⑲ 奇人とラーメン
今日は諸星と「ラーメン五郎」に行く予定だった。19時までは各自それぞれ過ごし、時間が来れば店前に集合という気楽なスタイル。たまに諸星が遅刻してくるが、その辺りはまあ、ご愛嬌というやつだ。
店の近くまで来ると、諸星のヒョロ長い図体が目に入った。「今日は時間通りにいるな」と感心したのも束の間、諸星の身体の後ろからひょこっと小動物が飛び出した。
「ハロー、ナガさん。ご機嫌いかが」
「オイ諸星、どういうことだこれは。お前なんか企んでんのか?」
「いやいや違うって! 俺がちょっと口を滑らしたらリーちゃんがついていくって聞かなくて」
「そうですよ。それはもう暴れ倒しましたからね。マレットでボシさんの尻を叩くといい音がするの何のって」
「お前らの関係どうなってんだよ……」
リーちゃんのことは嫌いではない、どちらかと言えば好きな性格ではあるんだが、なんとなく諸星の作為を感じるのが癪なのである。そもそもリーちゃんと出会ったのも諸星の采配だし、元々リーちゃんが俺に懐くところまで想定していたのではないだろうか。
「とりあえず入るか」
「おうよ」
「ガッテンです」
店ののれんをくぐり引き戸を開けると、とんこつの生暖かい香りに顔面が包まれる。むわっとした熱気というのは通常不快なものだが、ラーメン屋の熱気には何とも言えない多幸感がある。
大学から最寄りのラーメン屋だけあって何度も来た店だが、飽きの来ない素直な味でついつい足を運んでしまう。
「らっしゃい! 三人さんカウンターへどうぞ!」
俺が一番奥の席に座ると、続いてリーちゃん、諸星という順に並んだ。しかしこの面子は傍から見て不審ではないだろうか。女子中学生(に見える)リーちゃんを怪しい成人男性二人が拐かしているように見えるのでは? 俺はともかく諸星はかなり胡散臭いしな……
怪しく見えないよう、ごく自然にメニュー表を広げてリーちゃんに見せてやると、彼女は興味深そうにしげしげとメニューを眺めた。
「あれ? リーちゃんここ来るの初めて?」
「そうなんだよ。『わたしはラーメン五郎に行ったことが無い、それなのにナガさんと二人だけで楽しもうというのですか。泣きました。わたしの心は深い悲しみに暮れています』って泣き脅しされてさあ」
「今はニッコリですよ。ニッコリーちゃんです」
「真顔で言われてもなあ……」
リーちゃんと出会って少し経つが、彼女の表情が変化したところをほとんど見たことがない。注意して見ると微妙に口角が上がっているように見えなくもないが、誤差の範囲にも思える。
しかし不思議と冷たい印象を受けないのは、やはり彼女の人柄のなせるワザなのだろう。
「わたしはトマトラーメンを食べます」
「初めてでそんな変化球いく?」
「わかっていませんねナガさん。変化球が美味しいラーメン店は普通のメニューも美味しいんですよ」
「へえ……そういうもんなのか。リーちゃんはラーメンに詳しいんだな」
「そりゃもう。年に三回ぐらいは行きますからね」
「少ねえ! なんでその頻度で通ぶったの!?」
一瞬感心しかけた自分が恥ずかしい。しかしトマトラーメンか。気にはなっていたが今まで勇気が出ず頼んだことはなかったな。普通のラーメンを頼みつつトッピングは気分で、ぐらいでいつも食べてたからなあ。まあ、今日も普通のラーメンに味玉付きぐらいで考えているが……
「諸星はどうすんだ?」
「今日は味玉かなあ」
「気が合うな。すみませーん! 味玉ラーメン二つと、トマトラーメン一つで!」
「あいよー! これサービスのキムチね」
「おっ来た来た」
そう、この店はキムチおかわり自由なのである。今まで諸星と色々なラーメンを巡ってきたが、キムチおかわり自由の店はここ以外に見たことがない。
このキムチは無料の割になかなか旨いので、本当にサービスでもらっていいのか心配になる。時々ラーメンが食べたくて来るのかキムチが食べたくて来るのかわからなくなるほどだ。
「ほう、キムチのサービスですか。なかなかやりますね」
「だからなんで通ぶろうとするの?」
「リーちゃんはグルメだからなあ」
「趣味は岩塩の食べ比べです」
「本当にやってそうで怖いんだけど……」
しかしリーちゃんはどうにも育ってきた背景みたいなものが見えづらい。超然とした態度から只者でないことはわかるのだが。
あんまり生活感が無いし、実はお嬢様だったりするのだろうか? 諸星もこんな風に見えてヴァイオリンを幼い頃から習っているらしいし、二人の所属する交響楽団サークルはいかにも裕福な子女が多そうだからなあ。
少し目を離した隙にリーちゃんはキムチを小皿に山盛りにしていた。
「待て待てどんだけ乗せるんだ」
「無料ということはですね、つまり、キムチを無料で食べられるということなんですよ。わかりますかナガさん」
「政治家論法やめろ」
「なんかいっぱい食べないと損な気がして」
「別にいいけど残すなよ」
「残ったらナガさんが食べますので」
「ああ、うん……一緒に食べようか……」
お嬢様というより野生児か? 奔放というか常識外れというか……
「しかしリーちゃんよお、なんでそんなに武永が気に入ってるんだ? サークルにもいい男はいるだろ? 俺とか」
「ボシさんは対象外です」
「諸星は軽いからなあ。ちょっとは反省しろ」
「いえ、そういうことではなく」
山盛りになったキムチをポリポリと食べながらリーちゃんは続ける。なんだかリスのようで愛らしい。
「夫婦漫才というのは、ボケとツッコミがあってこそ成り立つものです。わたしとボシさんではボケとボケですからね。これはいけない」
「はあ……」
「その点ナガさんは素晴らしい。わたしのボケを拾い続けるその忍耐力、称賛に値しますよ」
「別にいいんだけど、なんでそんな偉そうなの……」
「ヒャヒャヒャ! いやー武永はモテるねえ、罪作りな男だ」
ヘラヘラ笑う諸星が鬱陶しい……そもそもこれをモテにカウントしていいのだろうか。漫才の相方として需要があるって、男として喜んでいいのやら。
椿が俺に執着するのも呪いみたいなものだし、自分がモテているとは到底思えない。
それはともかく、リーちゃんにも聞いてみたいことがあったのだ。
「リーちゃんこそ、なんで諸星とつるんでるんだ? 学年も担当楽器も違うのに」
「パーカッションパートは元々人数が少ないんですよ。ぼっち気味のわたしにしつこく絡んでくれたのがボシさんなのです」
「俺って困ってる人を見たらほっとけないタイプだからさあ」
「嘘つけ。他の女の子にいいところ見せたかっただけだろ」
「バレてたかあ」
諸星は悪びれもせずヘラヘラ笑う。思わず悪態をついてしまったが、それでリーちゃんが救われたなら案外悪いことでもないのか?
「動機はともかく、ボシさんがわたしの恩人であることには変わりません。そんなボシさんが妙に誉めるご友人がいるので、どんな人かなと気になったわけです」
「えっ、お前俺のこと誉めてんの? なんか怖いな」
「おお武永照れてんのかあ」
「わたしを差し置いてイチャイチャしないでください」
収集がつかなくなってきたところで、ラーメンが運ばれてきた。嗅ぐだけで腹が満たされるようないい香りだ。リーちゃんのトマトラーメンはやたら赤くてちょっと怖い。
「ゴチになります」
「なりまーす」
「待て諸星、お前にはおごらないからな」
「流れ的にいけるかと思ったが無理かあ」
「おごって欲しけりゃ毎日誉めろ」
「そこまで誉める箇所は無いしなあ」
「この野郎」
俺たちが言い争っている間、すでにリーちゃんトマトラーメンを賞味していたが、ふいに彼女の手が止まった。
「ああ、なるほど」
「どうしたリーちゃん? あんまり旨くなかったか?」
「いえ、きっとナガさんもボシさんに救われているのですね。ふむ、理解しました」
一人で勝手に納得した後、再びリーちゃんはズルズルと赤いラーメンを啜る。俺も諸星もしばらくポカンとしていたが、ラーメンの存在を思い出しめいめい箸を取った。
その後リーちゃんに分けてもらったトマトラーメンは酸味が効いていてなかなか旨かった。
知らなかったことに気づくというのも、たまには悪くないものだ。




