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D2―3 藪蛇 その3

 千佳はソファで脚を伸ばし、くつろいだ姿勢でスマホを眺めていた。

 また蛇の脱皮動画でも見ているのだろう、パリパリと小気味いい音が聞こえてくる。


 彼女がリラックスしている今なら聞きやすいか?

 心を落ち着けろ。自然に、ごく自然に、雑談を仕掛ける時と同じ心拍数で。


「な、なあ千佳」


「ん」


「この前遅かったけど、何かあったのか?」


「別に。ただのバイトだけど」


 千佳はしなだれた姿勢で言ったが、動画はストップさせているようだ。

 いっそ片手間に答えてほしかったのだが、そうしないあたりが彼女らしい。


「カフェって夜中も営業してるのか?」


「うん、たまに」


「たまに?」


「いつもではないから」


 なんとなく引っ掛かる言い方だった。飲食店なら営業時間、というか営業してる週はキッチリ決まっているものじゃないのだろうか。

 そんな気まぐれに店を開けたり開けなかったりするのか?


 でもこれ以上突っ込むと何か探っていることがバレそうだしな。

 何より、少しうつむき加減で答える千佳の表情が明るいものではない。

 あまり深掘りされたくないという彼女の気持ちは、鈍感な俺にでもわかるくらいだ。


「お兄……」


 なんとなく気まずくなって立ち上がった俺の背中に、千佳のかぼそい声が投げ掛けられる。

 おそるおそる振り返ると、千佳がシャンとした姿勢に直っていた。


「な、なんだ?」


「心配かけて、ごめんね」


 寂しそうな笑顔を見せる千佳。その表情があまりに痛ましく、すぐにでも抱き締めてやりたいところだ。

 ただ、もし本当に千佳に彼氏がいたら迷惑でしかないからやめておくべきか。


 今の俺にできることは一つだけ。


「何か困ってるならいつでも言ってくれよ。俺はいつでも力になるぞ」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声で、千佳は「ありがとう」と呟いた。






 さて、カッコつけたは良いものの、千佳が詳細を話してくれないと千佳の助けにはなれない。

 実は千佳に好きな男がいて、俺には言いづらいだけ、とかだったらどうしよう。

 もちろん力にはなるが、ちょっとショックかもしれない。


 うーん……一人で悩んでても変な方へ思考が傾きそうだ。

 誰かに相談すべきだとは思うが、大学の愛すべき友人(変人)たちが頼りになるかは微妙なところだし、かと言って他に千佳を知っている人なんて……


 千佳がまだ帰ってこない部屋で、明かりを暗くしてグルグル頭を悩ませていると、一人だけ相談に乗ってくれそうな人が思い浮かんだ。


 彼女は忙しいだろうし、あまり頼るべきではないのかもしれないが、やむを得ないか……








「あら宗ちゃん久しぶり。元気してた? ちゃんとご飯食べてる?」


「ああ、それなりに元気だよ姉さん」


 電話越しのおっとりした声に、心が安らいでいくのを感じた。

 共働きだった両親に代わって幼いころ俺の面倒を見てくれた姉にはいまだに頭が上がらない。

 俺にとっては姉というより母親に近い存在なのだ。


「悪いな、忙しいだろうに」


「ううん。今日は夜勤明けだからさっきまで寝てたぐらい」


「やっぱ忙しいんじゃねえか……姉さんこそ元気なのか?」


「うん! 今日はドーナツ買ってきたから元気元気」


 そういう問題ではないだろう、と思ったが若干天然寄りの姉にツッコんでも仕方ない気がする。

 さて、千佳のことはどうやって切り出そうかね。


「あっ、そうそう。千佳ちゃんもいるのかな? この前クッキー送ってもらったからお礼言いたいんだけど」


 いいタイミングだ。千佳と姉の年は離れているものの、結構仲が良いからやはり話題に上がるか。


「千佳はいないよ。最近帰りが遅いことがあって」


「そうなの。忙しいのね」


「本人はバイトって言ってるけど、彼氏でもできたんじゃないのかな」


「へ? 彼氏は宗ちゃんでしょ?」


 姉は不思議そうに上ずった声で答えた。またうちの母が変なことでも伝えてたのだろうか。


「いや、別に俺は彼氏ってほどじゃ……」


「でも一緒に暮らしてるのよね? それって一般的に恋人関係なんじゃないかしら」


 ……反論の余地が無い。仮に千佳と仲の良い男がいたとしても、俺の存在がわかった時点でドン引きして逃げていくんじゃないだろうか。

 気になる女の子が「お兄」と呼ばれる謎の男と同居してるとか、不気味すぎる状況だしな。


 ただそうなると、千佳がいったい何を隠しているのか不思議で仕方ない。


「だいたい、千佳ちゃんは宗ちゃん以外に興味ないでしょ。昔ウチに来てた時からずっとそうじゃない」


「そうだったか?」


「うん。気づいてなかったの宗ちゃんだけよ?」


 全然気づかなかった……あの当時、懐いてくれてることはわかってたけど、慕うの意味が恋慕だったとは……


「なら姉さん、そうなると千佳が遅くなる理由を隠すのはなんでだと思う?」


「そうねえ……私なら」


 無味な沈黙が流れる。電話越しだと相手の表情が見えないぶん、沈黙にどのような意図が込められているのかわかりづらい。

 まあ、うちの姉のことだから単純に考え込んでいるだけだろうが。


「無言の抗議、とか?」


 十分溜めた間の後に、姉はボソッと呟いた。千佳の性格まで考えたうえでの答えなのだろう。

 しかし姉の意図するところがいまいちわかりかねる。


「抗議? 何に対して?」


「煮えきらない宗ちゃんに対してかなあ」


「うっ」


「宗ちゃんがどう思ってるにせよ、女の子はちゃんと言葉にしてほしいものよ。千佳ちゃんのこと嫌いじゃないんでしょ?」


「ぐぅっ……」


 ズバズバと核心を突いてくる。姉は物腰こそ柔らかいが、ただ甘やかすだけの助言はしない人だ。

 お陰で俺も最低限自立できる人間にはなれたが、久しぶりに食らうとなかなか痛いものだ。


「やっぱり俺のせいなのか……」


「そうねえ……ただ、家に転がり込む千佳ちゃんのやり方も強引だったから、宗ちゃんだけの責任ではないのかも」


「姉さん……!」


「まあ何週間も住まわせてるのは宗ちゃんの責任だけどね」


「姉さん……」


 優しいのか厳しいのかどっちかにしてほしい。

 いや、流されやすい俺にはどちらも必要なのかもしれないな。

 穏やかに背筋を正してくれる姉のご指導、痛み入る限りだ。


「わかった。俺もいい加減千佳との関係をハッキリさせるよ。腹ぁくくらないとな」


「万が一フラれたら田辺に帰ってきてね。みんなで焼肉でも食べましょ」


「ははっ、そうならないことを祈るよ」


 うまくいくはともかく、ここまでくると千佳以外の相手を選ぶ気にはなれなかった。

 一緒に暮らしてあんなに居心地のいい人はそうそう見つからないだろう。


 レア以外の蛇にはまだ慣れないが、蛇にご執心である点を除けば彼女は完璧すぎる女の子なのだ。

 可愛く、賢く、素直で、家事も雑事もそつなけくこなす。こんな素晴らしい女性に好かれている奇跡に感謝しなくては。


 それに、今までは彼女の好意に甘えすぎていた。

 中途半端な関係に安住するなんて、男としてあまり誠実な態度ではないだろう。

 そろそろ千佳を安心させてやらねばなるまい。


 あとは千佳に対していつ切り出すかだな……




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