X2―3 ヤンデレと難敵 その3
「肺積を人にうつす以外に、諸星を救う方法があるのか?」
「いえ、そこまで都合のいい方法はありません。なので他の人にうつします」
「でも、そんなことしたらうつされた側は無気力人間になるんじゃ……」
椿がまたクスクス笑うと同時に、リーちゃんが膝を打った。「その手があったか」と言わんばかりの仕草だ。
俺には想像できないが、何か抜け道があるというのだろうか。
「その手がありましたか」
実際に言ってるし……
「なあ椿、誰にうつすっていうんだよ。やる気がなくなるなんて可哀想じゃ……」
そこまで言いかけて、俺もようやく気がついた。「やる気」だの「情熱」だの言えば聞こえはいいが、熱意というのは方向性を間違えれば泥沼にハマるものだ。
俺たちの身近で悪い方向に熱狂しやすい人間といえば……
「麻季ちゃんか……」
隣でリーちゃんがふんふんと頷く。確かに彼女のギャンブル熱を一時的にでも奪えるのは良いことだ。
うまくいけばそのまま賭け事の世界から引き離せるかもしれないし。だが、しかし……
「あの子、単位やばいんだろ? 大学行かなくなったらマズいんじゃ……」
「そこは私が責任を持って引きずっていくので大丈夫です。麻季ちゃんはああ見えて頭は悪くないですからね。出席点さえキープできれば後はどうにかなります」
「諸星の様子を見るに、普段の生活も苦労するんじゃ」
「そこも私が面倒見ます。本人的にはしんどいかもですが、いい薬ですよ」
「珍しく麻季ちゃんに厳しいな」
「あの子、この前私との約束すっぽかしてパチンコしてたんですよ! 『勝ってたからやめれなくて』とか言って。ちょうどお灸を据えたいと思ってたんです!」
急に椿の口調が荒くなったところを見るに、諸星を救いたいというより麻季ちゃんに罰を与えたかっただけに思えてきた。
まあ動機はどうだっていい。これで諸星とリーちゃんは救われるわけだしな。
「姐さん、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「お礼を言うなら成功してからでいいですよ。本当にうまくいくかはわかりませんしね」
「失敗する可能性あるのか……」
「私も専門家じゃないですからね。ちょっと呪術の心得があるだけの、素人同然ですよ」
椿は遠慮がちに呟いた。呪術と言うだけあって、失敗すれば椿にもリスクがあるのかもしれない。
それでも引き受けてくれるのは正直に言ってありがたいものだ。
意外と謙虚なところもあるみたいだし、少しだけ見直した。
「ちなみに成功報酬の話ですが……」
「無償じゃねえのかよ。見直して損したわ」
「まず先輩の尻を……」
「まずって何? その先があるのか?」
「待ってください姐さん。今回はわたしの依頼ですから、支払いはわたしにツケてください」
「それもそうね。じゃあ……」
リーちゃんは固唾を飲んで椿の次の言葉を待つ。
どんな無理難題が飛び出すかわからないのだ、彼女の緊迫感は手に取るようにわかる。
「1ヶ月だけ、先輩と連絡を取らないようにしてください。それで手を打ちましょう」
それだけ? たったそれだけの条件で諸星を助けてくれるのか?
陰湿・悪質・粘着質の椿にしてはずいぶん手ぬるい要求に思えるが……
何か裏の思惑があるのだろうか。
「1ヶ月ナガさんと会えないのですか。それはなかなかの拷問ですね」
「本気で思ってる? 真顔で言われても説得力はないんだが」
「いえ、わたしは心の底から落ち込んでいます。演奏会が終わったあたりでナガさんと岡本のカッフェにでも行きたいと思っていたので」
電話越しに椿がケラケラ笑う声が聞こえる。背筋が凍るような不気味な声だ。
「やはり狙っていましたか。そうはいきませんよ莉依ちゃん、今度は油断しません」
浅井先生と違ってリーちゃん相手なら侮るかと思ったが、そう甘くはないらしい。
「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」という言葉をぼんやり思い出した。
しかも「1ヶ月」という設定がまたいやらしい。
もっと厳しい条件なら拒否したり交渉の余地があるのだが、最初から緩めの条件だと文句がつけにくいのだ。「それくらいなら、まあ……」と妥協しやすいラインを的確に狙ってきている。
「もちろん電話やメールもダメですよ。偶然会ったとしても挨拶だけに留めてください。不正が見つかった暁には、期限を延長します」
「わかりました。1ヶ月間はナガさんを想って毎日涙を流すこととしましょう」
なんだろう……俺は別に悪くないはずなのになんか罪悪感が……
翌日。儀式を行うために俺、椿、リーちゃんの三人で麻季ちゃん確保へと向かった。
あれこれと説き伏せてなんとか諸星のいるマンション前まで連れてくることはできたが……
「なんですか三人とも……目が怖いんですけど……」
「麻季ちゃんにはちょっとしたバイトをしてほしいんですよ。短時間で稼げるやつです」
「絶対非合法なやつだよね椿ちゃん……受け子か葉っぱ売りか……」
「いやいやそんなことはないぞ。優しいお兄さんと一緒の部屋で過ごしてもらうだけで」
「そっちですか……! いくら私が困窮してるからって、魂まで売った覚えはありませんが……」
「日給一万円、食事と旅費付きでどうでしょう」
「……話だけは聞かせてもらいましょうか」
安い魂だな、と喉まで出かかったところで椿に口を塞がれた。
何にせよ第一関門はクリアーなのだ。あとは諸星の部屋で例の儀式を行うだけなのだが……
「えっ……この部屋にいるのって諸星先輩なんですか……」
「知ってるのか麻季ちゃん?」
「知らないわけないでしょう。『歩く猥褻物』『女殺し』『全自動ナンパ機』と噂される人ですよ……やだなあ怖いなあ……」
「まあまあ麻季ちゃん、いま諸星さんは縛り上げてるから心配しないでください」
「ええ……私はそんな変態プレイで貞操を失いたくないんだけど……」
麻季ちゃんは諸星の部屋の前でグダグダ言い訳していたが、しびれを切らしたリーちゃんがついに彼女を部屋の中に押し込んだ。
ドアの内側から麻季ちゃんが騒ぐ声が聞こえるが、こちらは三人がかりで扉を押さえているのだ。非力な彼女では脱出できるはずもなく。
しばらく経つと諦めたのか、ドアの前が静かになった。
「あとはこのまま2時間待てば仕上がるはずです」
椿はひと仕事終えた気分で額を拭った。今回の件については功労者ではあるのだ、俺からも礼をしてやった方がいいのかな……
「ちなみに部屋の中はどうなってるんだ?」
「煙でモクモクです。日本では奈良時代に虫を煙で燻す方法が確認されていますし、由緒正しいやり方なのです」
「スプリンクラーとか作動しませんかね?」
「ああいうのはビニールで覆うだけで誤魔化せるものよ。莉衣ちゃんも家の中で燻製をする時は試すといいわ」
「部屋中が臭くなりそうだし、そんなことやる奴はいないと思うが……」
「この前やったら警報機が反応してめちゃくちゃ怒られましたよ。ナガさんもご注意を」
「うん……やめとくわ……」
何とも緊張感の無い雰囲気だが、果たして儀式はうまくいくのだろうか……




