C5―4 SHE IS FINE その4
「お悩みのようだねー、お兄さん」
「なんだ喜多村さんか……」
安心したようなガッカリしような気持ちで肩を落としたが、喜多村さんはそれを見ても別段不快でもなさそうに、のんびり欠伸をしていた。
「見ての通りセンチメンタルな気分なので放っておいてください」
「わかったよー」
などと口では言いながら、喜多村さんはこの場から離れようとしない。
それどころか俺の隣で壁にもたれかかり、手に持っていたミルクティーの缶を開け始めた。
どう見ても居座り続ける態度だ。
「なんで動かないんですか」
「みぃも感傷に浸りにきただけだからねー。放っておいてくれたらいいよー」
「はぁ……そうですか」
二人黙りこんだまま目の前の壁を見つめる、奇妙な時間が続く。
喜多村さんにどんな意図があるのかはわからないが、さすがにこのままでは気まずい。
小心者の俺にとって、無為な沈黙は幽霊の次くらいに怖いのだ。
「喜多村さん、誰かから何か聞きました?」
「何も? でもなんとなくはわかるよー」
「そっすか」
……またぞろ沈黙の時間が蘇ってくる。
ここを立ち去れば済む話なのだが、なぜだか足はいっこうに進みだそうとしない。
いや、「なぜだか」なんて嘘か。本当は自分でもわかっているくせに。
一人で悩みたいって格好つけてみたものの、なんでも独力で解決できるほど俺は器用じゃない。
それならもう、いっそのことぶちまけてもいいか。
喜多村さんに話すというよりはほとんど独り言の形で、今の自分が置かれている状況をポツリポツリ話し始めてしまっていた。
村瀬や伊坂と関係を続けていいのか、椿にどう対処すればいいのか、将来のことを真剣に考えるにはどうすればいいのか。
話したところで気持ちが楽になったわけじゃないが、それでも何もしないよりはまだマシだ。
喜多村さんは相づち一つ打たずに、ずっと黙って聞いていた。
あまりに静かすぎて立ったまま寝ているかと思ったくらいだ。
モコモコしたパーマで横顔が隠れており、彼女の表情は見えない。
ただ、それでも空気感でわかる。彼女は俺の一言一句を漏らさず耳にしているはずだ。
寄り添うように、読み取るように。
「結局俺はどうすりゃいいんでしょうね。手つかずの宿題が山ほど溜まってる気分で、どっから手をつけりゃいいか」
「すー、すー……」
「って、やっぱり寝てんじゃないっすか!」
「ハッ……あー、いや寝てない寝てない。それで、ピーナッツがどうしたってー?」
「そんな話は一言もしてない!」
なんで俺はこんな人の前で赤裸々に胸中を語ってしまったのだろう。
恥ずかしいような情けないような気分が込み上がってきた。
話してしまった以上、今さら無かったことにはできないのだが。
「はあ……もう俺は行きます。お疲れさんでした」
「お達者でー。あっ、一つだけいいかなー?」
「何ですか」
「人生は『線』じゃなくて『面』だからね。どっかで全部繋がってるよー」
「また『とんち』ですか。俺は一休さんじゃないんですがね」
喜多村さんから離れ、缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れると、カランと小気味いい音がした。
このまま立ち去ってもいい気もするが、一つだけ言い残していたことがある。
一度だけ振り返っておくとするか。
「ありがとうございます、慰めに来てくれて」
彼女は満足そうにニヒ、と笑う。そして小さく手を振り、俺の姿を見送った。
別に喜多村さんに言われたからじゃないが、実のところ俺も自分がどう行動すべきかわかってはいるのだ。
ただ、色んな感情が邪魔して素直に道を選べずにいるだけ。
すぐ前に道は広がっているというのに、わざと遠回りをしてきた節がある。
でもまあ、これ以上ウジウジしてたってしょうがねえよな。覚悟を決めるか。
「村瀬、伊坂、怒らないで聞いてくれ……」
今日は夜から俺の部屋に集まっていた。
例のごとく享楽的なあれこれを終えた後、三人ぶんのコップを並べて水分補給をしていた最中に切り出してみた。
目の前に座る二人は神妙な顔で俺の語りを聞いてくれる。
これまでふざけてばかりいたのは、思い詰めがちな俺への配慮だったのかも、なんて今さらになって気づいた。
俺が話し終えると、村瀬は腕組みを解いて破顔した。
「キミのそのやり方がベストだろうね。ボクも似たようなのを提案しようと思ってたんだが、武永くんの気持ちに遠慮して言えなかったんだ」
「まったく良案にございます。しかし武永様ご自身はそれでよろしいのでしょうか……」
「いいよ、もう。お前らが融通利かせてるのに俺だけ意固地なままじゃダサいだろ」
「よく言った! それでこそ我々の伴侶だ!」
村瀬は大げさに笑って俺の肩をバシバシと叩く。一方伊坂は頷きつつ、俺の手の甲を優しく撫でた。
オーバーに持ち上げられるのは気恥ずかしいが、コイツらとならそれもいいか。
恥だの外聞だのを捨てた先にしか幸せはないのかもしれない。
「じゃあやるか。決行は明日だな」
翌日、大学の空き教室でのこと。ここは普段ゼミで使われるような場所で、席の数も30程度と少ない。
夕方になるとそうそう人も入ってこないし、密会にはうってつけの部屋だ。
そんな閉じられた空間で椿と二人、机にもたれかかりながら向かいあっている。
夕日の差し込む西向きの小部屋。椿の位置からは逆光で俺の表情は見づらかろうが、これでいい。
「何ですか先輩、こんなところに呼び出して。デートのお誘いですか?」
「まあ、似たようなもんだな」
照れながら頬をかく俺を前に、椿の細い目が鋭く光る。ただならぬ気配を感じ取ったのだろう。
まだ顔にはニヤケ面が残っているが、俺が何を意図しているか測りかねているようで、心中穏やかでない様子。
少し不信感を帯びた目つきでこちらを窺ってくるその態度は、ほとんど手負いの獣と変わらない。
「どうせならもっとロマンチックな場所で誘ってくださいよ。こんなところじゃ、まるで先輩が私を罠にハメようとしてるみたいじゃないですか」
「別に取って食おうってわけではないぞ。お前にも悪い話じゃないだろうし」
もたれた机から腰を離し、両足をしっかり地面につけると、自然と腹に力が入ってきた。
嵐の最中へ飛び込む覚悟、あるいは飛び降りる覚悟はもう定まったのだ。
「単刀直入に言うぞ」
「……どうぞ」
「椿、俺と付き合ってくれないか」




