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C4―2 キャロラインの花束を その2

 伊坂の提案した「作戦」を遂行するために、今は俺の家で準備を行っている。

 地味な割に時間のかかる準備であるため、ずっと無言というのも手持ち無沙汰だ。

 何か伊坂とできる話題……まあ、何でもいいか。


「伊坂はフランス文学の専攻なんだよな? なんでそれを選ぼうと思ったんだ」


「あれは一回生の頃の講義でした……」


「なんか始まった」


「まさに衝撃の出会いと言いましょうか……あるいは交通事故? 私の胸を貫いたのはある小説の一篇でした……」


「へえ、なんて作品なんだ?」


「バタイユ様の『眼球譚』でございます……長くないお話ですので、武永様もぜひ」


 「眼球」というワードにすでに不穏な予感はしているが、文学的な教養も身につけておきたいし、いくらか興味はある。

 現代日本の小説すらあまり読まない俺にとっては未知との遭遇になるので、案外面白いのかもしれない。


「ちなみにあらすじだけ教えてくれるか?」


「ええ。好奇心の強い少年少女が主人公でして……」


「青春っぽい感じか?」


「それはもう。家出した主人公たちのセンチメンタルな冒険の日々は、私の心に深く染み渡りました」


「へえ……なんで主人公たちは家出することになったんだ?」


「悲劇的な理由でございます。主人公たち二人は互いの身体に尿をかけあったり、十数人の少年少女と全裸でくんずほぐれつしたりと楽しい日々を送っていたのですが、その姿が親たちに見つかりまして……」


「思ってたのと違う!」


 伊坂にまともな感性を期待した俺が馬鹿だった。

 だいたいなんでそんな変態チックな物語が大学の講義で紹介されてるんだ。文学部は異常者の集まりなのか?


「なんかさ、もうちょっと俺が好きそうな作品とかないのか?」


「でしたら、谷崎潤一郎様の『刺青』などいかがでしょう……」


「ふーん、どんな話なんだ?」


「美女の肌に刺青を彫ることに魂をかける男性のお話なのですが……」


「やっぱり変態じゃねえか」


「その男性はある日、偶然見かけた美しい素足に一目惚れしまして……」


「えっ、足? もうちょっと具体的に。詳しく。どんな風に描写されるんだ? 色味は? 肌つやは?」


「ほほ、お気に召したようで何よりです……文庫本をお貸しいたしますので、ご堪能いただければ……」


 伊坂の妙なフェティシズムも役に立つことがあるものだと感心しているうちに、ようやく「準備」が整った。

 あとは伊坂が村瀬を連れてきてくれれば完璧だ。


 玄関で出発する伊坂を見送り、俺は部屋に戻った。

 じっと待つのも楽じゃないが、今は大人しくしている他ない。

 これで伊坂がしくじったら徒労感が物凄いことになりそうだが、極力考えないようにしておこう……





 伊坂を待ち続け30分が経った。普段ならあっという間に過ぎる時間だが、こと今日に限ってはひどく長い時間のように感じた。


 ようやく、ドアの鍵がカチャカチャと鳴る。今の俺はひどく動きづらいので、伊坂に鍵を渡しておいて正解だった。


 話し声が聞こえるところから察するに、無事伊坂は村瀬を連れてきてくれたようだ。

 ひとまず第一段階はクリアー。ここからも狙い通りに行けばいいが。


 ガチャリ、とリビングのドアの開く音が聞こえ、姿を現した村瀬と目が合う。

 その瞬間、彼女は元々大きな目をさらに見開いたまますっかり硬直してしまった。

 この反応は「どっち」だろうか。


「た、武永くん……キミは……」


 さあどうだ。吉と出るか凶と出るか……


「キミは、なんて愛らしいんだ!」


 どうやら良い方向に転んでくれたようだ……状況が状況だけに少し複雑だが。






 そこからはもう、村瀬の写真攻勢が止まらなかった。

 いったい何が楽しいのか、スマホのカメラで俺の姿を四方八方から撮影しては嘆息し、画面を眺めては嘆息し、を繰り返している。


「可愛い……いや、美しいか? 麗しいとも言えるな。お淑やかで、静謐で、何と言うべきか……幽玄さを感じる……」


 どうやら俺の和装姿はずいぶん村瀬のお気に召したようだ。


 もちろん和装といっても猛々しい武士の姿ではない。むしろその対極、どこまでも柔弱な女形である。


 野郎歌舞伎に代表されるように、女装は日本の伝統芸能ではあるが、それを自分でやることになるとは。

 真っ白に塗られた肌と長い振り袖で重くなった身体のせいで、自分の身体がやけによそよそしく感じる。


「あぁー……いいよ武永くん……非常にいい。ちょっと首を傾けてくれないか? 斜め後ろを見る感じで。そう! あぁー……いい」


 ここ数日感じていた村瀬との距離感はどこへやら、身も心もずいぶん近くまで迫ってきている。

 というか、村瀬が近すぎてちょっと怖い。なんかやけに興奮してない?


「善き誂えでございましょう……」


「ああ、さすが伊坂くん。和服の心得の無いボクではこうはいかなかったね。うーん……味わい深い」


「えーっと、村瀬……俺は今日話したいことがあって」


「うむ、わかっている。わかってはいるのだが、もう少し待ってくれないか? 今は雑念なくキミを愛でたいんだ。後生だから」


 いつになく真剣な顔で頼み込んでくる村瀬の勢いに負け、それ以上踏み込むことはできなかった。

 村瀬を呼び出せたまでは良いものの、今日はなんかうやむやになって終わるんじゃないか?

 せっかく伊坂に振袖からカツラから何もかも用意してもらって、恥ずかしい格好をしているというのに。

 ちなみに振袖は伊坂が成人式の際に着ていたものらしいが、そんな大事なものを女装に使っていいのだろうか……


「うーん……しかしなあ」


 先ほどまで異様な輝きを放っていた村瀬の眼に陰が射す。何やら腕組みをして思案している様子。

 ここまで気合いを入れてもまだ足りないというのだろうか。

 自分の女装に自信があるわけではないが、ケチをつけられるとなんだかモヤッとする。


「武永花魁に何かご不満でもございますでしょうか……」


「不満ではないのだけれど……何か欠けているような気がしてね」


「まさか私の施した粧飾に不備が……」


「いや、いや。伊坂くんの仕事は素晴らしい。そして武永くんの素材もいい。だからこそね、ボクはもっと高みを目指すべきだと思うんだ」


 村瀬の言わんとする意味がわからない。まだ俺に何かさせるつもりなのだろうか。

 きらびやかな女装をさせられる以上の恥辱は思いつかないが……


 村瀬は俺の顎を撫でつつ、優しく微笑んだ。細い指におしろいが付着したが、彼女はそんなことに頓着しない。

 気配の不穏さに怯える俺の息づかいを楽しんでいるようにすら見える。


 なんだろう。笑いかけられているのに嫌な予感が……


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