25―2 ヤンデレとロリィタ その2
「は? 今なんて……」
かつてないほどの間抜け面で椿は固まっている。何なら俺も理解が追いつかないでいるのだが。村瀬はいま何て言った?
「ボクと武永くんが付き合っていないことを示せばいいんだろう? ならボクが異性愛者でないことを証明すればいい。違うかい?」
村瀬が一歩前進すると、それにつられて椿が一歩後退りする。椿が犬やその他動物に怯えているところは見たことがあるものの、人間に対して怯えている様子を見たのは初めてだった。
「えっ、ちょっと、近寄らないで……」
「心配することは無いさ。ボクはキミのような純朴な女性が特に好みでね……悪いようにはしない」
「ヒ、ヒィッ」
ふわふわしたロリータ服の村瀬が、亡霊じみた椿の頬に手を添える。一種の除霊式のようにも見える、妙に非現実的な光景だった。
悪しきものを追っ払う、という意味ではあながち間違いでもないが……
「どうしたんだい? 武永くんの潔白を証明したいんだろう?」
「きょ、今日のところは見逃してあげます。覚えてなさい、この色情狂……」
小物じみた台詞とともに椿は走り去っていった。いつも椿に脅かされる身としては、その情けない姿は見ていてなかなか痛快ではあった。
「さて……」
村瀬はこちらに向き直り、なんとなく気まずそうな表情で笑った。椿を追い払うためとは言え、自分の秘密を晒したのだ。
その苦笑いの奥にどれほどの苦悩が隠されているか俺にはわからないが、それでも彼女に葛藤があったことだけはわかる。
「驚いたかい?」
「ああ、まあ……そんな風に見えなかったから」
「『そんな風に見える』人間なんてなかなかいないものだよ。まあ、ボクの口調や服装は一種の隠れ蓑だね。『ただの変人』に見せるための」
「そうか……何も知らず『コイツいつも変な服装だな』とか思っててごめんな」
「キミは本当にバカ正直だな。まあ、そういうところも嫌いじゃないが」
村瀬は俺の足元に視線を落としながら、金色の前髪をくるくると弄ぶ。
前のディスカッションで村瀬が妙に「少数派」というやつにこだわっていたのはそういうことか、と腑に落ちた。
「キミもこんな変わった奴とは関わりたくないだろう。色々と悪かったね、ボクはもう行くよ」
俯いたまま、村瀬はそっと立ち去ろうと動き始める。その声が震えていることに気づかないほど、俺も鈍感ではない。
「そうか……今日はバタバタしたしな。また明日、ゆっくり昼飯でも食おう」
「それは同情かい?」
「いや、村瀬といたら椿も逃げていきそうだし。別にお前のためじゃねえから、勘違いすんなよ」
「ふふっ、バカ正直なだけの男かと思ったが……存外いじらしいところもあるんだな」
「うるせえ」
どんな形であれ、村瀬のお陰で椿の無理難題から逃れられたのは事実だ。これ以上村瀬に冷たくしていては人情が廃る。
同情とかそういうウェットな感情じゃないが、いくらか感謝はしているのだ。
「しかし、椿にまでそういう性的指向を知られていいのか? アイツが言いふらしたりしたら……」
「まあ、ボクは元々ぼっちだし、人から避けられても大して変わらんだろう」
「突然自虐を挟んできたな……まあ、椿が余計なこと言わないようできる限り口止めはしとくよ」
「それは有り難いね。モブ顔の割に気が利くじゃないか」
「いっそ俺が言いふらしてやろうか」
「ハハハ、冗談だよ」
こうして軽口を叩いていると、本当に俺たちは友達のようだった。いや、もう友達なんだろうか?
それはともかく、一つだけ引っ掛かることがあった。
「さっき俺と接触してた時、ちょっと赤くなってなかったか?」
「あー、それは……ボクも自覚は無かったんだが、どうやらボクは女も男もいけるのかもしれない」
「えっ、そういうパターンもあるのか……」
「中学・高校までとずっと女子校にいたから気づかなかったんだろうね。まあ、キミに惚れることはないから気にするな」
「それはそれでちょっと腹立つな……とは言え、そのことは椿に黙ってた方が良さそうだな」
「違いない」
二人で顔を見合わせて笑っていると、遠くから「おーい」と声が聞こえた。眠そうな男の声だ。こんなところでわざわざ声をかけてくるのはアイツしかいない。
「諸星か」
「よっ、武永。また女の子とおしゃべりか。憎いねえ」
「お前にだけは言われたくない」
「で、そっちは村瀬の姫さんだっけ?」
「セラム姫と呼びたまえ。キミは武永くんの友達か?」
さっきまで友好的だった村瀬が、またどことなく刺々しい雰囲気になった。原因は明らかに諸星だろう。奴は見た目からして胡散臭いし、警戒されても仕方ない。
「やあ、どうもどうも。俺は諸星。彼女募集中でーす」
「お前、特定の子と付き合う気ない癖によく言うな……」
「こう言っといた方がいいんだって。武永も真似していいぜえ、マジで」
「何だこの軽薄な男は……」
いよいよ村瀬の声が冷たくなる。うーん、いい雰囲気のまま別れたかったが……タイミング悪いな諸星。
「美人に嫌われるってのはつらいなあ。武永、今度俺のこと誉めといてくれよ」
「いや、お前誉めるとこあんま無いし……」
「なけりゃ捏造すんだよ。誠実とか、実直とか言ってさ」
「詐欺には加担したくないんで……」
「武永くん、キミの周りはこんな人間ばっかりなのか……」
村瀬の真っ当なコメントが耳に痛い。まあ、村瀬自身も外から見れば「こんな人間」に分類されそうな気がするけど……
「で、何の話してたんだあ? 武永ハーレムの増員計画か?」
「バカ。さっきまで椿に絡まれてたんだよ」
「へえ、よく椿ちゃん追っ払えたな」
「まあ色々あってな」
「そうかい。また聞かせてくれよな。じゃあ俺はこれからデートなんで」
「昨日もデートとか言ってなかったか?」
「今日は別の子だよ、隣の大学のな」
「そろそろバチ当たるぞ。というか当たれ」
「この世にゃ神も仏もいねえよ。いるのは男と女だけだ」
「格好つけてないでさっさと行け」
「またなー。武永、姫ちゃん」
諸星は終始ヘラヘラしたまま、つむじ風のように去っていった。村瀬に睨まれてたのによくあんな平然としてたな。鈍感なのか、わざと気がついてないフリをしてるのか。
残った俺と村瀬はなんとなく気まずい雰囲気のまま向き合っていた。
「武永くん、友達は選んだ方がいいと思うが」
「アイツも悪いやつじゃないんだよ、女癖以外は……」
「キミは妙なやつに好かれるんだな。ボクも含めて、だが……」
「まあ否定はしないが……そのうち、他の友達も紹介するよ。あと二人変わったのがいるんだけど」
「ふふっ」
それまで不機嫌なように見えた村瀬が突然笑い出した。なんだ? 何かおかしいこと言ったか?
「友達を選ばないのが武永くんのいいところなのに、バカなことを言ったね。すまない。ハハハ」
最後にもう一度笑って、村瀬は去っていった。やっぱりよくわからん奴だが、不思議ともう彼女に対する苦手意識はなくなっていた。
まあ、ロリータ服を大学に着てくるのはやめた方がいいと思うが……
今度忠告してみるか、友達として。




