D3―5 蛇の道は蛇 その5
「はじめまして。私、千佳様に仕える女中の『箕輪』と申します。武永様ご姉弟には千佳様がたいへんお世話になりまして……」
「いえいえ、こちらがお世話になっていたぐらいで、その……」
相手のうやうやしい態度に、思わずこちらまで腰が引けてしまう。
というか「女中」ってなんだ? 古い小説でしか見たことない単語なんだが……
ニュアンス的には召使とかそういうのなんだろうけど、千佳ってそこまでお嬢様だったのか。
「このような機会をくださった本庄様にも御礼を……」
「ねえ先輩、この人テンションがちょっとさらちゃんに似てません? やっぱりマゾなんですかね?」
「失礼なことを言うのはやめろ。さっさと行くぞ」
余計なことを耳打ちしてくる椿を引き剥がし、箕輪さんを車へ案内する。
わざわざ駐車場で待ち合わせしたということは、これからする話は車を走らせながら聞くのが良いのだろう。
「みんな乗れた? それじゃ出ぱーつ」
加々美邸での緊迫感した場面を忘れたかのように、姉さんは呑気な声でサイドブレーキを下ろした。
箕輪さんがいることに対する緊張とかも無いんだろうか。無いんだろうな。
「それで箕輪さん、千佳を助ける策は……!」
「いえ、それは……」
「がっつきすぎですよ先輩。リラックスリラックス」
椿に諫められるのは妙に腹が立つものの、初対面のご婦人を脅かすのは確かによろしくない。
助手席の窓を少し開けて深呼吸しつつ、後部座席に座る箕輪さんの方へ向き直る。
「すみません、ご協力感謝します。千佳を助けたいと思うのですが、手助けいただけそうでしょうか?」
「千佳様の苦悩を思えば我が身くらい投げうちたいですが、私はあくまで加々美家に仕える身……できることと言えば世間話くらいのものですが、よろしいでしょうか?」
「十分です。言えないことまで問い詰める気はありませんので」
「お心遣い、有り難く存じます……」
箕輪さんは申し訳なさそうに頭を下げたが、無理な助力をさせたくないのは本心だったし、恐れ入るような態度は取らなくていいのだが。
こうして俺たちの車に乗ること自体、箕輪さんにとっては加々美家への背信行為になりかねないのだ。
それだけのリスクを侵して何か協力してくれるだけでもありがたい。
むしろ礼を言いたいのはこちらの方だ。
「では、私からは千佳様の過去と加々美家の現状を説明させていただきます。それを聞いた皆様がどうなされるかには関知できかねますので悪しからず」
「助かります。ありがとうございます」
「先輩、この場をセットした私にお礼は?」
「はいはい、お前もありがとな」
箕輪さんの隣に座る椿がニュッと頭を出してきたので、軽く撫でてやると満足そうに引っ込んだ。
つい雑な対応になってしまったが、今回ばかりは椿にも感謝している。
「では、何からお話しましょうか……」
すっかり暗くなった道を車のライトだけが照らしている。車の駆動音しか聞こえない車内で箕輪さんはポツリポツリと語り始めた。
小学生くらいまでの千佳は、俺の知っているとおり明るい少女だったようだ。
千佳の父親は厳格な当主だったらしいが、「妾の子」という難しい立ち位置が皮肉にも千佳を守っていて、彼女には厳しい教育が施されなかったらしい。
お陰で千佳は箕輪さんをはじめ女中や氏子さんたちにも親しく接してもらうことが多く、年相応の活発な女の子として成長できたそうだ。
「しかし千佳様には『才能』がありました……それが発覚したせいで、武永様がたの元を離れることに……」
「急に終わりましたからね、うちでの家庭教師……」
「ええ……千佳様が『沙蛇』……『レア』と呼んで親しむあの蛇と意志疎通できることを大旦那様が知って以来、状況は一変しました」
千佳が武永家での受講に急に来なくなったのは、やはり加々美家の方針だったらしい。
本家に連れ戻され、なかば軟禁状態にされた千佳は、そこで才能を開花することとなった。
本人としては嬉しくない結果だっただろうが……
「千佳様の才は素晴らしいものでした。『大野槌』パフェや『疫龍』マームなどを手懐け、加々美家でも稀に見るほどの力を発揮したのです」
千佳を称える箕輪さんの表情は、どこか寂しげに見えた。
まるで「千佳が普通の少女として生まれていたら」と悔やんでいるようだ。
その気持ちは俺にもわかる。あんな面倒な家柄でなければもっと自由に、もっと快活に生きられただろうに……
「難渋を飲む修行の日々は、明るい千佳様の性格をも変えてしまいました。今でもお優しい方ではあるのですが、ご自身に厳しくなられたというか、もっと言えばどこか自棄になられたような……」
箕輪さんの目から小さな滴が垂れてくる。こちらまでもらい泣きしてしまいそうだ。
ちなみに彼女の隣に座る椿の目も潤んではいるが、さっきあくびをしていたからだろう。
人が深刻な話をしている時に呑気なやつだ、まったく……
「何年も苦悩の日々を過ごされる千佳様を、我々は見守ることしかできませんでした。以前のように話相手になってもどこか上の空で、使用人一同諦めかけていたのです……」
ずいぶん走り続けた車がついに止まった。うちの最寄り駅のロータリーに到着したらしい。
見慣れた風景が目に入ったせいか、いくらか気が緩んでしまいそうだ。
「そんなある日のことでした、高校3年生の千佳様が家出をなさったのは」
「家出?」
「そう。皆様よくご存知のとおり、千佳様がここの駅に逃げてこられたあの日です」
なるほど……俺と再開し、椿と初バトルを行ったあの日か。
やけに唐突に現れたとは思っていたがそれも当然で、家出なら誰にも事前連絡なんてできなかったよな。
うちの母もおそらく驚いただろうが、そこで追い返さずくつろげるように取り計らうあたり、鷹揚な母らしい。
「その節はすみません、うちの実家で匿ってしまったみたいになって……」
「いえいえ。私どもの想定する限り、最善のケースでした。あのまま行方知れずになることすら危惧しておりましたので……何より」
箕輪さんは改めて俺の目を見据え、頬にしわを滲ませて微笑んだ。
優しい目。まるで息子か何かに向けるかのような、あたたかい視線……
「武永様のお宅より帰られた千佳様の目。その奥底には、以前の輝きが戻っていたのですから」




