンダナとエプロン姿で豪快に笑う彼女は店の雰囲気によくマッチしていたが、今はそんなことどうでもいい。とりあえずさっさと立ち去ってほしい。
「えっと、武永先生の知り合いの方?」
「ああ……椿の友達で、一言で表せば『酒クズ』だな」
「クズだなんてそんな言い方しなくても……」
「そっすよ! 武永さんは辛辣すぎるっす。で、オネーサンは武永さんの何番目の女なんすか?今日はお泊まりコースっすか?」
「ごめんなさい武永先生、私が間違ってたわ……」
「うん……コイツらには常識も良識も通用しないからな……」
とりあえずビール二つと枝豆を注文すると、モアちゃんはバカデカい声で「ビール二丁枝豆ワンです!!!」と厨房に叫んだ。ここでのバイトは彼女には天職なんだろうな……願わくば別の店で働いててほしかったが。
さてビールが来るまでの間、何の話をしよう。喜び勇んで浅井先生を誘ったはいいが、いざ二人きりになると緊張してきた。
それは浅井先生も同じなようで、さっきから妙にソワソワしている。なんだか愛らしい仕草だが、じっと見つめているわけにもいかない。
こちらから話題を振っていかねば。
「あの、浅井先生……」
「あいビールと枝豆お待たせしましたー!!」
「いやタイミング」
「えっ、何すか。武永さんもしかして口説き中でした?」
「酒飲む前に口説く奴があるか」
「やっぱり口説くつもりだったんすね! ヒューヒュー!」
「すまん、ジョッキで殴っていいか? 一発だけ。軽くでいいから」
このうっとうしい茶化し方……モアちゃんはもしかして椿から俺らを邪魔するよう依頼されてるのか? でもこの店を選んだのは偶然だし……
まあ椿本体がいるよりはマシだと思って我慢するか。どうしても耐えられなきゃ店を変えてもいいわけだしな。
「なんだか仲良さそうね、二人」
浅井先生は特に迷惑がるわけでもなく優しく微笑む。まったく度量の広い人だ。少しの刺激で発狂するどっかのヤンデレとはえらい違いである。
「そりゃもう武永さんとはベロベロのドロドロになった仲っすから」
モアちゃんは俺と肩を組んでピースする。ヤンキー特有の無駄に近い距離感というか、彼女はあまりうちの大学にはいないタイプだ。
「離せ。あと誤解を生む表現はやめろ」
「でもこの間はビックリしたっすよ。まさか武永さんがあんな大胆なことをするなんて……ドキドキしたというのか、興奮したというか」
「わざとやってるよな? なあ、わざとそういう表現にしてるよな?」
またしても身を寄せてくるモアちゃんを押し戻していると、そのやり取りを見て浅井先生が首をひねる。
「この前って、何かあったの?」
「ああ……椿とモアちゃんにしこたま酒を飲まされて、終いには学生会館の三階から落っこちたんだよ」
「酒飲んだのも落ちたのも自分から進んでやってたじゃないすか。人のせいにするなんてひどいっすよ」
「ああ、この前怪我してたのはそういう事情だったのね。でも教えてくれても良かったのに」
そう言って浅井先生は少しむくれてみせた。ちょっと怒られてる感じなのに、どうにも可愛らしく見えてしまう。椿の惚れっぽさがうつったか?
「いや、塾でそんな失態話すのも恥ずかしかったし……」
「ふーん……別にいいけど。気にしてないけど」
ポニーテールを直しながらそっぽを向く浅井先生に、つい見とれてしまう。
拗ねる美人というのはなかなか絵になるものだ。
「いやー、しかし武永さん」
モアちゃんがわざとらしく耳打ちしてくる。なんかウザかったが無視しても面倒くさそうだ。
「何だよ」
「なんかこのオネーサン、ちょっとエロいっすね」
「すいませーんこの店員サボってまーす」
「おっと武永さんそれはズルいっすよ! サボってません!今日も元気に営業中!」
やたら冷やかしてくるモアちゃんを何とか追い払い、ようやく乾杯にこぎ着けた。この前は酒で酷い目に遭ったが、やはり落ち着いて飲むと旨いものだ。
しかし邪魔が入ったせいか浅井先生は少し沈んでいるように見える。まったくハタ迷惑な……
「悪いな、変な奴に絡まれちゃって」
「ううん、楽しい子じゃない。ただ……」
「ただ?」
「武永先生って、本当に本庄さんと仲良いのね……」
「えっ?」




