⑱ ヤンデレと石頭
バイトを終えマンションの自室前に着くと、ドア横に見覚えのある生き物が体育座りで待機していた。無駄に長い髪で顔全体が隠れており不気味である。俺は慣れてるからいいんだが、隣室の吉本くんが見たら幽霊でも出たのかと仰天していたところだろう。
疲れていたので無視してドアを開け、そのまま急いでドアを閉めようとすると、ガッとドアの隙間に足が差し込まれた。宗教勧誘の手口かよ……
「なんで、無視、するんですか……」
椿はドアの隙間から強引に身体をねじ込んでくる。見た目も相まって完全にホラー映画のワンシーンだ。
「悪霊退散悪霊退散」
「こんなに可憐な女の子を捕まえて悪霊だなんて、ひどいですねえ」
「可憐な女の子は不法侵入とかしないんだよ」
「じゃあ合法的に侵入させてくださいよ」
必死の抵抗も虚しく、ジワジワと椿は室内に侵入してくる。なんとか押し返そうとするものの、その細腕からは想像もつかない力で反発され、結局押しきられてしまった。
無駄にエネルギーを使ったため、二人して玄関先に倒れ込む。
「くそっ、パワータイプのヤンデレとか厄介すぎるだろ」
「私は病んでません。デレデレなのは認めますが」
「だいたいお前細身のくせにどこからそんな馬力が出るんだよ」
「愛の力です」
「寒気がするからやめろ」
椿を追い出す方法はおいおい考えるとして、とりあえず今は休みたかった。何だってバイト帰りにこんな疲れることをしなきゃいけないんだ……
とりあえずお茶でも飲むか。
「はあ……お前と会うと無駄に疲れるんだよなあ」
「あれこれ言いながら私の分もお茶を用意してくれる先輩、素敵です」
「それ飲んだら帰れよ。で、今日は何の用だ」
用があろうと無かろうと絡んでくる椿にこんな質問は無意味かもしれないが一応訊いてみる。
「ああ、そうそう。今日は先輩に言いたいことがあって」
「なんだよ改まって」
「最近先輩が他の女の子とばっかり遊んでて、私とは遊んでくれないんですよ! おかしいと思いませんか!?」
「おかしいのはお前の頭だ」
「正ヒロインですよ私!?」
「何の話だ」
また椿のワケわからん話が始まった。寝る時間までには退散してほしいし、適当に流しつつどうにか帰らせるか……
「私が奇行を繰り返せば先輩に近づく女はいなくなると思ってたのに……」
「お前わざとやってたのかよ! お陰でこっちは大学入ってから一度も彼女できてねえんだぞ!」
「そんなに恋人が欲しいなら私と付き合えば解決では?」
「どれだけ腹が減っててもコンクリートは食わねえだろ。それと同じだ」
「生コンなら無理やり流し込めば食べれなくもないでしょう? ほら、生チョコとか生クリームに語感似てますし」
「拷問かな?」
しかしやはり俺の大学生活が精彩を欠いていたのは椿のせいだったのか。許せんな。いつか然るべき報いを……
「というか、私が先輩に出会うまでの一年間は何してたんですか? 大学入りたてならみんな浮かれてますし、いくらでもチャンスはあったのでは」
「それはお前、あれだよ。俺はサークルとか入ってないし……」
「でも一回生の頃からバイトしてますよね?」
「バイト先ではほら、硬派なキャラだからさ……」
「じゃあ結局、私がいてもいなくても恋人はできなかったのでは?」
あっさり論破されてしまった。実際椿がいなかったとして、俺に恋人ができていたかというと……虚しくなるから想像するのはやめよう。
それはそうと俺に対する当たりキツくないか? こいつ本当に俺のこと好きなの?
「好きですよ」
「心を読むのをやめろ」
「私は先輩のダメなところも情けないところも含めて好きなんです。ちょっと卑屈なところも愛らしいと言いますか」
「お前に言われた台詞じゃなきゃ多少は嬉しかったかもなあ」
「あ、お茶おかわりもらっていいですか?」
「だから帰れってば……」
このところ椿のショボい部分ばかり見ていたせいで忘れていたが、コイツが一番厄介なのだ。
浅井先生やリーちゃんもマイペースではあるが、おそらく俺が心底嫌がることはしてこない。一方椿はこちらの都合などお構いなく懐に飛び込んでくる。俺に嫌われたらどうしよう、とか考えたことはないのだろうか。一度訊いてみてもいいか。
「なあ椿……」
「ふぇ? なんでしょう?」
少し目を離した隙に、椿はビーズクッションに倒れこんで目を瞑っていた。帰る気ゼロじゃねえか。
「ふぇ、じゃねえよ! なんでそんなとこで寝てんだよ!」
「あっ、ベッドで寝てもいいんですか? じゃあ失礼しますね」
「降りろこの野郎バカ野郎」
寝ぼけ眼の椿をベッドから引きずり下ろすのは難しくなかったが、このやり取りがいちいち面倒くさい。
いざとなれば寝てる隙にでも外に放り出してやればいいんだが、風邪をひいたとかで因縁つけられても困るし、どうすべきか。
「お前ほんと何しに来たんだよ……」
「今日は眠い日なんですよ。彼氏なら察してください」
「寝ぼけて妄想と現実ごっちゃになってんじゃねえか」
「妄想じゃなくて理想ですー」
妄想、理想……ああ、そうか。その手があったか。
「もう遅いんだし帰れ」
「眠くて一歩も動けません。御愁傷様でした」
「なら、家までおぶっていってやるよ」
「えっ」
なるほど、やはり椿にはこういうのが効くようだ。
一年以上もつきまとわれていれば、いい加減椿の性格もわかってくる。コイツはどうしようもない人格破綻者だが、一方で人間らしい部分も無いわけではない。
椿はどこか自身を物語のヒロインのように思い込んでいる面がある。そのため、特定のシチュエーションに強い憧れを抱いているのだ。好きな男性におぶってもらって帰る権利、これは捨てがたい誘惑だろう。
「うーん……でもなあ……」
このまま強引に居座るのが得か、俺に家までおぶっていってもらうのが得か悩んでいるようだ。ここは一つダメ押しで……
「ほら、早く乗れよ。一人で帰るなんて危ないだろ?」
「乗ります!」
かかったなアホが。家から追い出せばこっちのものだ。マンションから少し離れたところで振り落としてやる。
そんな俺の企みも知らず、椿は俺の背中で無防備にうとうとしている。しかしわかってはいたが、コイツ本当に軽いな……ちゃんと食事とか取ってるんだろうか。
椿を背負いながらマンションを出ると、街灯の奥で三日月がぽつんと佇んでいた。涼しくて過ごしやすい夜だ。
「そういや俺、お前の住んでる場所知らないんだけど」
「ああ、ここから100メートルくらい西に行ったところですよ」
「近いな! やっぱ一人で帰れるだろ!」
「うー……しんどくて動けないんですって」
椿は俺の背中にダランと体重を預けながら、力なく唸った。普段なら両手両足を俺に巻き付けてでも離れまいと抵抗するだろうし、疲れているのは本当なんだろう。俺の家に強引に入ろうとしたりで体力を使い果たしたのだろうか。
これだけ家が近いと途中で放り出すのも難しいし、ただ送ってやるだけになるなコレ……なんとなく癪だ。
「先輩の背中はあったかいですねえ」
耳元で椿が静かに囁く。女の子をおぶって家まで送るシチュエーション、正直に言えば俺も嫌いではない。これが椿相手でなければ多少なり心が動いていたかもしれない。
「優しい先輩に介抱されて、私は幸せ者ですねえ」
……こんなことで俺は籠絡されんからな。たぶん。今のところは。




