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28 ヤンデレと足首

 再来週の日曜日は諸星とリーちゃんが所属する交響楽団の演奏会があるらしい。

 これまでも諸星から「聴きに来ないか」と誘われたことはあったが、いかんせんクラシック音楽には疎いので断り続けてきた。


 今回に限っては、諸星とリーちゃんに挟まれて「聴きに来い」「聴きに来ますよね?」「いいから来い」「来なかったら裂けますよ」(何が裂けるんだ?)と波状口撃を仕掛けられたため、思わずチケットを受け取ってしまったのだ。

 それも2枚も。


 さて、2枚受け取ってしまった以上は誰かを誘って演奏会に行く必要があるだろう。自慢じゃないが、俺は友達が多くない。マンションの隣人である吉本くんはバイトやサークルで忙しいだろうし……

 その旨を諸星に伝えたところ、「浅井さんでも誘えばいいだろ。あっ、椿ちゃんの方が良かったか?」と半笑いで言われたことを思い出した。

 誰が椿なんか誘うか。あとは村瀬も選択肢には入るが、妙な服装のアイツと外を歩くのはちょっと恥ずかしい気もする。


 やはりここは浅井先生を誘うしかないだろう。別に下心があってとかじゃない。これはやむを得ない選択なのだ。断じて下心ではない。

 さて、どうやって誘ったものか……2枚重なったチケットをぼんやりと眺めていると、突如背中に悪寒が走った。


「あら、先輩。さっき何か眺めてませんでした?」


「いや、気のせいだろ。鞄にペットボトルしまっただけだし」


「ふぅん……」


 間一髪。椿が現れる一瞬前にチケットを鞄に隠すことができた。

 コイツにチケットを見られたら一巻の終わりだ。椿はなんとしてもチケットを奪い取り、演奏会当日は何食わぬ顔で俺の隣に座ってくることだろう。

 諸星やリーちゃんに座席の交換を申し出ても、面白がって助けてはくれないだろうし……

 とにかく俺は、このチケットの存在を椿に知られるわけにはいかない。何としても隠し通さねば。


「先輩、私に何か隠してません?怒りませんから、正直に言ってください」


「い、いや……別に……」


「へえ、とぼけるんですね。そうですかそうですか」


 椿はぐにゃりと顔を歪めて笑ってみせた。悦んでいるようにも怒っているようにも見える、不気味な笑みだ。

 下手な嘘では墓穴を掘りかねない。どうする?どうやって誤魔化す?


「いいんですよ、別に。隠したいなら隠せば。暴く方法なんていくらでもありますから」


 椿はおぞましい表情を保ったまま、俺の顔を覗きこんでくる。現在俺は椅子に座っており、椿は立っている状態であるため、上から覗き込まれる形だ。シラフのまま被捕食者の気分を味わえるなんて、まったくスリリングこの上ない。

 もうどうにもならん。観念して闘うことにするか。


「椿、実はな」


「はぁい?」


「俺は……足首フェチなんだ」


「……知ってますけど」


 知られてた。 誰にも晒したことのない俺の性癖だったのに、いともたやすく暴かれてた。たぶん椿は俺のパソコンの中にある秘蔵フォルダを覗いたのだろう。どうやってパスワードを突破したのかはわからないが。

 要するに俺は、椿の追求を掻い潜るためとはいえ、まるっきり無駄な告白をしてしまったのだ。死にてえ。


「先輩が道行く女性の足首に目線を傾けてるのはいつものことじゃないですか」


「えっ、マジで? 俺そんな露骨だった? さりげなく見てたつもりなんだけど……」


「あ、本当にいつも見てるんですか? 怖っ……」


「いやいや違う違う! 今のはお前の誘導尋問だろうが!」


「まあ、たまにチラチラ見てるのは気づいてましたけど……」


 気づかれてた。もう許してほしい。椿にすら引かれるとか、恥辱の極みと言わざるを得ない。俺が何をしたというのか。あっ、足首見てたせいか……うん、俺のせいだな……


「ご心配なく。私は先輩のねじくれた性癖も受け止めますから」


 椿は長いロングスカートを少し持ち上げ、足首を露にした。


「ほらほら、どうですか? 先輩の好きな足首ですよー」


「お前は何もわかっていない!」


「えっ……なんですか怖い……」


 思わず怒鳴ってしまった。

 しかし今のは椿が悪い。足首というのはむやみやたらに見せるものではないのだ。

 普段はロングスカートや着物の影に隠れていながらも、ふとした瞬間に垣間見える、そのたおやかさが魅力なのである。

 まさに日本の生んだ「たをやめぶり」。その儚くも艶やかな「幽玄の美」を理解できないとは!まったく椿の美的感覚には呆れたものだ。日本文学を専攻していながらこの体たらくとは、嘆かわしい限りである。


「変態じみた先輩も素敵ですよ」


「変態とは何だ! お前にはsubtleなcharmがわからんのか!」


「本当にどうしたんですか先輩……」


 ダメだ、柄にもなく熱くなってしまった。椿の無理解が原因とは言え、あまり怒鳴りつけては「足首フェチは狂人」というよろしくないイメージが形成されてしまう。

 ここは一つ落ち着いて、異教徒とも対話を重ねる必要があろう。


「わかるよ、椿。俺も足首に目覚めるまでは何も知らない道化だった。だが一度目覚めてしまえば、何もかもが見えてくるんだ。宇宙の真理も、この世の果てさえも」


「どうしましょう、初めて先輩とわかり合えない気がしてきました」


「だが心配するな。足首は何者にも開かれている。足首は何者も受け入れる。怯えることはない。お前はこれから生まれ変わるんだ」


「もうやだ怖い……今日は帰りますね……」


「おい待て椿! これからお前には足首版九十五ヶ条の論題を説いてやるから、そこで大人しくしてろ!」


「先輩もストレスとか溜まってるんでしょうね……色々とお疲れ様です……」


 椿は気の毒そうな目線を向けた後、一礼して去っていった。何だアイツ。せっかく人が歩み寄ってやったというのに、失礼な奴だな。

 何か大事なことを忘れているような気がするが……まあ、いいか。

 椿を追いかけて説法してやろう。

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