D1―6 蛇苺 その6
潤んだ目の千佳がこちらを見上げる。華奢な身体ではあるが芯がしっかりしており、彼女の内面のしたたかさが外見にも表れているようだった。
一方、ブレブレな俺は生唾をゴクリと飲んでは、千佳の問いにどう反応すべきか決めあぐねていた。
まさかこんな急にぶっこまれるとは思っていなかったからだ。
見つめあったまま数秒……いや数十秒は経っただろうか。
張り詰めた沈黙を破ったのは千佳の方だった。
「なんてね。ビックリした?」
「ああ、驚いたよ……けど煮え切らない俺も悪いよな」
「そこがお兄の良いところ。返事はまた聞かせてね」
千佳は優しい流し目をたたえつつ、クスリと笑った。
年下の女の子にすっかり手玉に取られてるな、俺……
何よりこんな関係性が少し居心地よく感じている自分が恐ろしい。
どうにか話題を変えないと、妙な雰囲気になってきている。
「と、とりあえず椿の動向も気にしないとな。アイツ何やってくるかわからんし」
「そうだね。ウチは狙われてもいいけど、お兄が狙われると困るし」
「いやいや、千佳だっていきなり背後から襲われたらたまらんだろう。お互い守りあえたらそれが一番だが」
「ならできるだけ一緒にいよ。一緒に住んで、一緒に通学して、一緒にご飯食べて」
椿からの防衛策の話をしているはずなのに、千佳はうっとりと夢見心地だ。また妙な方向に話が逸れてきているような。
このままだと俺はすぐにでも千佳に陥落されてしまう気がする。まあ、同棲を始めた時点でもう避けられない運命なのだが……
「お兄はイヤ? ずっと一緒」
「……悪くはないって思っちゃってんだよな、俺も」
「そう。そうなの」
身体をクッションにもたれかけて満足げに微笑む千佳を見ていると、こちらまで満たされた気分になってくる。
「避けられない」なんて言っちゃダメだな。椿と同じヤンデレでも、これだけ可愛くて忠直な子が相手なら俺は幸せ者なんだろう。たぶん。
「あとは先制攻撃も重要かな。幽霊さんの家にマームを忍び込ませて……」
マームって何だろ……たぶん蛇の名前だろうけど……
不穏な計画が耳に入ってきたが、聞かなかったことにしようかな……うん。
「千佳ちゃんとの生活はどう? 楽しい?」
実家の母から電話がかかってきたかと思えば第一声がそれだった。
ウチの母は、千佳の親から見れば年頃の娘を怪しい大学生のもとに送り込んだ不謹慎なおばさんなのだ。
先方から文句を言われてなければいいのだが。
「お陰様でいい生活させてもらってるよ。でも、大丈夫なのか?」
「何が?」
「千佳の親御さん、怒ってないかなって」
「あら、アンタ何も聞いてないの?」
「いや、特には……」
「そう。なら私から言わない方がいいわね。千佳ちゃん自身に聞きなさい」
聞きなさい、って何を尋ねろというのか。母の話しぶりからは何かワケありのような雰囲気が伝わってくるが、どのような事情があるのかはさっぱりわからない。
ここはあてずっぽうにでも訊いてみるか。
「千佳はご実家となんかあったのか? ケンカとか」
「そんなようなところね。千佳ちゃんも言いたいことと言えないことがあるだろうから、私にはこれ以上訊かないでよね」
「はいはい……千佳は俺に色々質問してくるばっかりで、自分の話はあんまりしねえからなあ」
「愛されてるってことじゃない。うちのお父さんだって自分語りあんまりしないわよ」
「あれは無口なだけだろ」
他愛のない会話をしているうちに、玄関ドアがカチャリと開く音が聞こえた。千佳には合鍵を渡しているのだ。
「ただいま、お兄」
「おかえり。ちょうどいま母親と電話してるんだけど」
「おばさん? ウチも話したいな」
通話中のスマホを千佳に渡すと、通話口から母のはしゃぐ声が聞こえてきた。
盗み聞きする趣味はないし、少し席を外した方がいいかな。
特に用事はないけどコンビニまで行ってくるか……
コンビニから帰ってくると、千佳はすでに電話を終わらせていたようだった。
画面の暗くなったスマホを俺に手渡してくる。
「何か言ってたか、うちの母親」
「ん。お兄がハッキリしてくれないこと愚痴ったら、今度叱っとくって」
「なんでそんな結託してんの……」
「ウチはお兄の家の子だから」
「そうかい」
千佳はニヤッと笑って立ち上がった。おおかた水でも飲みにいくのだろう。
彼女の細い背中を見ながら考える。
さっきのセリフ、半分は冗談でも半分は本気なのかもしれないな。
千佳が自身の育った家庭をあまり好いていないことは端々から伝わってくるし。
母だけじゃなく父や姉も千佳とは仲が良いし、このまま千佳と一緒になればみんなハッピーなのでは?
でも、もしそうなれば千佳の実家にも挨拶に行かないとだしな……
結局、千佳の家庭問題とはいずれ向き合わないといけないか。
まあ、結婚するかはともかく彼女の抱える不安は取り除いてあげたい。俺なんぞにそんな大役が務まるかはわからないが……
これまではあえて触れないようにしてたけど、そろそろ探りを入れてみるか。
「なあ千佳、家族とはどうなんだ? 連絡取ってるのか?」
「秘密。付き合ってくれたら教えてあげる」
「お前なあ……」
「わかるよ。お兄の言いたいことはわかる。でも、もうちょっとだけ待ってね」
そう言うと千佳は俺の隣に腰かけ、そのまま首を横に倒し、俺の肩にもたれかかってきた。
昔もこんな風に千佳が甘えてきたことがあったっけな。あの時も千佳は「家に帰りたくない」って言ってたような。
当時は「家族とちょっとケンカでもしたのかな」なんてのんきに考えていたが、千佳の様子を見るに、親子喧嘩みたいな生易しいものではなさそうだ。
千佳の生家との確執はあの頃からずっと続いてるってことだもんな……
「お兄」
「ん?」
「好きだよ。大好き」
俺の目を見ないまま囁いた千佳は、言葉とは裏腹に泣き出しそうな声色をしていた。
何も言えない俺は、ただ千佳の頭を撫でてやることしかできなかった。




