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D2―1 藪蛇 その1

 ここ最近、椿の姿を見ていない。


 しつこい悪霊から解放されるのは助かるのだが、アイツが現れない時はたいてい悪だくみをしている時なのだ。

 姿が見えないからといって安心はできない。


 それに椿のことばかり気にしているわけにもいかないのだ。夏には教員採用試験もあるし、勉強は進めておかないと。

 千佳のお陰か椿の妨害も無いわけだし、今のうちにできるだけのことはやらないとな。


「お兄、何か考えごと?」


 コーヒーと豆菓子を運んできてくれた千佳。

 香ばしくホッとする薫りに癒されつつ、渡されたカップを手に取る。


「採用試験のこととか、色々考えててな」


「それだけ?」


「あー……椿の動向も気にはなってるんだ。千佳は何か知らないか?」


「レアには軽く調べさせてるけど、あんまりわからないかな。電車で遠出とかしてるみたいだけど。手間暇かけて本気で調べればもっとわかるけど、やる?」


「いや、そこまではいいよ」


 俺の隣に座る千佳は肩もぶつかるくらいの近さまで詰めてくる。

 最近はこの距離感にも慣れてきたので、俺も特に避けることはしない。


 触れるか触れないかの至近距離。千佳の少し低い体温が伝わってくるのが、こそばゆくて心地いい。


「そろそろバイトも休まなきゃかな……」


「四回生って大変なんだね」


「ぼちぼちな。千佳はバイト順調か?」


「まあ、ぼちぼち」


 千佳の薄い唇がコーヒーカップに触れる。熱いのが苦手だから慎重な様子だ。

 千佳のバイト先もカフェだと聞いてるし、まかないでコーヒーとか飲めるのかな、そうだとすれば羨ましいが。

 どんな雰囲気のカフェなんだろう。落ち着いたところなら一度行ってみたいものだ。


「千佳のバイト先、今度行ってもいいか?」


「それはダメ」


 突き放すような口調で千佳は断言した。何気なく訊いてみただけなのに、まさか即答で拒否されるとは。

 面食らった俺の表情はよほど間抜けだったのだろう、千佳が心底申し訳なさそうな顔でうなだれた。


「ごめん。お兄を傷つけるつもりはなかったんだけど」


「いやいや、俺も無神経だったよ。彼氏面してバイト先に来られても困るよな」


「違うの。彼氏面はしてほしいぐらいなんだけど、その、バイトで失敗してる姿とか見られたくないし」


「ふぅん……」


 冷静な千佳がミスをする姿はあまり想像できなかったが、俺が行くとソワソワして失敗したりするのかな。

 何にせよ、邪魔はしない方が良さそうだ。一緒に暮らしてるからって踏み込みすぎたな。


「それよりお兄、三宮のカフェ行ってみない? 都会なのに木立に囲まれてるオシャレなところがあるらしくて」


「ああ、俺も気になってたところだ。男一人だと入りにくいし助かるよ」


 こんな具合で、休日も千佳と過ごす日が増えてきている。

 ……これで付き合わないとかやっぱあり得ないよなあ。

 順調に攻略されてるんだろうな、俺。





 


「おう武永あ。今日も彼女連れか?」


「うるせえな」


 大学構内にある陸橋を千佳と渡っていると、後ろから胡散臭い男が話しかけてきた。

 知り合いでなければ不審者として通報していたところだ。


「こんにちはジゴロさん」


「ヒャヒャヒャ! 相変わらずひでーアダ名!」 


「千佳、コイツとはしゃべらなくていいぞ」


「武永もずいぶん冷てえなあ。心配しなくても親友の女には手ぇ出さねえよ」


 俺がかばうまでもなく、千佳はニヤついた笑みを浮かべる不審者こと諸星から距離を取っていた。

 千佳のような警戒心の強いタイプからすれば、諸星は厳重警戒対象なのだろう。

 彼女は俺の背中に半分隠れるようにして、諸星という名の歩く猥褻物を睨んでいる。


「嫌われてんねえ。俺、こう見えて悪い奴じゃねえんだけどなあ」


「別に嫌ってない。関わりたくないだけ」


「ヒャヒャヒャ! 嫌われるよりショックだわ!」


 ケラケラ笑いつつ、諸星は平気そうな顔で丸メガネを拭いている。

 千佳の鋭い視線などまるで意にも介していない様子だ。

 コイツの異常なメンタルの強さは見習いたいものだが、たぶん俺には真似できないんだろうな。


「俺ぁそろそろ行くわ。今日はサチちゃんとショッピングに行くんでな」


「わかったからさっさと行け」


「じゃあなー」


 諸星は俺たちを追い越し、橋の端まで悠然と歩いていく。

 大股で歩くその姿は、後ろから見てもどうにも胡散臭い。


 ぼんやりその背中を見送っていると、橋を渡った先で突然ヤツの歩みが止まった。


「あっ、そうそう言い忘れてた。千佳ちゃーん、ちょっといいか?」


 少し離れたところまで歩いた諸星が千佳を呼びつける。

 千佳を諸星に近づけるのは抵抗があったが、どうも彼女だけに伝えたいことがあるらしい。

 やむを得ないので目線で千佳に合図すると、彼女は小走りで諸星の元へ駆け寄った。




 二人の様子を注視していると、諸星が千佳に耳打ちする姿が見えた。アイツ、千佳に卑猥なこと吹き込んでたりしないよな?

 今さら心配になって駆け寄ると、諸星は片手を振りながら去っていってしまった。


 端に残された千佳の表情を見ると、唇をキツく結んだ難しい顔色をしている。

 楽しいお話をしていたわけではなさそうだ。


「どうした千佳!? 諸星に何か嫌なこと言われたか!?」


「違うの。ただ、その……」


「俺の友だちだからって遠慮することはないぞ。アイツ、けっこう無神経なところもあるし……」


「ううん、ジゴロさんはいい人。やっぱりお兄の友だちだね」


 千佳は唇を固く結びながらも、無理に笑顔を作ろうとしてみせた。

 明らかに無理をしている。俺の顔を見てはいるものの、微妙に視線も合わないし。


 ポジティブな言葉で諸星を誉めている割にはあまりにも険しい態度だ。


 鈍感な俺には、千佳が何について悩んでいるのか想像すらつかなかった。

 気になるのは気になるが、どこまで踏み込んでいいのか……

 不用意な言葉で彼女を傷つけることだけはしたくないのだ。


「よくわからんが、諸星が悪いわけではないんだな? アイツが悪いなら殴っておくが」


「それはやめてあげて。ジゴロさんに非は無いから」 


「そうか……俺は何があっても千佳の味方だからな。それだけは覚えててくれ」


「ありがとね、お兄……」


 泣き出しそうな表情の千佳が、頭を俺の胸に預ける。その細い首が今日はやけに頼りなく見えた……




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