23―2 ヤンデレとブラックアウト その2
「私はカスなんです……たぶん霊長類で一番弱いんです……」
「何があったかわからんが一旦落ち着け。な?」
「うう……」
椿はグスグスとえづきながら俺の胸に顔を埋めてくる。汚いからやめてほしいが、ここは我慢だ。まずは椿を冷静にさせないと埒があかない。
「本当にどうしたんだよ椿。お前らしくもない」
「浅井さんが……」
「浅井先生と何かあったのか?」
「浅井さんが倒せないんです……」
余計に話が見えなくなった。浅井先生と話した感じだと、彼女は別に椿と争ったわけではなそうだったし。
薄暗い書庫内で女性を泣かせている姿なんて誰かに見られたくないし、早く話を終わらせたいのだが。
「落ち着いて、順序立てて話してみようか。な、椿」
「先輩、私が何言っても怒りませんか?」
「怒らない怒らない。とりあえず何があったか教えてくれ」
「実は、浅井先生を亡き者にするための計画を試してたんですが」
「オイコラお前いい加減にしろよバカ」
「やっぱり怒るじゃないですかー!」
「いや、だって」
思わず強い言葉が出てしまったが、今のはどう考えても椿が悪い。
「どうせ先輩もあの女の味方なんでしょう。誰も彼もみんなあの女の味方なんです。ああもうこんな世界滅ぼすしかない」
まずい、なんかラスボスみたいなこと言い出したぞ。椿なら爆破テロくらいはやりかねないし、段々不安になってきた。現に俺も首締められたことあるしな……
ひとまず宥める方向でいこう。
「待て待て椿。なんでそんな卑屈になってるんだ。俺は別に誰の味方とかじゃないしな」
「そうですか、先輩は私の味方になってくれないんですね。じゃあもう全部終わりにしましょう。今ライター持ってるんですけど、古書って燃えやすいんですかねえ」
「わかった! わかったから! 今だけ俺は椿の味方だから、な?」
「本当に? 本当に本当ですか?」
「当たり前だろ。泣いてる人間を苛める趣味はねえよ」
「ならハグしたまま話を続けますね」
本当に不愉快だが仕方なかった。俺は今手元にニトロを抱えているような状態なのだ。とにかく爆発させないことが大事で、快不快は二の次だ。
椿が嘘泣きをしているような気もしてきたが、深く考えたら負けだ。
「色々試してみたんですよ、浅井さんに呪いをかけようとしたりとか、事故に見せかけて葬る方法とか」
「そう……」
色々と言ってやりたいことはあるが、今は我慢だ。
「結果から言えば全部ダメでした。あんなインチキ霊能力者ひとり獲れない私はカス以下です……」
「あんま聞きたくないが……具体的に何しようとしたんだ?」
「まず呪いなんですが、定番の藁人形から始めてみたんです。夜の神社で、五寸釘用意して。そしたら何が起きたと思います?」
「いや知らんけど……」
「露出狂が出やがったんですよ!金づち持ってたんで、逆に追いかけ回してやったら逃げていったんですけど」
「うわ何それ超見たい」
「笑い事じゃないですよ! か弱い乙女が被害にあったんですよ!」
椿は俺に抱きついたまま背中に爪を立てる。逃げようとするとさらに爪が肉に食い込んで痛い。
シャツに血が滲んでいるような気がするが、もう少しだけ我慢してみよう……
「蠱毒も試してみましたけど、それもダメでした。虫を箱に詰めて一晩経ったら、枕元に虫の死骸がワラワラと……」
「やめて聞きたくない」
「犬神憑きやウィッカーマンも試してみたかったところですが、おそらく失敗するだろうと思って断念しました」
内容はわからないが、どうも物騒な呪術を画策していたようだ。その熱意や知識をもうちょっと有意義なことに使ってほしい。
「仕方ないので今度は浅井さんの弱味を握ろうと思ったわけです」
「全然懲りてねえ」
「先輩の護衛もずっとしてきましたし、隠密行動には自信があったんです。でもそれもダメでした」
「へえ……」
なぜ椿のストーキングが失敗したのか純粋に気になる。椿の厄介さは誰よりも俺がよく知っているからだ。
それに話を聞けば椿の目を掻い潜る参考になるかもしれないしな。
「いつも途中で見失うんですよね。犬に追いかけられたり、鳥の糞が落ちてきたり、無茶な左折車に轢かれかけたり……」
うん。思った以上に参考にならない話だった。
「追跡すらできない私とか、色を失った花みたいなものじゃないですか。だからもう何もかも嫌になって」
コイツ、自分を花だと思ってるのか? どちらかと言えば毒を失ったヘビみたいなものだろうに。今言ったら噛みつかれそうなので言わないけど……
「じゃあさっきムカデを捕まえようとしてたのは何なんだ?」
「ああ、あれですか。どうせ浅井さんには何をしても無駄ですから、別のアプローチから攻めようかなって」
「別?」
「簡単なことです。奪われるくらいなら、壊してしまえばいい」
グッ、と椿の拘束がキツくなる。この至近距離では椿の頭頂しか見えないが、おそらくいま椿は笑っている。それも、とびきり醜怪な表情で。
「離せ、ちくしょう」
「怖がらなくて大丈夫ですよ、私もすぐ行きますから。あの女のいない世界で幸せになりましょう。ずっと。二人だけで」
内臓が圧迫されて苦しい。しかし、この体勢では椿だって何もできないはずだ。
毒の小瓶でも取り出すか、ライターで周りを燃やすか。どんな手段で来るかはわからないが、いずれにしても一瞬隙ができるはずだ。その隙をついて椿を突き飛ばす。
しかし俺の目論見は外れた。椿はなぜか俺に抱きついたまま、じりじりと前進してくる。本気で押し合えば負けるとは思わないが、意図がわからない分迂闊に動けない。
このまま壁際まで俺を追い詰めるつもりだろうか。しかしそんなことをしても横に逃げれば済む話で、やはり意図が掴めない。
判断を迷っている間に、もう俺は身体は壁にピッタリとくっつけられていた。
「ふふ、もう離さない……」
ググッ、と身体が壁に押し付けられる。息が苦しくて力が入らない。しかし焦るな、まだチャンスはあるはずだ。椿が手を離す瞬間が必ず来る。それを静かに待て。
「先輩知ってますか、人を気絶させるのに薬品はいらないんですよ」
「ぐっ……何の話だ」
椿は自分の肩を器用に使い、俺の胸を圧迫してくる。心臓の鼓動がドンドン速くなる。頭がボーっとしてくる。
コイツ、まさか。
「中学生の頃でしたかねえ、流行ってたんですよ気絶ゲーム。一度だけ私もやってもらったんですが、見事に気を失って。人体って不思議ですねえ」
「はな、せ……」
椿を押し退けようにも、すでに身体に力が入りにくくなっている。クソッ、もっと早く椿の意図に気づけていたら。
「もう限界なんでしょう? 早く楽になりましょうよ」
「ぐふっ……」
何か言い返そうにも、最早まともに声が出なかった。息ができない。目がチカチカする。燃えるように身体が熱くなる。
「ふふっ、もうちょっともうちょっと♪」
クソッ、意識が、もう……




