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D5―6 涸沢之蛇 その6

「お兄に止められてなきゃ、アナタはとっくにウチに殺られてるよ」


「で? そんな脅しに屈するとでも?」


「脅しじゃなくて、事実を述べてるだけ。アナタはもう少しお兄に感謝した方がいい」


 椿は不服そうな顔で俺の握るスマホを睨んでいた。

 あまりに鋭い視線に、電話越しでもその気迫が伝わりそうだ。


 ずいぶん前ハーブ園で伝えた「椿に手を出さなくていい」という俺の言を、千佳は律儀に守っているらしい。

 あの会話が無ければ椿が死んでいた可能性があると思うと、背筋がうすら寒くなるが……


「いい加減迷惑だから加々美家から、というかお兄の傍から離れて」


「断る、と言ったら?」


「ウチのすべてをかけてアナタを苦しめる。もちろん、お兄の許す範囲でだけど」


 ヒリついた空気が場を支配する。電話越しだというのに、今にも掴み合いの喧嘩でも始まりそうな雰囲気だ。

 なんとか仲裁をしたいが、俺がしゃべっても逆効果かもしれないし、どうすれば……


「残念……私が出ていくしかなさそうですねえ。いやまったく残念です」


 先に口を開いたのは椿だった。


 まさかコイツ、本気で折れるつもりか? 芝居がかった口調は引っ掛かるが……


「蛇娘……いや、千佳ちゃんとも仲良くやっていきたかったんですがねえ。残念残念」


「何か企んでるんでしょ。騙されないよ」


「まさか! 私は雇っていただいたお礼をしたかっただけですよ。貴女の欲しいものならよーくわかりますからねえ」


 椿が鞄から小さなファイルを取り出す。するとショコラは警戒しながら近づき、その荷物を眺めた。

 ショコラを通して千佳も荷物を検分しているのだろう。


 その場に正座した椿がファイルを一枚一枚めくっていく。

 俺もそっと近づいてみるが、暗闇でヤツの手元がハッキリ見えない……なんだろうアレ。色んな種類の物が入ってるような……


「千佳、何が見えてるんだ? 俺からじゃよく見えないんだが……」


 千佳からの返事は無い。まさか電話が切れたか?

 いや……スピーカーを耳にぴったり当てると千佳のか細い息づかいが聞こえてくる。


 まさかあのファイルに千佳の弱味が編纂されてるのか?

 十分にあり得るぞ。あの椿が無策で加々美家を侵してくるとは思えない。


 異様な空気に身じろぎできずスピーカーからの返事を待っていると、千佳が生唾を飲む声が聞こえてきた。

 背筋に緊張感が走る。千佳を脅すだけの機密情報が含まれているなら、椿からファイルを奪うことも考えないと……


「わかった。出ていけとは言わないけど、お兄にちょっかい出したら許さないからね」


「もちろんです。私はこうして、ささやかな幸せを甘受できれば結構ですので」


「な、なあお前ら……状況が読めないんだが」


 困惑する俺をよそに椿はファイルを仕舞いこもうとする。

 どうにも嫌な予感が拭えない俺は、隙をついて椿からファイルを奪い取った。


「あっ、ダメです先輩それは……!」


 椿から奪ったファイルには写真、レシート、それからテイッシュのようなものと、毛……?


 もしかしてこれって……


「私の秘蔵コレクションが!」


 飛びかかってくる椿を制止し、ファイルをじっくり眺めていくと、その内容物にはどれもうっすら見覚えがあった。


 俺が極上の足首動画を眺めていた時の写真、身の丈に合わない衛生用品を買った時のレシート、テイッシュと毛は清潔なものではなさそうだ。

 他にも、俺が書きなぐった自作のポエム、俺の奇声や独り言が文字起こしされたメモ、謎のSDカードなど様々な物が入っていた。


 そう、そこには俺が人に見られたくないもののすべてが詰まっていたのだ。


「椿ィ! これ即座に処分しろ!」


「嫌に決まってるじゃないですか! やってしまいなさいショコラ!」


 とたん、右腕に鋭い痛みが走る。


 蛇に噛みつかれたショックで思わずファイルを取り落としてしまった。

 椿はそれを即座に回収すると鞄の中にサッと仕舞いこむ。

 鞄に入ってるってことは、アイツあんなもん持ち歩いてるのか……


 そしてまさかの裏切りを経て、椿と千佳が無言の契約を交わしていたことにようやく気づいた。


 そう、千佳は俺の恥部を賄賂として受けとることで椿の滞在を認めたのだ。

 

 千佳のヤンデレ度を侮っていた。まさかここに来て椿の味方になってしまうとは……


「千佳、お前……」


「違うのお兄。あの人がお兄の私物持ってたら気持ち悪いでしょ? だからウチが責任持って処分しようかなって」


「処分って具体的にどうするんだ?」


「……」


「そこで黙るなよ! なんか怖いだろ!」


 まあ、椿が近所に残ったところで千佳の蛇たちが守ってくれるから実害は無いんだけどさ……

 なんかこう、釈然としないような……


「なあ椿、お前ひょっとして太一さんにも賄賂渡したのか?」


「賄賂だなんて! 私は恋愛アドバイザーとして助言しただけですよ」


「身の丈に合わない肩書きを名乗るな。そもそもお前なんぞがどんなアドバイスするんだよ」


「気になる女の子がいた場合の距離の縮め方ですね。まず相手の行動経路を確認し、自然な接触を心がけてですね……」


「ストーカーでは?」


「それだけではありません。相手のプロフィール、出身・身長・体重・好物・宗教・性癖・等々を完璧に把握して会話を弾ませることがですね……」


「やっぱりストーカーだよな?」


 こんな奴にアドバイスを求めて、あまつさえ働き口まで用意した太一さんが心配になってくる。

 社長が軽犯罪で逮捕されるなんて、脱税とかよりもある意味ダメージが大きそうだ。


「千佳、本当にコイツを加々美家の近くに置いておいていいんだな?」


「お兄のことはウチが守るから安心して。それに、手元で監視しておいた方が無難な気もしてきたから」


 太一さんと同じこと言ってら……わざわざ似たような言い訳をしなくても咎めるつもりは無いんだが。


「ふふ……千佳ちゃん、これからは仲良くしましょうね」


「うん。ただ……わかってるね?」


「もちろんです」


 俺を仲間はずれにして何かしらの密約が結ばれている……


 まあ、千佳が納得してるならもういいか。

 何より大事なのは彼女の気持ちだ。椿からも守ってくれるというなら言うこと無しだしな。


「ごめんねお兄……欲望には勝てなかった」


「いいよ、千佳が満足なら十分だ」


「その代わりお兄もウチのこと好きにしていいからね」


 電話越しに艶かしい声が聞こえてくる。ドギマギする俺の後ろから椿の軽い殺気が伝わってきたが、気づかないフリをした。


 今までゲリラ戦だったのが冷戦に変わっただけなのかもな、これ……



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