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X3―3 ヤンデレと色敵 その3

 椿が両手で俺の顔を固定してくる。顔を左右に振ろうとするものの、首の力だけじゃ抵抗もままならない。

 そのままヤツの顔が至近距離まで迫ってきた。このままでは、前みたいな触れるだけのキスじゃない、エゲつないのをお見舞いされそうだ。


 クソッ……間に合わなかったか……


 せめて椿の顔を見ないように、と目を固く閉ざしてみる。


 そのまま数秒の時が過ぎたが、なぜか俺の唇は乾いたままだった。


 おそるおそる目を開けると、椿が不可解な表情で室内ドアを睨んでいた。

 接近者に気づいた猫のように背中が総毛立っている。


 これは、もしかして……


「康之くんが帰ってきたんでしょうか……でも私の邪魔をする人じゃないし……それなら誰が……」


 口元だけ動かしてモゴモゴと独りごつ椿。そこでハッと気がついて、椿は俺の顔を睨んだ。


「何かしましたね、先輩」


「誓って言うが俺は何もしてねえよ」


「『俺は』ね。ずいぶん含みのある言い方ですこと」


 ヒタ、ヒタ……と静かな音が廊下から聞こえてくる。間違いなく「いる」な。

 椿が息を飲んで注視するなか、室内ドアが静かに開かれた。


「おはようございます……朝からお盛んで羨ましい限りでございます」


 静かに扉を閉めた伊坂は、袖で口元を隠してほほほと笑った。






「で、どうするつもりなのさらちゃん。先輩の拘束は解かないわよ」


「結構でございます……お二人の戯れを眺めるのも一興ですので……」


 苛立つ椿と余裕綽々の伊坂。俺が縛られているぶん椿の方に分がありそうだが、どうも事態はそう簡単じゃないらしい。

 だからこそ、救援に伊坂を配置していたのだが……


「そもそも、さらちゃんは何故駆けつけてきたんでしょう。先輩が誰かと連絡を取る素振りなんてなかったのに」


「連絡が無かったから、でございます……武永様の提案で毎朝定時連絡を取っておりまして、今朝はそれが無かったゆえ、馳せ参じた格好で……」


「伊坂、余計なことを言うな」


「失敬失敬……」


 椿はますます顔を歪めて伊坂を睨めつけた。あまりの鋭さに視線だけで肌が切れそうだ。

 出し抜かれたこと以上に俺と伊坂が毎朝連絡を取り合っていたことに怒り心頭なのだろう。


「ハァ……面倒なことになりましたね」


 椿は苛立ちを隠そうともせず俺の額をつつき始めた。微塵の手加減もないため結構痛い。

 人の身体を玩具にするんじゃねえよ、まったく……


「でしたら椿さん、我慢比べといきませんか……? 不眠不休、絶食絶飲で誰が最初に音を上げるか……ああ恐ろしい泥仕合……」


 恍惚とした表情で語る伊坂。狂気を帯びた黒目を眺めるにつれ、コイツが敵じゃなくて良かったと心底痛感した。

 あと我慢比べしたら俺が最初にダウンすると思うのだが、余計なことは言わないでおこう……


「あーあ、仕方ないか……」


 ため息をついてばかりが椿がようやく息を飲み込んで、伊坂の目をまっすぐ見据えた。なんとなくだが、嫌な予感がする。


「さらちゃん、ここは協力しませんか? 今回だけ助けてくれれば、今後も先輩を好きな時にレンタルしますよ」


「一考に値するお話ですね……」


 伊坂は柔和な笑みを浮かべたが、目だけが狂気に染まっていて逆に怖い。

 コイツが裏切る可能性は考えてたけど、まさかこんなに早くとは……


「椿さんは武永様をどうされたいのですか? 私にお手伝いできることかわかりませんが……」


「それはもう、全年齢向け版では言えないようなことをですね」


「ほほ……でしたら武永様のお召し物を脱がさねばなりませんね。では私が武永様の両足を抑えますので、椿さんは脱衣の方を……」


「オイオイ待て伊坂。いいのか? ここで俺を裏切ったら二度と虐めてやらんぞ?」


「いいえ、貴方様は必ず私を嬲りたくなるはず……噛めば噛むほど味が出る、恨めば恨むほどコクが出る……」


 歌うような口調のまま、伊坂は俺の足の拘束を解きつつも逃げられぬようガッチリと掴む。

 椿を言いくるめて逃がしてくれるのかも、と一瞬だけ期待したが、そう都合よくはいかないものだ。


「さらちゃん、右足だけちょっと動かしてくれない? うまくズボンが脱がせなくて」


「仰せのままに……」


 ロクに抵抗もできないまま、ズボンがスルスルと脱がされていく。

 ここで大暴れしたところで、まだ腕は縛られているのだ。二人から逃げるのは困難だろう。

 しかしパンツだけは……パンツだけは脱がされたくないのだが……


「ついでに全部脱がしちゃいましょうか」


「えっ」


「え、じゃないですよ先輩。邪魔なものは早く取り払わないと」


 俺のダサいトランクスに手をかける椿。薄布一枚の装甲ではあまりにも頼りない。

 しかしそこは、そこだけは死守しないと。


「ぬおおおお!」


「暴れないでください先輩! ケガしますよ!」


「つ、椿さん……交替願えますか……私の力ではどうにも」


「もう! 先輩が暴れるからですよ!」


「うるせえ! 俺にだって尊厳ぐらいあるんだよ! 放せ放せ放せ放せ」


 決死の格闘が数分間続いたが、先に音を上げたのは俺の方だった。

 朝飯も食わずにずっと縛られていたのだ。気力満点の椿には流石に適わない。

 ヤツも相当消耗しているが、僅差で体力が尽きてしまった。


「ハァ、ハァ……ずいぶん頑張りましたね……でも、もう終わりですよ」


 椿が汗とヨダレを拭いながら俺の足を押さえつける。伊坂はすでにパンツに手をかけていた。

 何なんだこれ、パンツ脱がされたら負けの勝負だなんて、不毛すぎるだろ……


 とはいえ俺の敗北は目前に迫っていた。太ももから足の先まで、痺れて力が入らない。


「ではご開帳……」


「さらちゃん、ガッといってくださいね。ガッと」


 椿の要望通り手早く俺のパンツを下ろした伊坂は、その勢いのままパンツを椿の頭に被せた。


「もがっ……!?」


「今です……」


 伊坂は異様な手際のよさで俺の手の拘束を解くと、その縄を椿の手にかけた。

 顎での合図を受け俺が椿の両手を掴むと、伊坂はこれまた凄まじい早さで椿の手を縛り上げた。


「さらちゃん!? 何を……!」


「どちらを裏切っても私には益がありますが、やはり負の感情が強い椿さんを裏切った方が美味しいかと……」


「本当に最低ね、貴女……」


「勿体ないお言葉……」


 両腕を縛られた椿は観念するかと思いきや、パンツを被ったまま脱兎の如く逃げ去った。

 目も見えないうえ縛られた状態でドアを開けるなど、ずいぶん器用な奴だ。このぐらいの芸当、今さら驚きもしないが……


 残された俺と伊坂は互いに顔を見合わせて、ようやく安堵の息を吐いた。






 さて、ひとまず脅威は去ったものの、これからどこに住めばいいだろう。

 隣人が裏切り者だとわかった今、同じ部屋に住み続けるのはリスキーすぎる。


 できれば椿が近寄らないような宿がいい。でもそんな都合のいい場所なんてあるのか……

 なんとなく伊坂の方に目を向けると、彼女は優しい微笑みを浮かべた。


「私の家に宿泊されますか? 少し遠いですが」


「でも実家だろ? 家の人に迷惑かける訳にもいかんだろ」


「ご遠慮なく……」


「俺の方が気を遣うんだって」


「なるほど、お力になれず申し訳ございません……罰として臀部の百叩きを……」


「いやいや、いいんだ。今日助けてくれただけで十分。あとのことは自力で何とかするから」


 自分で、とは言ってみたものの100パーセント独力で何とかできるとは思っていない。

 とはいえ、誰を頼ればいいのやら……



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