C5―6 SHE IS FINE その6
「はあ……残念だね、こんな結末になるなんて」
張り詰めた沈黙を破ったのは村瀬の大げさなため息だった。
いったい何を話し始めるつもりだろう。村瀬たちとの事前の打ち合わせではこんな展開は無かったはずだが。
元々の計画では俺が村瀬・伊坂・椿と三股をかけることでお茶を濁す方向でいくはずだったのだ。
そうなると「残念」の意味がわからない。村瀬が失うものなんてないはずなのに。
「何が『残念』か私に訊いてほしいんでしょう。仕方ないですね、乗ってあげましょう」
椿はまだ余裕の表情を浮かべつつ、村瀬の言動を鼻で笑った。
不遜な態度ではあるが、実際今は椿の方が精神的に優位なのだ。
これを覆す方法なんて……
「椿くんが武永くんとどうしても付き合いたいというなら、ボクや伊坂くんは武永くんと別れるつもりなんだよ」
「ほえっ!?」
驚いて思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんな話一言も聞いてないぞ。なんで村瀬たちと別れないといけないんだ?
椿を懐柔できたとしても村瀬たちと一緒にいられないなら意味がない。まさしく本末転倒じゃないか。
「う、嘘だよな村瀬……」
「いいや嘘じゃない。いくら武永くんが大切だと言っても、ボクらだって命は惜しい。悔しいけどボクらの負けさ。椿くんとお幸せに」
「待てよ、おかしいだろ、だって……そうだ伊坂! お前は違うよな!? 俺に着いてきてくれるよな!?」
焦って見た伊坂の顔は、物悲しそうな色を湛えていた。
俺と運命をともにしてくれる人間の表情とは思えない。諦めのオーラが全身から滲み出ている。
「なんだよ。何か言えよ。お前を、お前らを信じてたのに……」
暑くもないのにそこかしこから汗が吹き出てきた。あまりの急展開に吐き気まで催してくる。
ここに来て、裏切り?
考えたくはないが、今の展開はもしかして椿と村瀬と伊坂の三人で事前に協議していた結果なのか?
真実を知らなかったのは俺一人で、裏ではとっくにこの帰結が定まっていた、とか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
椿の手篭めにされることもそうだが、何より村瀬と伊坂に裏切られるだなんて耐えられない。
俺は、いったい何のため勇気を出して椿と対峙することを決めたのか。
その根底すら揺らいでしまうじゃないか。
ふざけるな。勘弁してくれ。
「あぁー……いいですねえ先輩、その表情。信じてすがった仏様が、実は先輩を罠に陥れていた魔物だったなんて。考えたくもないですよねえ」
椿の唇が醜くめくれ上がる。面白くて笑いを堪えきれない様子だ。
さっきまで見せていた怒りの表情は全部演技だったのか。大した役者だ、俺はすっかり騙されていた。
「先輩のお察しの通りですよ。村瀬さんとさらちゃんはずっと私を応援してくれていたんです。ちょっと妬いちゃう時もありましたけど、この日のためにずっと我慢してたんですよ?」
なんてことだ。よく考えてみれば、あの嫉妬深い椿が、村瀬や伊坂とイチャつく俺を看過するわけがないのだ。
その時点で違和感に気づくべきだった。
それなのに俺は、今日までバカみたいにヘラヘラと。
「くっそ……」
「あらあら先輩、悲しいですねえ。つらいですねえ。でも心配しないでください。私は絶対に裏切りませんからね、あの人たちと違って」
頬を流れる俺の涙を、椿が嬉しそうに舐めてくる。
気色悪くて身震いしたが、身体を反らして躱す気力が今の俺にはなかった。
「なんでだよ……どうして……」
底の方に残ったわずかな気力を振り絞り、立ち上がろうと試みた。
しかし両肩が押さえられて動くこともできない。
俺の両側を押さえているのは椿ではない。右に村瀬、左に伊坂が構えていて、俺を絶対に逃がさない布陣だ。
徹底してやがる。二人とも最早俺の知っている人間じゃない。
椿の言うとおり動くただの傀儡なのだ。
「離してくれ……もうこれ以上お前らに失望したくないんだよ……」
村瀬と伊坂からの答えはない。見るまでもなくわかる、二人の表情はきっと能面のように冷たいのだろう。
それを直視したらいよいよ心が壊れてしまいそうで、目を瞑ってしまう。
「あら先輩、そんな寂しいことしないでください。ちゃんと私を見て……これから結ばれる相手を」
「うるせえ。死ね。もうどうでもいいんだよ、クソが……」
「ごめんなさい、折角ならもっとロマンチックな場所の方が良かったですよね。でも安心してください。これからはどんなところにでも行けますよ。天国にだって」
椿は耳元で囁きつつ俺の両ひざに乗ってきた。そのままの流れで俺の服を脱がしにかかる。
日が暮れた室内は薄暗く、目を開くと恍惚に満ちたヤツの表情がうっすら見えて不気味だ。
椿の薄い手が俺の上半身をゆっくり愛撫してくる。
Tシャツ一枚越しに感触を受ける俺は、椿の指の冷たさに身震いした。
抵抗して暴れるべきなのかもしれないが、ここを切り抜けたところで意味があるだろうか。
愛する村瀬と伊坂に見捨てられた俺では、遅かれ早かれ椿に屈服せざるを得ないだろう。
勇気と知恵を振り絞ろうにも、「もうどうにでもなれ」なんて捨て鉢の気持ちが足を引っ張ってくる。
「ほら、先輩も触ってください」
椿は自らのワンピースをたくしあげ、タイツに包まれた痩せた太ももを露出させた。
取り憑かれたように俺の右手がそこに伸びていく。
膝のあたりから内ももの付け根にかけて優しく撫でてやると、椿は「んっ……」と甘い声を漏らした。
こういう触り方だって村瀬や伊坂から教えてもったものなのに、俺はなんでこんな枯れ木みたいな奴を触っているんだろうか。
声にならない嗚咽がこみ上げてくるが、脇に立つ村瀬や伊坂は置物のように突っ立っている。
「ああ、先輩が私に触れている。私を感じている。こんなに嬉しいことがあるなんて。脚を触られているだけで腰が抜けそうなのに、これ以上されたら私はどうなってしまうんでしょう。酩酊? トリップ? ああ怖い怖い、きっと正気じゃいられない……」
椿が歓喜の声を捲し立てるのに反比例して、俺の心はどんどん鈍く固くなっていった。
もうどうでもいい。どうせ椿からは逃げられないのだ。
無心で俺は椿の身体を撫で、舐め、その身に悦楽を与え続けた。




