C5―2 SHE IS FINE その2
「なあ椿、お前はどこまで知ってるんだ?」
「何をですか?」
「俺が村瀬や伊坂と最近仲良くしてることとか……」
「ああ、三人で出かけることも多いみたいですねえ。不愉快ながらも知っていますよ」
椿は運ばれてきたビールをグイッと傾けると、そのまま一息に飲んでしまった。
酒に強いわけでもないくせに、なかなか豪気な飲みっぷりだ。
やはり今晩は俺の邪魔をしに来ただけなのか。わざわざ遠くまでご苦労なこった。
「自分で飲んだ分は自分で払えよ」
「もちろん。先輩たちもそうしてますもんねえ」
顔の紅潮しはじめた椿はチロリと舌を出す。毒ヤモリのような嫌らしい笑みに思わず毛が逆立った。
コイツ、なんで村瀬や伊坂とのデートで俺がワリカンしていることを知ってるんだ。
おかしいだろ。そこまで把握していて、俺たちの関係性を理解していないだなんて。
「お前、俺をからかってんのか」
「私はいつでも真面目ですよ。真摯に先輩のハートを狙っています」
椿は指を銃に見立てて俺の心臓へ向けた。そのわざとらしい仕草で血圧に嫌な負荷がかかる。
「ハートを狙う」とは血栓症で心臓を詰まらせることではないと思いたいが、このままだと本当にそうなりかねない。
「ハァ……わかってんだよな、俺たちの三角関係は」
「あら、探偵ごっこはもう終わりですか? 私はもう少し遊んでも良かったんですが」
「楽しくねえんだよお前との遊びは」
「いいですねえその表情、いただきますね」
椿は不快感で歪んだ俺の顔をカメラに納めると、満足そうにその画像を眺めた。
今日もコイツの嫌がらせは陰湿極まりないが、そこには俺が村瀬や伊坂と仲良くしていることに対する意趣返しの意味もあるのだろう。
「で、何しに来たんだよ。アイツらと別れろってか?」
「そりゃあすぐにでも別れてほしいですが、まあ私が手を下すまでもないとも思ってます。だから今日はただのデ・エ・トですよ」
「言ってる意味がわからんな」
「言葉どおりですよ。先輩たちはどうせすぐバラバラになるってことです」
椿は箸ではんぺんを両断し、ちぎれた片方をうまそうに屠った。
そのおでんは俺がさっき注文したやつなんだが……
「お前に何がわかるんだよ。俺たちの絆も知らずに」
「うふふふふ。本当は先輩も気づいてるんじゃないですか?」
「何にだよ……」
「先輩たちが立っている場所、その足元の脆さですよ」
椿は陽気な声で酒とつまみを追加で注文した。
陰気な見た目に反して謎にコミュニケーション能力はある奴だ。
人間の心理にも造詣は深かろうが、別に俺たちのすべてを知っているわけじゃないし。
「先輩方は何もわかっていません。まあ、夢想家の村瀬さんと倒錯者のさらちゃんが相手じゃあ仕方ないですけど」
「お前が何と言おうと俺たちは仲良くやってんだよ。事実として」
「今は、でしょう?」
続けて椿に反論しようと身を乗り出したが、運ばれてきた料理に遮られて機会を逃してしまった。
ねぎま、砂肝、つくねが二本ずつテーブルに並べられていく。
「一夫多妻なんて簡単なものじゃないですよ。多くの先進国で一夫一妻に落ち着いたのは偶然なんかじゃないんです」
「いや、でも一夫多妻制度を採用してる国もあるじゃん……」
「ええ、今でもアフリカや一部の地域では残ってるみたいですねえ。だから大丈夫、なんて軽々には言えないと思いますが」
「お前は何を知ってんだよ」
「マリやナイジェリアでは妻を数人持つことが許されますが、実情は大変みたいですよ。考えてみれば当たり前ですね。一夫一妻でも相手との価値観のすり合わせに苦労するのに、その労力が倍以上になるんですから」
「……」
椿は焼き鳥を頬張りつつもペラペラとまくし立ててくる。
俺はと言えば、背中に嫌な汗を感じてどうにも食指が進まなかった。
「難しい理由なら他にいくらでも思いつきますよ。日本において重婚は禁じられていますが、どちらかと婚姻しなければ制度上の恩恵は受けられません。またどちらかと婚姻した場合、遺産相続はふつう結婚した方の相手にしか行かないわけですが、揉めなければいいですねえ」
「も、もういいって……」
「子どもを持つ、ってなればなおさら複雑ですね。法律上は婚外子差別の撤廃へ舵を切っていますが、やはり世間の目は厳しいですからねえ。それに、妻二人ともが子どもを欲していても、片方にしかできなかった場合は大変ですよね。仮にうまく二人とも子を授かったとして、昨今では夫も育児参加は必須ですし……果たして先輩の体力・精神力が持つかどうか」
「うるせえ! わかったって言ってんだろ!」
店内でギリギリ目立たない範囲の大声で椿を怒鳴りつける。
騒がしい店内であることは救いだった。こんな生々しい話が周りにも筒抜けだと恥ずかしいしな……
「怒らないでくださいよ先輩。私は先輩の未来を慮ってアドバイスしてるんですよ」
「正論の刃で人を刺し殺すのはアドバイスとは言わねえんだよ」
「うふふ。どうせ先輩のことですから、村瀬さんたちに押しきられただけなんでしょう。そんな可哀想な先輩をですね、私は救いに来たんですよ」
「足元掬いに来たんだよな、知ってるよ……」
俺がうなだれているうちに皿の上の焼き鳥はすべて椿に平らげられてしまった。
今度は梅酒まで頼んでるし……人の胃がストレスで縮んでるのをいいことにやりたい放題だ。
ヤツは頬杖をついてニタニタとこちらを眺めている。いやらしい笑みだ。ちゃぶ台がえしでも食らわせてやろうか。
「なんでお前そんな上機嫌なんだよクソ……」
「先輩たちが別れるのは時間の問題ですしねえ。もし先輩が浅井さんや蛇娘になびいていたら厄介でしたが、私としては割とマシなシナリオなんですよ」
「うるせえな。黙ってお前に従う俺じゃねえぞ」
「私に従うわけじゃなく自然と瓦解するんですよ、先輩たちの仲は。あっ、ところでエイヒレ食べません? 今日はまだまだゆっくり楽しみましょうねえ」
好き勝手注文を増やしていく椿を止める気力は俺にはなかった。
実のところ、椿の開陳した理屈に反論する手立てが俺には無いのだ。
どんな困難が起きても愛で何とかなる、なんて言えるほど俺はロマンチストじゃない。
村瀬と伊坂、二人との間柄を一生調整し続ける覚悟が俺にはあるのか?
ハーレムだなんて浮かれてたが、そんなものが成り立つのはファンタジーの世界だけだろ。
現実はもっと生臭く、手厳しいものだ。
俺たちのただれた関係を続けられるのなんて、せいぜい学生のうちだけだろう。
あと一年と少しくらいか? 持続できないことがわかっている関係性に虚しさが無いと言えば嘘になる。
こんな風に思い悩めば椿の思うツボだとはわかっているが、しかし……
この日は結局、椿の方が明らかに飲み食いしていたのにワリカンだった。
アイツは精神的ダメージだけじゃなく経済的ダメージを与えるのも得意なようだ……




