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D1―4 蛇苺 その4

 千佳が俺の部屋に住み始めて1ヶ月経った。


 ……まず弁解をさせてほしいのだが、これには深いワケがある。


 俺としては本当に千佳が1週間くらいで部屋を探してきてくれると楽観視していたのだが、見込みと現実は往々にしてズレるものだ。


 最初の1週間はどうしようもなかった。

 大学に入りたての千佳には色々準備が必要なのだ。教科書を買い漁ったり、シラバスについて調べたり、大学のオリエンテーションだって各種色々あるわけで。

 平日はシンプルに時間が無いし、土日だってサークルの新歓があったり配布資料を確認したりで忙しい。


 2週間目になっても色々書類を整えたり、学内パソコンの使い方を覚えたりと大変そうだった。履修登録だって悩むしな。

 千佳の実家から化粧台やらヘアアイロンやら他にも細かな雑貨が届いて、その荷ほどきも忙しかったし……


 3週間が過ぎると、今度は諸星や村瀬が千佳に会わせろとうるさくて参ったものだ。

 千佳も千佳で「お兄の友達には会っておきたい」と律儀に挨拶回りをするものだから、スキマ時間が埋まってしまった。

 初回講義の復習なんかもしており、いつも忙しい千佳に「早く出ていけ」なんて言い出せるわけもなく。

 まあ、大学一回生の4月って一番忙しい時期だもんな……


 4週間、というかほぼ1ヶ月が過ぎて不動産屋に行くと、「こんな半端な時期にいい部屋は空いてないよ。大学から遠くてもいいならいくつかあるけど……」と何とも気の抜けた対応をされてしまった。

 やはり入学してから部屋探しをすること自体が土台無理な話だったのだ。


「ごめんねお兄、まだ厄介になるけど」


「別にいいよ。いいんだけど……千佳、もしかして初めからこれを狙ってなかったか?」


「…………そんなことないよ?」


「ちょっと返答に迷ったよな? 明らかに変な間があったよな?」


 千佳の真意がどうあれ、こうなった以上は仕方ない。

 一度引き受けた俺にも責任はあるのだ。千佳がちゃんと独り立ちできるまでは住まわせてやる義務がある。

 決して下心ではない……と思いたい。


 正直な気持ちを言えば、千佳と一緒に暮らす日々は想像していた以上に快適なものだった。

 普通の8畳間なので二人で暮らすには正直手狭なのだが、ずっと家にいるわけでもないし、どうにか耐えられるものだ。


 些細なデメリットに比べ、家事が分担できることのメリットの方が断然大きい。


 料理も洗濯も掃除も、一人暮らしと二人暮らしではさほど手間は変わらないものだ。

 ただ、労働力が二人に増えたぶん家事をやる回数が半分になったのでほぼメリットしかない。


 他人と暮らすとなると、家事のやり方や頻度、クオリティなどで普通は揉めるものだが、千佳は全面的に俺の生活スタイルに合わせてくれるので文句の出ようもない。


 こんな都合のいい押し掛け女房……ではなく同棲相手がいるとは想像もしていなかった。

 あまりにも俺の生活様式に合わせてくれるため心配になっていたが、当人は「お兄が快適なのがウチの幸せだから」と健気な回答をよこしてくれる。


 ……このまま結婚式場まで持ってかれそうな気もするが、後のことは後で考えよう。






 まあ、そんな平穏が続くわけもなく。


「帰って。ここはお兄のプライベート空間なんだけど」


「よくわかってるじゃない。だから私は害虫駆除に来たの。薄汚い蛇は追い出さなきゃ」


「追い出すかどうかはお兄が決めることでしょ。あなたに何の権限があるの」


「優しい先輩に代わって汚れ役を引き受けてあげるの。待っててください先輩、貴方に取り憑く蛇は私が祓ってあげますからねえ」


 千佳の制御を振り切り椿が玄関から上がり込んでくる。

 いつも思うんだが、コイツ入り口のオートロックはどうやって突破してきてんだろうな。


「帰れよ椿。俺も千佳を追い出すつもりはねえんだから」


「まあまあ先輩、話だけでも。この蛇を追い出さないと先輩も大変なことになるんですよ」


 椿は悠長な仕草で黒いトートバッグから書類のコピーを取り出した。

 この紙が何だと言うのだろうか。なんとなく嫌な予感はするが……

 すぐにでも噛みつきそうな千佳を制止しながら、椿の次の言葉を待つ。


「先輩、このマンションを借りる契約をした時のこと覚えてます?」


「いや……もう3年以上前だし」


「そうでしょう。だから先輩に罪は無いんですが、蛇娘を住まわせることは契約違反なんですよ」


 椿が差し出した書類、それはどうやら契約書のコピーらしい。

 椿が指差したのは契約書の第8条(禁止又は制限される行為)の第3項。「乙(俺のことだ)は、本物件の使用に当たり、別表第1に掲げる行為を行ってはならない。」と書かれているが……


「別表ってどこにあるんだ?」


「そう仰られると思って、コピーをお持ちしました。せっかくですから私が読んであげましょうか?」


「いいよ、自分で読む」


 ニヤついた表情を浮かべる椿の手から紙を奪い、書かれている内容に目を通す。


 するとそこには、

別表第1―9「賃借人は、第三者を同居させてはならない。」

 と明記されていた。


「知ってますか先輩? 賃貸マンションにおいて契約違反を行った場合、契約を解除されることもあるんですよ。先輩も下手すれば宿無しですねえ」


「確かにそれは困るが……」


「そうでしょうそうでしょう。うっかり私の口が滑って、蛇娘が同居している事実を漏らしてしまったら大変ですよねえ」


 うふ、うふ、うふ……と気味の悪い笑い声を吐き出しながら椿は勝ち誇った表情を見せた。

 椿の来訪前までなら「知らなかった」でごまかせたかもしれないが、コイツに指摘されたせいで俺は同居禁止規約の存在を知ってしまった。

 もう時点で俺は悪意の契約違反者となっているのだ。


 何より最悪なのが、椿の物言いが非の打ちどころのない正論である点。

 たとえ椿がどれだけ邪な動機で告げ口をしようと、それ自体は何ら違法な手段ではない。

 過失があるのはルールを破っている俺たちの方なのだ。


 どうにかこの状況を打ち破るすべは無いものか……


「それよりお前、この契約書はどこでコピーしてたきんだよ」


「細かいことはいいじゃないですか。それで、どうします? 蛇娘を追い出すか、それとも二人仲良くマンションから追い出されますか。もし先輩が追い出されたら私の家にかくまってあげますからねえ」


 椿は歪んだ笑みを浮かべながらスマホを取り出した。

 その画面にはマンションの管理会社の電話番号が入力されているようだ。


 解決方法を探そうにも、一刻の猶予すらない。


 どうする……どうやって乗り切る……



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