D3―3 蛇の道は蛇 その3
「まあ上がりや。お姉さんらも」
鋭い目つきをした男、千佳の兄である「加々美太一」さんは俺たちを客間へと導いた。
年齢は姉さんと同じくらいだろうか。若くは見えるがやけに落ち着いている。
全体の印象は千佳に似ていると思わないが、鋭い目つきだけは共通のものだった。
ひょろ長い背丈とオールバックの髪型、シャープな顎のラインなどから神経質そうな性格が見える。
柔和な関西弁とは裏腹に隙の無い雰囲気を纏っていて、懐柔は難しそうなタイプだ。
通された客間は広い座敷であり、宴会をすれば数十人は座れそうなほどである。
太一さんの後ろには立派な掛け軸。天に昇ろうとする龍……のように見える蛇が描かれている。
掛け軸の脇には高価そうな壺が置いてあり、いかにも名家の客間といった雰囲気だ。
「いま千佳はおらんで。残念やけど」
こちらが本題を切り出す前に、太一さんは薄笑いを浮かべた。
俺たちの意図などお見通しというところか。予想はしていたが、なかなかの曲者のようだ。
「千佳は元気にしていますか。何も言わずに出ていったので気になって」
「ぼちぼちやな。心配せんでも来週から大学に行かしたるよ。ええ部屋も見つかったし」
「そう、ですか……」
話だけ聞けば千佳は不当な扱いを受けているわけではなさそうだ。
だからこそ、かえって突っ込んだ質問がしづらい。
数瞬続いた沈黙を破るように、お手伝いさんが茶菓子を運んできてくれた。
皿に乗っているのは小ぶりな干し柿。甘味の凝縮されていそうなそれは、客向けの上等な逸品に見える。
「食べてくれたらええで。変なもんは入ってへんから」
「それじゃあ遠慮なく」
「ちょっ、姉さん……」
俺の制止も聞かず姉さんは干し柿を口に運んだ。
しかし、一口食べたところで彼女の手がピタリと止まる。
まさかとは思うが、毒が入っていたとか……
「そ、宗ちゃん……これ……」
「どうした姉さん、大丈夫か!?」
「すっっっごく甘いわ! こんな柿初めて!」
目を輝かせた姉さんがぱしぱしと俺を肩を叩いてくる。喜ぶのは結構だが、ここに来た目的忘れてないよな?
いつの間にか椿も一粒食べ終わっていて、満足そうな笑みを浮かべていた。
本当に、何しに来たんだろうこの人たちは……
「氏子さんが持ってきてくれる干し柿でなあ、売り物ちゃうけどええ味やろ」
「宗ちゃんも食べない?」
「いや、俺は……」
ここで柿に口をつけては和やかな雰囲気に流されそうでいけない。
俺はまだ目の前に座る男を信用していないのだ。
訊かなければいけないことも色々あるし。
「あの、千佳は……千佳はこれからどうなるんですか?」
「どうもこうも、普通に一人暮らしして、普通に大学に通うて、ゆくゆくはウチで働くだけやけど」
「それは、その、千佳が望んでることなんですか?」
「望む望まんの問題ちゃうねん。人は里で、蛇は林で暮らすもんやろ」
語気は激しいものではなかったが、太一さんはキッパリと言い切った。
こちらの意見など端から聞いていないようだ。だからといって、黙っているわけにもいかないが。
「それはあんまりなんじゃないですか。千佳の意思とか、色々考えたうえで……」
「考えたうえで、あの子が出した答えやとしたらどうする?」
俺の発言を遮り、太一さんはそう言い放った。
彼の鋭い視線が俺の目に突き刺さる。思わず怖じけてしまいそうだが、ここで退いてはいけないような気がした。
「それは……千佳本人の言葉を聞かないと、何とも……」
「ほな本人が言うたら納得するねんな?」
「まあ、その辺りは……」
場数の違う相手を前に、俺は肯定とも否定とも取れない曖昧な返事をすることしかできなかった。
太一さんは静かにお茶を啜りながらも、俺から視線を外さない。
いっそこちらを舐めてかかった態度なら隙もあったのかもしれないが、そういう迂闊な人種ではなさそうだ。
「しかしまあ……武永くんには感謝しとるよ。変な男のところに逃げられるよりはよっぽどマシやったわ」
「どういう意味ですか?」
「そら嫁入り前の娘が傷物になったら困るやろ。君が紳士で助かったわ」
誉めるような台詞のはずなのに、なんとなくバカにされたようにも感じる。
意気地のない男であることは否定できないため、余計にだ。
「そんな、千佳を物みたいに……」
「ちゃんとしたとこに嫁いで、子どもを生むのもあの子の仕事や」
「彼女はそんなこと望んでないんじゃ……」
「ハハッ、若いなあ」
嘲るような乾いた笑いを浮かべた太一さんは、湯飲みを置いて自らの顎を触った。
年齢で言えば俺とそんなに差は無いだろうに、大人ぶった態度が癪に障る。
「あなたに千佳の何がわかるんですか」
「さあ? あの子の考えてることはようわからん。でもなあ、僕やあの子が何をせなあかんかはわかる。ようわかっとるねん」
言葉だけ聞けばはぐらかされたようにも思えるが、太一さんの態度からは確固たる信念が垣間見えた。
詳しい理由はわからないが、どうしても千佳を自由にさせたくないらしい。
お互いの望みが食い違っている以上、議論は平行線のままだろう。
「あなたと話し合っても甲斐が無いことはわかりました。また別の方法を考えます」
「そうかい。ほんなら……」
お互いに膝を立て、席を離れようとしたところで、椿が「あ」と声を上げた。
反射的に顔を上げると、そこにいたのは……
「お兄、どうしてここに……」
疲れた顔色の千佳が、引き戸を開いて現れた。
「千佳、神戸に帰ろう。俺の家ならずっといてもいいから」
「待ってください先輩、私は認めませんよ」
「お前は黙ってろっての」
椿を無視して千佳の方へ手を差しのべるが、彼女はうつむいたまま動かない。
「どうした千佳? こんなところにいても良いことないだろ。さっさと行こうぜ」
「ごめん……ごめんねお兄」
直立したまま両手で握りこぶしを作った千佳は、震える声で呟いた。
「謝らなくていいから、千佳は心のままに生きてくれ。今の千佳を見てると、こっちまでつらくなってくる」
千佳の足元にポタポタと滴が垂れる。うつむいた表情を確認するまでもなく、彼女の悲嘆が伝わってきた。
「ありがとう……ごめんね。やっぱりウチ、ここから出られないから」
ようやく顔を上げた千佳は、歪んだ笑顔を無理やり作ってみせた。
その痛々しさを見るにつけ、俺の胸ににぶい痛みが走る。
「なんで……千佳……」
「はいはい終了。武永くんもわかったやろ。もう諦めて帰り、日ぃ暮れてまうで」
立ち上がった太一さんにポンと肩を叩かれる。
姉さんは困った顔でこちらを見つめ、椿は退屈そうな表情を浮かべていた。二人とも妙案は無さそうだ。
今日のところは出直すしかないか……いや、出直したところであの状態の千佳をどう説得する?
やはり、諦めるしかないのだろうか……




