D3―4 蛇の道は蛇 その4
妙案なんて一つも思いつかないが、とにかく千佳をここにいさせてはいけない気がする。
もし千佳が笑顔で現れたならこれ以上深入りするつもりはなかったが、今の彼女の表情はあまりにも痛々しすぎる。
うつむく千佳に駆け寄り彼女の手を掴もうとした瞬間、千佳の背中から突如大量の蛇が顔を出した。
今までどこに隠れていたのだろう。何匹いるか数えられないほどのソイツらは、牙を剥いてこちらを威嚇している。
見たこともない蛇ばかりだ。赤や緑、黄色に茶色、光沢のあるものから煤けた色まで色とりどりの蛇が一斉に睨みをきかせてくる。
千佳がうつむいたままである以上、蛇たちを操っているのはおそらく彼女ではない。と、なると……
「アンタが……!」
「怖い顔しなや。まだ何もしてへんやろ?」
薄笑いを浮かべる、オールバックの青白い男。太一さんは腕組みをしたままこちらをまっすぐに見据えていた。
薄々予感はしていたが、どうやらこの人も千佳と同じく蛇を操る力があるらしい。
対してこちらはあまりに無力。化物じみた椿ですら、蛇相手に立ち回れるほどの強さは無い。
俺や姉さんにいたっては見た目通りの凡人だ。
「帰りますよ先輩。出直しましょう」
千佳に触れられず行き場を失っていた俺の右手を、椿がぐいと引っ張る。
姉さんも立ち上がって帰る準備をしているのが目の端に映った。
「待てよ、このままじゃ……」
「大丈夫です、私に策があります」
「策って言っても……」
あれだけ大量の蛇に阻まれた以上、もはや打つ手なんて無いように思うのだが。
困惑する俺をよそに、椿はぐいぐい外へ向かって進む。引っ張られた手首が痛いのだが。
そして、身体が半分部屋の外に出たぐらいのところで、突然椿が立ち止まった。
その唐突さに思わず転びそうになったが、なんとかバランスを保って椿の顔を見る。
ヤツは、場にそぐわない勝ち誇った表情で口を開き始めた。
「そうそう。言い忘れていたのだけど、蛇娘に伝えなきゃいけないことがあるの」
「何なの……」
「私、先輩と入籍したから。もう貴女の出る幕は無いのよ。安心して余生を過ご……」
「バカ、お前……!」
俺が止めた頃にはもう手遅れだった。千佳の両膝は力を失い、そのまま地面へとまっすぐに落下した。
そうなるのも当たり前だ。千佳にとって心の拠り所を失ったようなものなのだから。
「椿、お前なに考えてんだよ!」
掴みかかろうとする俺をひらりとかわし、椿は俺の耳元で囁いた。
「落ち着いてください。敵を油断させるための罠です」
「敵……」
この場に敵がいるとすれば、それはやはり太一さんのことを指すのだろう。
太一さんを油断させる? さっきの椿の発言でそんなことが可能なのか?
「行きましょう、宗ちゃん」
椿のいる位置と逆側から姉さんまで俺の腕を引っ張ってきた。
やはり、ここは一旦引き下がるしかないのだろうか。
意志のぶれた俺の脚は、引っ張られる方へたやすく転んでいく。
「気ぃつけて帰りや」
「また来ます」
「来んでええ」
薄笑いが顔に張りついたままの太一さんがひらひらと手を振ってくる。隣には未だ立ち上がれずにいる千佳。
色とりどりの蛇たちは、まだ千佳の後ろで蠢いている。
何も前進しないまま立ち去るのは甚だ不本意だが、作戦を練り直した方がいいのは事実だろう。
椿と姉さんに引きずられるまま客間を出ると、お手伝いさんに戸を閉められた。もはや千佳の姿は見えない。
「千佳……」
「先輩先輩、見てくださいあそこの置物。趣味悪くないですか?」
「クロワッサンの出来損ないみたいねえ。見える? 宗ちゃん」
「はあ……」
千佳を助けられなかったショックのせいか、椿や姉さんの声がやけに遠く聞こえる。
現実感が無いというか、嫌な夢を見続けているような気分だ。
千佳を実家から脱出させるどころか、膝から崩れ落ちるまで追い込んで……
いや待てよ。追い込んだのは俺じゃないか。
「おい椿テメェ。千佳を傷つけやがって」
「ひどいなあそんなつもりは……ちょっとしかないですよ」
「お前なあ、ふざけていい場面と悪い場面が……」
「冗談ですって! あの発言で蛇娘が大人しくなったら、あの太一って人も油断するかもじゃないですか。私たちはその隙を狙うわけですよ」
椿はしたり顔でニマニマと笑った。表情自体は腹立つが、合理的なやり方ではあろう。
下手に千佳に希望を持たせるような真似をすれば、彼女が独力で脱出を図る可能性もある。
そうなれば、今度こそ強硬な手段で千佳が閉じ込められるかもしれない。
無気力になった千佳相手なら、太一さんもさすがに監禁まではしないだろうし……
まあ千佳が傷つくようなやり方はやっぱり気に食わないが。
腹立ちまぎれに椿の頬をつねってやると、一瞬だけ痛そうな顔を浮かべた後、嬉しそうに頬をさすっていた。
「でもお前、この先どうすんだよ」
「任せてください。これから協力者に会いますから。というか、実はそっちが今日のメインなんです」
「聞いてねえぞ」
「言ってませんから」
平気な顔でそう返してくる椿を見て、思わず苦い表情を抑えられなかった。
コイツ、本当に俺の味方する気あるんだろうか。
肝心な時に裏切りそうなんだよな……
「まあまあ宗ちゃん。気持ちはわかるけど、ね?」
「はあ……で、協力者ってのはどこにいるんだ」
「車まで戻ればいるはずですよ。ナンバーとか伝えてますし」
姉さんがいてくれてよかった。俺と椿だけならここですでにケンカ別れになっていたかもしれない。
ケンカというか、俺が一方的にキレるだけだろうけど……
すでに何度か椿にはキレかけているが、穏やかな姉さんのお陰でなんとか平静を保てている状態だ。
大きな門を抜け、元いた場所のあたりまで戻ってくると、あたりはだんだん薄暗くなり始めていた。
遠くの空がうっすらオレンジ色に染まりかけている。どこか遠くでトンビの鳴く声が聞こえてきて、その音色が妙に寂しさを引き立てた。
「おっ、いましたね」
椿が指差す方には俺たちが乗ってきた車が停まっている。そしてその脇には、見慣れない年配の女性が立っていた。
割烹着に身を包んだその人は、俺たちの姿を認めると控えめに頭を下げた。
……誰だアレ?




