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31―1 ヤンデレと影 その1

 朝は必ず牛乳を飲むことにしている。別に牛乳が特別好きなわけでもないが、実家にいた頃からの習慣である。

 母から連絡が来る時はいつも末尾に「ちゃんとご飯を食べてますか?」と一文が添えられているので、それに応えるため、今日も俺は牛乳を飲み、バターを塗った食パンを食べるのだ。


 さてここからが本題なのだが、最近妙に牛乳が減るのが早いような気がする。牛乳を消費するペースはたいてい4日~5日程度。それが3日に一度はなくなっている。勘違いではないか確かめるため、カレンダーに牛乳の購入履歴を記入したが、やはり明らかに購入ペースが早い。

 誰かが俺の部屋に忍び込んで、牛乳を飲んでいるとしか思えないのだ。

 普通ならここで「何者が忍び込んでいるのか」と戦々恐々震えることになるわけだが、あいにく俺には心当たりがあった。

 俺の部屋に忍び込める人間は一人しかいない。






「あら、先輩から訪ねてくれるなんて珍しい。もしかして告白でもしてくれるんですか?」


「告白するのはお前の方だ。自白すれば罪は軽くしてやるぞ」


「何のことでしょう?」


 椿は白々しい笑みを浮かべる。何が目的で人の家の牛乳なんざ盗み飲みしたのかはわからんが、異常者の考えなんて推し量れないものだ。

 とにかくコイツが俺の部屋に入り込むことさえ防げればそれでいい。 


「とぼけるなよ。気づいてないと思ってんのか?」


「本当にわからないんですよ。心当たりが多すぎてどれのことか」


「今のは聞かなかったことにしてやるが……俺が今怒ってんのはな、お前の浅ましい盗み行為のことだ」


「盗みだなんて! 私は少しお借りしてるだけで、必要なら今すぐにでもお返ししますが?」


「へえ……どうやって返すって言うんだよ。現金で返してくれるってのか?」


「それがお望みならいくらでもお支払いしましょう。先輩のパンツですから、プレミアがついてもおかしくないですからねえ」


「は?」


「え?」


 椿はおどかされた狐のような表情で固まっているが、おそらく俺はもっと間抜けなアホ面を晒していたことだろう。

 もしかして、牛乳盗みの犯人は椿じゃない?いや、待て待てそれより。


「オイコラ椿、お前さっきなんて言った? 俺のパンツをどうしたって?」


「ああ、いえいえ。ついお腹がすいて先輩のお家のパンを拝借したことはありますねえ。美味しいクロワッサンでした」


「朝は食パン派なんだよ俺は!」


 椿をとっちめようと掴みかかると、奴はひょいと身をかわし、そのまま異様なスピードで走り去っていった。

 急いで後を追うが、椿が文学部棟に逃げ込んだ時点でもう俺の負けだった。この学舎の構造は俺より椿の方が遥かに詳しい。これ以上追いかけても椿を捕まえることはできないだろう。


 一度椿の手に渡ったパンツを取り返す気にはならないが、それでも慰謝料くらいは請求してやらないと気が済まない。

 今度会ったら覚えてろよあの色魔め……


 しかし椿が犯人でないとなると、いよいよ奇妙な感じがしてくる。いったい誰が、何の目的で俺の牛乳を飲むんだ?

 やっぱり……幽霊、とか?


 いやいや。そんな馬鹿な話があるか。牛乳を盗み飲む霊なんて古今東西聞いたことがない。

 何かカラクリがあるはずだ。たぶん、おそらくは。






「それで私の力を借りたいというわけね。任せて、きっと役に立ってみせるわ」


 浅井先生は爛々と目を輝かせながら俺の手を取った。正直彼女のことはそんなにアテにはしていないのだが、他に手がかりもないので仕方ない。

 漠然と一人で考えるよりは、誰かの力を借りた方がいいのは確かだろうし。

 一人で家に帰るのが怖いとかそういうのではない。断じてない。







「お邪魔しまーす」


 浅井先生は、俺がドアを開けてすぐ部屋に入っていった。続いて俺も部屋に入り、明かりをつける。

 ほんの半日空けただけで、中身は何も変わっていないはずなのに、なんとなく他人の部屋に入ったような感覚がした。気にしすぎなんだろうとは思うが……


「これが問題の冷蔵庫ね。開けても大丈夫かしら」


「ああ、やってくれ」


「それじゃあ拝見……うーん、何も変わったことはないわね。これが例の牛乳ね」


「霊!?」


「いえ、そっちの『れい』ではなくて……」


 思わずビビって玄関へ走り出しそうになった。浅井先生は気の毒そうな目で俺を見ている。

 クソッ、浅井先生に情けないところを見られるだなんて……許さねえぞ犯人め。


「どう?牛乳の量は今朝と変わってない?」


「ああ。いつも減ってるのは朝方なんだ。夕方に減ってるところは見たことがない」


「そう……それなら武永先生が寝てる間に、夜な夜な何者かが牛乳を飲んでるってことになるわね」


「ヒッ」


「大丈夫? 武永先生」


「ああ大丈夫大丈夫、ノーセンキューってやつだ」


 ノーセンキューってこういう時に使う言葉ではないよな……落ち着け俺、浅井先生の前だぞ。

 まったく、こんなビビることになるなら、別の人間を呼んでくるべきだったか。誰だよ浅井先生を連れてきたのは……俺か。


「うーん、でもこの牛乳パックからも冷蔵庫からも邪気みたいなものは感じないのよね」


「本当に? 本当に本当の本当か?」


「すごい念を押すわね……本当よ。そもそもこの部屋自体に霊的なものは感じないのよね」


 少し首を傾げた後、浅井先生は部屋の中をうろうろし始めた。俺の住んでいる部屋はありふれたワンルームマンションで、何の変哲もない造りをしているため、珍しいものなどないはずだ。

 浅井先生は玄関からベランダまでひとしきり見て回った後、一つため息をついた。


「ダメね、何も感じないわ。もし私の力不足だったらごめんね」


「そんなそんな! なんか浅井先生のお陰で安心したよ、ありがとな」


「そう? それなら良かったけど……」


「いや本当にな。もう夜だしご飯でも食べに行こうぜ。お礼におごるよ」


 浅井先生を玄関まで促し、俺も出かける準備をする。彼女がブーツを履くのを見守っていると妙な違和感に気づいた。


 なんか、ドアノブ、動いてないか?


 浅井先生は何も気づいていない様子だった。俺の見間違いだろうか。いや、でも……


 ドアノブが回りきり、ゆっくりと玄関ドアが開く……

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