X2―2 ヤンデレと難敵 その2
部屋の明かりをつけ、まず視界に入ってきたのは、床一面を覆うゴミ、ゴミ、ゴミ。
弁当のプラ容器にペットボトル、ティッシュに何かの袋、脱ぎ捨てられた服や中身の漏れた化粧水まで転がっていて足の踏み場も無い。
元々諸星の部屋は汚かったのだが、それでもまだ住める状態を保っていた。
しかし今では、見るも無残なゴミ屋敷。暗くて気づなかったが、廊下にもゴミが堆積していたようだ。
リーちゃんと二人並んで絶句していると、部屋の中央のゴミがにわかに動き出した。
虫……にしてはあまりに大きいな。まさか、アレは……
「諸星か!?」
床に横たわる諸星。その風貌も部屋と同様にひどいものだった。
目は虚ろで、整えられていたはずの髭は伸び放題、髪も顔も脂ぎっている。おまけに身体からは不潔な異臭が漂ってきていた。
浮浪者のような遭難者のような……とにかくまともな風体じゃない。
「ボシさん、生きてたら返事してください。死んでても極力返事してください」
「やべえな、救急車呼ぶか?」
「どう説明しますかね。『先輩が汚いんです』としか説明できませんが」
「汚いだけじゃなく臭いぞ! じゃなくて、脈拍の確認とか」
わたわたしながらリーちゃんと相談していると、何やらうめき声が聞こえてきた。
ガサガサとゴミの擦れる音。打ち捨てられたような見た目の諸星だが、一応動ける体力はあるらしい。
「諸星! 意識はあるのか!?」
「め……」
「どうした? 目か? 目に何か……」
「面倒、くせえ……」
ボロボロの諸星を支えてシャワーを浴びさせている間に、リーちゃんは部屋の片付けをしてくれていたらしい。
リビングに戻る頃には3人が座れるだけのスペースが確保されていた。
「で、なんでこんな状態になったんだよ」
「知らん……寝てていいかあ?」
「ボシさん、部活のみんなが待ってますよ。特に1回生の女の子とか」
「そうかあ。おやすみ」
諸星は腕を枕にしてまた横になってしまった。
おかしい。諸星が女の子の話題に食いつかないなんて、異常にも程がある。
いつもの卑猥な笑みはどこにいったのやら、すっかり精気の無い表情だ。
「やっぱ病気なんじゃねえの。早く病院に……」
「この場合、何科にかかれば良いのでしょう。身体よりは頭に異常がありそうですし、精神科か脳神経外科か」
「確かにわからんな……そもそもどういう症状なんだコレ」
「倦怠感、というやつでしょうか。それにしては程度が甚だしいような」
いびきをかき始めた諸星。まだ髭を剃れていないため山賊か何かにしか見えない。
換気のため開け放った部屋に冷たい風が通り過ぎてゆく。
「やはりあの人を頼るしかないでしょうか」
「えー……」
「次善の策があればお伺いしましょう」
「無いよ。またアイツに借りを作るのは嫌だが仕方ないか……」
「『肺積』の仲間じゃないですかね。江戸時代の医学書、『針聞書』に出てくる虫です」
ビデオ通話にワンコールで出た椿が、あくびしながら所見を述べる。
なんかやる気ないなコイツ……頼る相手間違えたか?
しかし「はいしゃく」って何だろう。また妖怪の一種なのか?
「妖怪というよりは、病原菌みたいなものですね。江戸時代、病気は身体に巣食う虫が起こすと考えられていたので」
「やっぱり病気なんだな」
「似たようなものですね。今回の肺積は物事に対する気力を失うタイプのやつなのでしょう」
「で、その肺積ってやつはどうすれば治せるんだ?」
「放っときゃ治りますよ。風邪と同じです。もしくは針治療とか? そんな専門家は知りませんけど」
椿はスピーカー越しに答えるが、どうも声に覇気が無い。
現場にいないから緊迫感が伝わらないのだろうか。あまりにもぞんざいな態度だ。
「いや、このままじゃ諸星が……」
「最低限生活はできているんでしょう? 緊急性は無いですよ」
キッパリ言い切った椿に反論するだけの知識が俺には無かった。
諸星の周りに弁当やカップ麺の容器が散乱しているのを見る限り、確かに食事なんかは取れているみたいだ。
シャワーを浴びた諸星は顔色も悪くないし、ただ怠惰が増すだけの病気と言われればそれだけに思える。
「で、どのくらいで治るんだ?」
「たぶん、あと一週間はかかるんじゃないですかね」
「それは困ります!」
急に横から大声が発せられ、耳がキーンと痛くなる。ただ、そんな痛みは起こった事態に比べれば些細なものだった。
リーちゃんがこんなに大きな声を張り上げるなんて……
「ごめんなさい。定期演奏会まであと2週間しかないんです。こんな時期にボシさんに休まれたら、大変なことになります」
目を伏せたリーちゃんは相変わらずの無表情だったが、全身から困惑と悲嘆が溢れ出していた。
彼女や諸星が部活に情熱を注ぐ様はいつも近くで見てきたので何とかしてやりたいが……
「でもリーちゃん、相手は妖怪だぞ。そんな都合のいい対処法なんて……」
「そう、ですよね。取り乱してしまいました」
「だよな椿。一週間待たないことには治らないんだろ?」
「いえ、そうでもないんですこれが。ただねえ、それをやっちゃうと……」
スピーカー越しに椿の細々とした声が聞こえてくる。
表情を見なくてもわかるが、アイツはどうも逡巡しているらしい。
強引に治す方法があるのだろうか。諸星の身体にリスクがあるとか? あるいは達成の難易度が高すぎるとか、それとも……
「どうにかする方法はあるんですが、他に犠牲者が必要なんですよね」
「犠牲ならわたしがなります。だからどうか」
「待て待てリーちゃん。条件を聞いてからにしよう」
「そうですよ。この方法だと結局演奏会には悪影響出ますしね」
「具体的には何をすればいいんだ?」
「虫を追い出して他の人にうつすんですよ。当然、うつされた側は無気力になりますがね」
なるほど、確かにリーちゃんにうつしては意味が無い。演奏会に支障が出てしまうことに変わりはないのだ。
「なら俺が代わるか……諸星のこの有様を見てるとちょっと躊躇うけど」
「先輩なら大丈夫ですよ。私がナニの世話からシモの世話までしてあげますからねえ」
「下半身にしか興味ねえのか。ますます嫌になってきた……」
悠々といびきをかく諸星を見ていると「なんでこんな奴を助けないといけないんだ」という気持ちも芽生えてきたが、かわいいリーちゃんのためと思って我慢するか。
「しかしナガさん、教員免許の必修科目とか大丈夫ですか?」
「あんまり余裕はねえんだよな。なら椿にうつしてもらうとか……」
「先輩が24時間365日看病してくれるならいいですよ」
「数週間で治るんじゃねえのかよ」
くっ……どうすれば諸星を助けられるんだろうか……
俺とリーちゃんが渋い顔を見合わせると、その様子を見た椿がクスリと笑った。
「まあ、策はあるんですけどね」




