C3―6 成長痛 その6
「誤解だ村瀬! 俺は伊坂のことは何とも思ってなくてだな!」
「キミは何とも思ってない女の子に抱きついたりするのかい?」
「そうじゃなくて……オイ伊坂、お前からも言ってやれ!」
「武永様……私とは遊びの関係だったのでしょうか……」
「もういい。お前はもうしゃべるな」
村瀬はやはり気まずそうな顔色のまま、きびすを返そうとする。
まずい、早く誤解を解かないとずっと勘違いされたままだぞ……!
急いで立ち上がり村瀬の袖を掴むと、彼女は困惑した顔で振り返った。
困り顔も可愛らしいが、今はじっくり眺めている場合じゃない。
言い訳をひねり出せ。少しでも村瀬を納得させられるような、機知に富んだ理屈を。
「なんだ武永くん……イチャついてるところを見せつけたいのか? キミもなかなか変わった趣味だな」
「だから違うんだって! 俺はな、俺が好きなのは……」
村瀬が長いまつ毛の奥からじっとこちらを窺っている。
彼女の琥珀のように透き通る黒目を見ると、なぜだか言葉が出てこなくなった。
喉の奥で声が詰まって、音一つ生まれてこない。ひたすら口がパクパク動くだけ。まずいまずいまずいぞ。
ここで言わなきゃ、ずっと誤解されたままなのに。
「どうした武永くん、急に黙りこんで」
「いや、その……何て言ったらいいんだろ……」
「最近のキミはおかしいぞ、まったく」
肩をすくめた村瀬はまた振り返り、玄関まで直行してブーツを履き始める。
また彼女との距離が離れてしまった。呼び止めないと。引き留めないと。
「だから何で帰ろうとするんだよ!」
「だってボクがいてもキミと伊坂くんの邪魔にしかならないだろう。まったく、呼び出されて戻ってきたのに酷い仕打ちだ」
「呼び出された?」
どういう意味だ? 俺は村瀬のこと呼び戻してなんかないのに……
まさか、伊坂のやつ……さっきトイレに行くふりをして村瀬に電話をかけてやがったのか?
俺が伊坂に抱きついてる場面を村瀬に見せて誤解を深める計画ってことか。
どこが「応援」だ。秒で裏切りやがったなマゾ豚め。
「それじゃ、お幸せに」
「だから違うんだって……!」
「しつこないなあ。伊坂くんじゃなきゃ誰のことが好きなんだいキミは」
村瀬はさも面倒くさそうに自分のカールした金髪をもてあそんだ。
これ以上付き合ってられない、という態度が全面からにじみ出ている。
そりゃ当たり前だ。いつまでも俺がウジウジしているのだから、核心のわからない村瀬からすれば解せない気持ちだろう。
今だ。今言うしない。覚悟を決めろ、俺。
「俺が好きなのはな!」
「うん」
「俺が好きなのは、お前なんだよ村瀬」
「は?」
呼吸の音すら聞こえない沈黙が、10秒は続いただろうか。
ポカンと口を空ける村瀬には、俺の真心が1ミリも伝わっていない様子だ。
ムードもロマンも無いこんな告白、俺だってしたくはなかったのだが、今回ばかりは仕方ない。
これ以上本音を隠し続けても村瀬との距離は縮まらないのだ。
それならもう、まっすぐぶつかるしかないだろ。
「……キミねえ、そういう冗談は良くないよ。人によっては傷つくからね」
ようやく正気を取り戻した村瀬は、俺の肩に手を置きつつ自らの頭を振った。たしなめているつもりだろうか。
「冗談じゃねえって! 俺は本気で! お前のことが好きなんだ!」
「ああ、そう。そこまで本気だって言うなら、ボクのつま先でも舐めてもらおうかな」
呆れた顔で村瀬は左足を突きだしてみせた。半透明の白靴下に包まれた、やや小さな足が俺を指している。
挑発するように動くその足先は、揺れながら人を小馬鹿にしている様子。
「オーケーわかった、それで信じてくれるんだな。靴下は脱がしてもいいな?」
「えっ? ちょっと、待ちなよ武永くん。本気か? 待って」
俺が屈みこんで村瀬の靴下を脱がしにかかると、なぜか彼女は靴下を脱がされまいと抵抗してくる。
何なんだ。俺はただ村瀬の足先を舐めたいだけだというのに。
「なんだよ村瀬! 靴下の上から舐められたいのか!?」
「いや、そうじゃなくてだな……! 目が血走っててなんか怖いんだよキミ!」
「うるせえ! いいから舐めさせろ!」
抵抗むなしく転んだ村瀬。同時に靴下を押さえる力も抜けたようだ。ようやくベールが脱げ、白い足指がむきだしになる。
これ幸いと村瀬の素足に顔を近づけるが、今度は顔を押さえられて舌が届かない。
「やめてくれ武永くん! わかった! もうわかったから!」
「お前が言い出したんだろうが! 終いまでやらなきゃならんだろ!」
「なんでそんなに舐めたいんだ!? ああもう、助けてくれ伊坂くん!」
ガンっ! と頭に鈍い衝撃が走る。
痛い! 鉄? 殴られた? 叩かれた?
熱く痛む後頭部をさすりながら振り返ると、そこにはフライパンを構えた伊坂が立っていた。
なんだか哀れな生き物を見るような視線だ。お前にだけはそんな目で見られたくないのだが。
頭の痛みが引いて冷静さを取り戻すと、自分がとんでもないことを仕出かしていたことを認識した。
嫌がる相手の足を舐めようとするなんて犯罪じゃないか。
村瀬に俺の気持ちをわかってもらうためで、やましい気持ちが無かったとはいえ、やってることはかなり倒錯していた。
いや、やましい気持ちもあったか。ちょっと舐めたかったしな。なおさらまずいか、これ。
俺が自己嫌悪に身悶えしていると、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。
気づいた時にはもう遅く、村瀬の姿は玄関をくぐって見えなくなっていた。
追いかけないと……いや、ここで追いかけたら全力で逃げられるか。
迫りくる変態を相手に立ち止まって話を聞いてくれる女性などいない。
言うなれば「詰み」の状態だ。少なくとも、今日のところは。
悪あがきに弁解のメッセージだけでも送っとくかな……
「あの……武永様」
かがんだ伊坂が遠慮がちに声をかけてくる。緊急事態とはいえ主人を鈍器で殴ったのだ。元々弱い語調がさらに弱くなっても不思議ではない。
「なんだよ」
「私の足で良ければ舐めますか……?」
「また今度な……」
もう伊坂に対してツッコむ気力も失せていた。明日から大学行けるかな、俺……




