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D1―3 蛇苺 その3

 千佳は無事うちの大学の農学部に合格し、明日から晴れて大学生だ。

 合格の報を聞いた時は思わず涙ぐんでしまった。俺の助力は小さくても、やはり教え子が志望校に合格することほど嬉しいことはない。

 椿は別の意味で泣いていたが、それも含めて痛快な気分になったものだ。


 都賀川沿いの桜も咲き始めていて、新学期に相応しい雰囲気になってきた。

 4月らしい陽気の日も増えてきて、身も心もあたたかくなるような日々が続いている。


 そして、今日から千佳が神戸にやってくる。


 入学式の前日、つまり今日から千佳が引っ越してくることは聞いていた。

 確かに聞いてはいたのだが……


「なんで俺の家にスーツケース持ってきてんの?」


「今日からお世話になります」


「待て待て待てそれは聞いてないぞ」


 マンションのインターホン越しに千佳の姿を見た時は、てっきり挨拶に来ただけかと思った。

 そのため、なかば反射的に彼女を家に招き入れてしまったのだ。


 よくよく考えれば、挨拶にわざわざこんな大荷物を持ってくるなんておかしな話なんだが……


 しかし、千佳の部屋探しを手伝おうと思って「もう住む場所は決まったのか」と訊ねた時は「もう決まってるから大丈夫」と返答が来たのだが、あれは何だったんだろうか。


「あのー千佳さん、確か住むところは決まってたんじゃ……」


「うん。お兄の家」


「そ、そうきたか……!」


 椿と違って千佳は良識のあるヤンデレだと勘違いしていたが、これは認識を改める必要がありそうだ。

 これまでは物理的に距離があったから大人しかっただけなのかも。

 これが千佳の本気を出した姿ってわけか……


「ごめんねお兄。事前に相談したらきっと断られてたから」


「わかっててやってんのかよ……」


「迷惑だったらすぐ出ていくから。お試しだと思って」


「しかしなあ……」


 せっかく淹れたコーヒーも喉を通らずにうんうん唸る俺を見て、千佳が意を決したように立ち上がった。


「やっぱり邪魔かな。出ていった方が良さそう」


「えっ、でも今日は泊まるところもないんだろ?」


「うん。ビジネスホテルか、最悪ネットカフェに行こうと思う」


「待て待て、明日入学式なんだろ? 俺も鬼じゃないし、今日くらいは泊めてもいいんだぞ」


「本当に?」


 顔を輝かせた千佳が身を乗り出してくる。香水なのか何なのか、甘く爽やかな香りが鼻をついてクラクラした。

 うーん、千佳には悪いがやっぱり不健全な気がする……

 明日以降の居場所は考えてもらわないとな。


「今日はいいけど、ずっと住ませるわけにはいかんからな。親にだってどう説明するか」


「おばさんの許可は取ってきたけど」


「本人よりも先に!?」


 一瞬驚いてしまったが、まあうちの母親ならあり得るか……

 千佳の親御さん的にはセーフなのかわからないが、複雑な家庭らしいしちょっと突っ込みづらい。


「お兄が嫌だったら追い出してくれて構わないけど、ウチと住むのにもメリットはあるよ。4つくらい」


「ふーん、どんなだ?」


「まず1つ目。これが一番大事かな。ウチがいれば幽霊さんからお兄を守れる」


「確かに……」


 これまで何度もレアに助けてもらってきたし、その司令塔である千佳がそばにいてくれるのはありがたい話だ。

 椿が発狂するリスクはあるが、それに怯えていたら一生俺には恋人なんてできないしな……

 自分の身を守れる千佳なら椿から狙われても対処できるだろうし、実際助かるのは事実だ。


「二つ目。ウチも家賃を半分払うからお兄の家も大助かり」


 うちの母親が賛成した理由はこれか……親から一人暮らしをさせてもらっている身分の俺からすれば、このメリットも無視できない。

 浮いた家賃で仕送りもアップしてもらえたら、なんて甘い期待も抱いてしまう。


「三つ目は家事。ウチが全部やってもいいけど、お兄が遠慮しそうだから分担してもいい。料理は結構自信あるよ」


 これも魅力的なポイントだ。バイトで遅くなる日は定食屋かコンビニ弁当で済ましているが、やっぱり帰った時に食事が用意されているのは嬉しい。

 当然千佳がいる分で洗濯物なんかは増えるが、それだって労力が少し増えるくらいで、トータルで見ればメリットの方が大きいだろう。


「……それで四つ目は?」


「予行演習ができる」


「何の?」


「結婚生活の」


 ……やっぱりヤンデレじゃねえか! 未来を見据えすぎなんだよ!


 まあ、同じヤンデレでも椿と同棲するのは死んでも嫌だが、千佳なら正直アリかもと思ってしまう。

 千佳の素直な性格が好ましいのはもちろんのこと、女性としても魅力的な人に成長しているのだ。


 陶器を思わせる肌の白さに、鋭くも美しい目。薄い唇もなんだか蠱惑的だ。ほっそりとした身体つきも好ましく、掛け値なしの美少女ではある。

 もう高校生じゃないから条例的な部分で引っ掛かることもないし……


 ただ、もし千佳と同棲するとなると、他の女の子と付き合うという選択肢は完全に潰れるだろう。

 「彼女でもない女の子と同棲してる男」って客観的に考えると相当やべーやつだ。


 千佳の提案に惹かれているのは事実なんだが即答はできないな……


「やっぱりお兄は嫌?」


「嫌じゃあないんだが……その、俺の家はホラ、諸星とかも来るから」


「お兄の友達? なら挨拶しなきゃ」


「でもアイツは存在が卑猥だからなあ……千佳にはあんまり会わせたくないというか」


「レアを通して見てたからわかるけど、お兄と仲良しみたいだから会ってみたい」


「そうか……セクハラされそうになったらちゃんと抗議しろよ」


「うん。噛み殺すね」


 抗議の仕方が物騒すぎるようにも思えるが、諸星もたまには噛まれた方がいいかなと思うので反対はしなかった。


 ああダメだ、話が逸れてしまったな。


「今日明日はいいけど、ちゃんと一人暮らしも検討しとけよ」


「うん。とりあえず一週間はいさせてほしいけど、ダメ?」


「それぐらいなら、まあ……」


「ありがと。お兄はやっぱり優しいね」


 千佳が腕を絡める形で身を寄せてくる。こんな狭い空間で振り払うわけにもいかないのでそのままにしていたが、こんなペースじゃすぐに籠絡されそうだ。

 まず俺自身が気をしっかり保っておかないとな。


 正直、「可愛い女の子と同棲する」という事実だけですでに頬が緩んでいるのだ。

 このまま流されるわけにはいかん。俺にだって意地くらいはある。

 ……何に対する意地なのかは、自分でもよくわかっていないが。



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