C4―5 キャロラインの花束を その5
「あの……おっしゃる意味が……」
伊坂は立ち上がりかけた姿勢のまま、困惑した表情で村瀬を見下ろした。
どうやらこの場で村瀬の意図を理解しているのは村瀬本人だけらしい。
「まあまあ、とにかく座りなよ」
床に座る村瀬は鷹揚な態度でカーペットを叩いた。
伊坂の怪訝そうな顔とは対照的に、やたら朗らかな様子だ。一人だけ妙にテンションが違っている。
去り際を逃した伊坂はしぶしぶ正座の形に戻った。
本当はすぐにでも立ち上がりたいのだろう、座りながらも片膝に力が入っているように見える。
「なあ村瀬、お前いったい……」
「ひとまず状況を整理しようじゃないか」
半身乗り出した俺を制しつつ、村瀬は人差し指を立てた。
いちいち仕草が仰々しいやつだ。性急に話を進められるよりはマシかもしれないが、どうにもじれったい。
「まず武永くんはボクのことが好きで、その告白をボクは受け入れたわけだ。ここまではいいね?」
「ああ。改めて言われると照れくさいけど」
「しかし伊坂くんは武永くんのことが好きなわけだ。伊坂くんは彼と付き合いたいんだね?」
「ええ、最早叶わない夢ではありますが……」
「そこだよ、そこ!」
村瀬は立てていた人差し指を伊坂に向け、上下に振った。
つられて伊坂の目が上下するが、それはほとんど機械的な反射で、やはり村瀬の真意を理解している様子はない。
「『叶わない夢』か否かはキミが決めることじゃないんだ。わかるかい伊坂くん」
「村瀬、お前まさか……」
ようやく彼女の腹積もりがわかった。頭の固い俺や、古風な伊坂には思いもよらない手段だ。
自由で、奔放で、柔軟で、型破りな発想。
それでいて誰も傷つかない、みんなが幸せになる裏技、あるいは力業。
「そう。ボクは武永くんの彼女になったわけだが、ボクはキミを独占するつもりはないんだよ」
「つまり、武永様に二股をしてもらうという意味でしょうか……?」
村瀬の突飛な発想に、俺と伊坂はしばし言葉を失っていた。
そりゃあフィクションの世界なら、恋人や妻が2人ないし3人いたっておかしくはないのだが、ここはまぎれもない現実で。
こっそり二股をする人間なら聞いたことはあるが、まさかそんな、公然と……
「待て村瀬、さすがにそれはダメだろ……」
「何故なんだい? キミの恋人たるこのボクが認めているのに?」
「いや、でも、伊坂の気持ちが……」
「わ、私は、武永様のお側にいられるならどのような形でも構いませんが……」
「ええ……マジか……」
伊坂は自らの意志を示しつつも、困ったような目つきで俺の顔色を窺った。
そりゃあ困惑するよな、いくらなんでも伊坂にとって都合がよすぎる。
倫理的な問題はさておき、可愛い女性二人を手玉に取れる俺だって過ぎた役得だ。
状況だけ見れば村瀬一人が損をするような形だ。
彼氏を変態マゾ女に半分取られるようなものだぞ。
「村瀬、お前は本当にいいのか?」
「ああ。ただし条件がある」
村瀬は急に真剣な顔つきになって、声を低めた。
そりゃあタダで、とはいかないか。伊坂にどれだけ不利な条件が課されるか。
あんまり無茶な条件なら俺が仲裁に入らないとダメかもな……
「お伺いしましょう。私、どんな無理難題でもこなしてみせますゆえ……」
「いいかい伊坂くん、真剣に聞いてくれよ」
「天地神明に誓って」
正座を組み直した伊坂は重心をしっかり地に下ろし、村瀬の二の句を待っている。
向かい合う二人の間に走る緊張感、そのヒリついた空気が俺の皮膚に刺さる。
しかしこの瞬間から目を背けてはならない、俺には見届ける義務があるのだ。
「あのね……伊坂くんが武永くんと付き合うなら、ボクの彼女にもなってほしいんだ」
村瀬が重々しく開いた口から出た言葉、それを受けた伊坂は目を丸くして驚いていた。
考えてみれば伊坂は、村瀬が同性を好きなタイプだって知らなかったような。
村瀬が俺を女装させていたのも、ただの着せ替え遊びだと認識していたのかも。
「そ、そんな……」
「すまない、驚かせたね伊坂くん。やっぱり嫌かな。聞かなかったことにして……」
「そんな簡単な条件でよろしいのですか?」
「えっ?」
今度は村瀬が目を見開いた。伊坂の発言を前に、首を左右にひねっている。
おそらく村瀬は自分の意図が伝わっていないと思っているのでは。
「い、伊坂くん……本当にいいのか? 同性だぞ?」
「私もお二人の中に交えていただけるのでしょう。何の問題がありましょうか……」
「意味がわかっているのかい? 恋人同士なら可愛いデートだけじゃ済まない、もっと生々しい濃厚接触を伴うわけだが……」
「存じております。女同士のまぐわいもSM界隈では珍しくありませんから……」
「そ、そっかあ……ハハ……」
村瀬は空気の抜けた風船のようにしなしなと床に沈んだ。
彼女にとっては人生を左右するカミングアウトだったが、これをあっさり受け入れられたせいで拍子抜けだったのだろう。
俺はあまり心配していなかったのだが、伊坂の底知れない寛容さを知らない村瀬からすれば逆に驚かされたことだろう。
「あとは武永様がお許しになれば……」
「ああ、そこは大丈夫だろう。なあ武永くん」
「いや、さすがに二股とかは……」
「正直になりなよ。常識や世間体は置いといて、人形のように可愛いボクと豊満な肉づきの伊坂くん両方を味わえるんだぞ。男としては本望じゃないか」
「うーん……というかお前、自分のこと可愛いと思ってるのか」
「事実だからね」
「そうだけどさあ……」
率直な気持ちを言えば、可愛い女の子二人と同時に付き合えるだなんて俺には過ぎた幸福だ。
ただ、どうしても道徳的な部分が気になるというか、親や友達になんて話せばいいのやら。
この状況を素直に祝福してくれるのなんて諸星くらいだろうし……いや、母さんも気にしないか?
しかし父さんや姉さんにどう説明するか、椿や浅井先生に説明する必要も……
そもそも状況自体が複雑なんだよな……俺と村瀬が付き合ってて、でも村瀬は伊坂と付き合ってて、さらに伊坂が俺と付き合う形で。
三角関係というか循環関係というか……
とにかく容易に答えは出せないな。ここはいったん持ち帰って……
「仕方ない伊坂くん、やるか」
「御意」
村瀬と伊坂が左右からにじりよってくる。
なんだ? 俺にいったい何を……
俺が身構えると同時に、両腕に柔らかな感触が押しあてられる。
自分のものとは違う体温を感じ、身体が跳ね起きる。村瀬はやや冷たく、伊坂はほんのりあたたかい。
「うぉっ!?」
両腕にそれぞれの身体を巻きつける二人、その柔らかな刺激に心拍数がガンガン上がっていくのがわかる。
甘い匂いが漂ってくるし、脳内からオキシトシンがとめどなく溢れてくるのを止められない。
「どうだね武永くん。試しに二人と付き合ってみないか。きっと楽しいよ」
「ご安心ください、悪いようにはいたしませぬ……」
バイノーラルな囁き声が耳元で歌う。鼓膜が喜びにうち震えているのを感じた。
いや、ダメだ。ここで流されてはいけない。常識的な判断をしないと。
「ちょっと考えてさせてくれ」と一言告げればいいんだ。
なんとか声を絞り出そうとすると、両のふとももに撫でられる感触が走った。
血流が下半身に集まるのがわかる。ゆるやかな快楽に反り返りそうだ。
くそっ、俺の意志の強さ、石頭の固さを舐めるなよ。
ちょっと魅力的なメスどもに誘惑されたくらいで敗北してたまるか。
撥ねつけてやれ。ここはハードボイルドな俺を見せる場面だ。
「付き合います!!」
……思考とは全然違う言葉が口から溢れだした。
これが「身体は正直」というやつだろうか。




